本当は何をしてもいい、何もしなくていいと知ったら自由も希望も感じられなくなるのでは?
自由や希望は制限化においてのみ存在し感じる。何にも縛られていない状況はもはや自由とは呼べず全てが縛られている。
家族や友達や恋人、学校や仕事、社会があるからこそ苦痛を感じ同時に幸せや自由も感じるならば何にも縛られていない状況で自由や希望は持ち得ないのではないか?
意味や価値、多くの制限は人間が生み出したものと知ったら自由も希望も感じられなくなるのではないかそう思えてなりません。

いぬやま
希望については全くの別問題で、自分の成長の可能性なんかに一喜一憂する日々でも希望や逆境、絶望はあると思う。

エム
違うなぁ
何もしなくていいなら
したい事やり続ける時間あるんじゃないの?
暇は見つけるものだか
そのロスタイムなくなるんだから
より有意義だと思う
やりたい事みつけたらダメのほうが
自由も希望ない
人はダメ駄目ダメの方が朽ちていくよ


パン
本当の自由は、自分のこだわりと決められた枠の中にとっかかりを見つけて、そこから思いきり遊ぶことなのかもね[ほっとする]

〆さば
束縛から逃れることが唯一の希望なのであれば、自由は希望の前提条件を破壊するから、そうなのかもしれん。

仁
哲学的質問に現実的な現状でお答えするのは恐縮なのですが、経過していく時間に恐縮と焦りを感じています。

チーズコロッケ
もしも私だけがそれを許された場合自由になれる希望で満ち溢れます

コバンざめ

さら

メティ

たよ
ただ自由とは責任が伴うものでありそれを負ってまでやらないというだけな気がする
行為の因果を受け入れてこそ初めて自由であると考えます
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