生活水準を下げるのが難しいのはなぜか?

小鳥遊百舌鳥尾
美味いものを食べ過ぎたら
今まで食べていたものが物足りなくなる
以前の当たり前が当たり前じゃなくなるのさ(*´ω`*)
こりゃ哲学じゃねぇ。

HAL

ノゾ
今持っているある要素が存在しない生活の苦痛を、勝手に想像して恐れている。
実は、なければないなりに幸福なのだけれど。
以下少し脱線気味。
そうした恐れとともに生きると、人生そのものの質が下がるわけだけど、さりとて多くの先人が言うような「多くを持つべきではない」という警句には少し懐疑的で。
持つにあたって、それを手放すべきときに躊躇わずに秒で手放す心を同時に持てば良いのだろうなと。
その生活水準を自分のものとして獲得したのではなく、一時的に借りただけなのだと考えて、返せと言われたら渋ることなく当然の義務として平然と即時返却する意識を常に持ちたい。
覚悟、などと大仰に身構えるのではなく。

風の音
それができず借金で“延命”生活をしていたとしても、収入以上の借金は返せなくなるのでいずれ必ず下がります。
それ以外は「なぜ下げないといけないのか?」という必要性と納得が生じなければ下がりません。
特に今の日本。
貯蓄にすら税金がかかり(一定以下の貯蓄だと)金利よりも引き出し手数料の方が高かったりと「貯蓄する効果」が薄かったり、死ぬまで働けという政治屋が国民の支持(投票)を得て大きな顔をしていたり…と「効果(メリット)」が低いです。
極端な例でいえば、生活水準を下げるという目的は「家を売って山で暮らそう」と言っているようなもので、そのどこまで近づけるか?の程度の違いにすぎません。
水準を下げれば収入に下げた分の“浮き”ができますが、“浮き”は貯金・将来・保険といった未来へのお金です。
本来は「生活を切り詰めない政治」に投票に行く方が手っ取り早いですが、それを無駄という教育を受けてきた日本人には効果がありません。
3人に一人の男性、6人に一人の女性は今は独身生活。
未来より今を考える人が多いのも理由の1つです。
というのが俺の考えです

タヌ本
不自由な感覚になるから。
通信制限が掛かった時と
同じような感覚になるみたいなー

三日月子
其なりの 生活をするしか
日々、生きて行けないんじゃないの?

ハリー
生活水準をコントロールできると、自分の欲求に対してもコントロール出来るようになるから、いいと思うんですがね。
ただ逆に、自分の生活における欲求を悪者みたいに扱うので、無欲求になりすぎてしまうかもしれませんね。
痛し痒し!
Corino

Phil
いくら稼ごうがそれなりに生活出来ると思うし、なかったらないで我慢すればいいだけの話
嫌ならまた稼げばいい
難しくない
やれるか?やれないか?の単純な2択

世紀末覇者ラ王
生活水準を下げることを、制限された世界になる。と認識するからではないかと思いました。
あれが出来なくなる。これが出来なくなる。
それを、不自由になると感じるから、生活水準を下げるのは難しくなるのではないでしょうか。
そして、人は自分にとって本当に好きなものや必要なものを見つけることが、意外と難しいのかもしれません。
「これをやっている私」
「これを食べられている私」
「これを持っている私」
という自己像も含めて生活を楽しんでいるとすれば、それらに制限がかかることは、単に物や行動を失うだけではなく、「〇〇している私」を失うことにもなるのではないかと思いました。
逆に、生活水準を下げられる人の中には、自分にとって本当に必要なものを仕分けて選べる人もいるのかもしれません。
それは自由を失うというより、制限された中での自由を選ぶことなのかな、と。
「〇〇している私」ではなく、
「私は〇〇」として。
と、私は考えました。
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