『手相が良いと幼少期から褒められ続けた人』と『手相が悪いと幼少期から否定され続けた人』とでは、パーソナリティや自己肯定感にどのような差異が生じるか?

サト
褒められ続けたら自己肯定感は上がると思う
ポジティブなことは嬉しいから
否定され続けたらそれはそれで自己肯定感は上がると思う
実際そんなに悪いことばかりじゃないからあてにならないなと判断すると思う
またそれぞれの逆パターンにもなりうると思う
要はポジであれネガであれどう受け止めるかだと思う

ぬらぺっちょ

グン

はち
ここから少し面白い方向へ話を展開してみよう。「手相」を、「学力」「収入」「社会的地位」に置き換えてみると非常に興味深い。手相が良いことは、才能や資質をもっていることと何の関係もないと多くの人が考えるだろう。ただ、学力、収入、社会的地位になるとどうだろう。この場合は、才能や資質をもっていると多くの人が考えるだろう。ただ、問題はここからである。それは、常識的(世間的)に褒められ/否定され、さらに、社会的価値と密接に結びつけられているということだ。
一度問いを整理してみる。言葉を置き換えた問いはこうだ。「学力、収入、社会的地位が良いと幼少期から褒められ続けた人」と「学力、収入、社会的地位が悪いと幼少期から否定され続けた人」とでは、パーソナリティや自己肯定感にどのような差異が生じるか。最初の私の解釈のように置き換えると、「学力、収入、社会的地位が良いと褒められる=学力、収入、社会的地位によって才能、資質があると褒められる」、「学力、収入、社会的地位が悪いと否定される=学力、収入、社会的地位によって才能、資質がないと否定される」となる。
この問題点を再度述べると、常識的(世間的)に褒められ/否定され、さらに、社会的価値と密接に結びつけられているということだ。元々のお題の手相の場合は、おそらく特定の人(親)のみが褒めている/否定しているだろう。そしてその後、常識的(世間的)にそれは違うと考えを改めることができる。ただ、学力、収入、社会的地位の場合は、世間の大部分の人が褒めている/否定しているので、手相よりは考えが訂正される可能性は低い。さらにそれは、社会的価値と結びつけられる。これにより、パーソナリティや自己肯定感に多大な影響を及ぼす。褒められる人は学力、収入、社会的地位が劣っている人を見下し、有能感に浸る。自分は社会的に下のものより社会的に価値があるのだと。対して、否定される人は無能感にさいなまれる。自分は社会的に上のものより社会的に価値がないのだと。現代の能力主義の成れの果てである。これで良いのか、悪いのかの意見はここでは述べないが、議論の余地は大いにあるだろう。
今回の問いは、少し言葉を変えるだけで現代の能力主義にまで思考を巡らすことができる、非常に意義深いものであると感じた。

はち

な

チャームピアス
否定され続けていきてきましたし
この先も否定され続けるでしょう

風の音
例えばグラビティーという仮想空間で友達を作り、仲がよくなったとしても「年齢と職業」を聞くととたんに関係が変わったりする(それが嘘としても)。
こんな感じで、ラベリングによって先入観や偏見を簡単に持つ人は一定数存在し、また、他人の評価に敏感な性格の人やサブリミナル効果の影響もあるため、同一人物であったとしても差異は必ず生じると俺は思う

なお

マツ
手相が悪いって言われてきた人は、人を手相ではなく、内面で判断するようになりそう
もっとみる 






