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日本でルッキズムに悩む者が、海外に出て容姿を肯定され、自己の容姿に肯定的になった後に、再びこの者が日本に戻ってきたら、自己の容姿の肯定感はどうなるか?

〆さば

〆さば

楽観的予想:受け取られ方は社会の性質次第で、そもそも醜美など幻想であると理解する。

悲観的予想:自己評価モデルに軸が乱立して評価プログラムがバグり、精神に失調をきたす。
哲学哲学
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P

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海外で自分の中のルッキズムが崩壊する何かがあれば、自己肯定感というものにとらわれずに済むのではないでしょうか。
ただ、ルッキズムが心の中心に近いところにあると、海外へ出たところでルッキズム的肯定感を得るだけで、日本に戻れば悩み始めると思います。
日本に居続けても、海外で肯定感を得ても、価値観の変容がないかぎり悩み続けると思います。

ルッキズムに悩む人は欧米は避けた方がいいです。ドイツで普通の会話の中でチャンチュンチョンと言われました。
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としゆき

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その海外の地でそのルッキズムに悩む者が、悩みが原因で多少なりとも精神に変調をきたしていたとする場合、海外の地での人間的接触やその地特有のルッキズムの価値観や捉え方に接することで、不安定だったその者の精神が元の均衡を取り戻し、日本と海外の地で異なるルッキズムの価値観との対比と思索によって、日本のルッキズム(これがどういうものかはここでは言及しない)を気にしないポジティブな精神と思考回路を獲得したならば、
その者は帰国後、目下のところは日本で安定した精神と人間性のもとに上手くやっていくであろう、と推測できる。
もちろん目下のところという条件が付属している通り、日本で生活していく内に日本の人々に日本のルッキズムの枠組で捉えられる日常を続けていれば、日本のルッキズムに対して再度苦悩する可能性は十分にあると考えられる。

自己の容姿の肯定感は、その地で日本特有のルッキズムを克服しポジティブなシンキングパターンを獲得できれば、同様にポジティブなままに、
しかし、その海外の地でただ一時的な精神の均衡を取り戻しただけでネガティブなシンキングパターンの状態のまま帰国してしまったならば、
きっとその者は再び自己の日本特有のルッキズムに対して苦悩するようになるに違いない、そう推論できる。
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