人生で一番感謝していることは何ですか? それはあなたにとってどのように大切ですか

紫苑/しおん🐈⬛
どう感謝すべきかという問いは、
倫理学で存分に議論してください。
今回私が扱いたいのは、それ以前の問題です。
「感謝はすべきものだ」
という前提そのものは、
なぜ疑われてこなかったのか。
哲学が引き受けるのは、
感謝の実践ではなく、
感謝という概念の成立条件です。
(※もちろん感謝は大切だと思っています。ただ今回は、哲学の星として前提を点検しています。)
ーーー
まずは、
感謝の歴史を振り返ってみましょう。
・アリストテレス《友愛論》
受けた善を記憶し、関係を持続させようとする態度を、人間関係の徳的基盤に置きました。
・イマヌエル・カント《不完全義務》
感謝は完全義務ではないが、怠ると人格が歪む義務とされます。
・ハンナ・アーレント《出生性》
自分が「始められてしまった存在」であることへの驚きを重視します。
⇒ここで見えるのは、
感謝が常に「態度」
として扱われてきたという点です。
しかし、ここでも
「感謝はすべきものだ」という前提
が問われていない。
それはまるで
「感謝」を疑うこと自体が「不謹慎」
だと感じさせる価値として固定されてきた歴史
を物語っているようです。
ーーー
次に、
感謝の語源を見てみましょう。
・英語 gratitude
相手の好意に対する肯定的感情
・ラテン語 gratia
恩恵や神の恩寵
・フランス語 reconnaissance
再び認めるという評価語
・ドイツ語 Dank
社会規範色の強い形式語
⇒いずれも、
対人・評価・贈与の語彙です。
実は、
「感謝」も中国語由来で、
「感じたことへの礼」
という応答と倫理の言葉。
一方、
「ありがとう」の原型は「有り難し」
・有り=存在する
・難し=困難。
本来は起こらなかったはずの出来事が、
起きてしまったことへの驚きでした。
つまり、
西洋語は対人倫理、感謝は応答倫理、
そして、ありがとうは存在論的驚き。
これらが近代の翻訳で混線しました。
ーーー
さて、みなさんが
「ありがとう」と言うとき、
それは
意図せずに生じた出来事への驚き
だったでしょうか。
それとも
やって当然のことを評価する言葉
になっていないでしょうか。
この立ち止まりこそ、
「感謝すべき」対象へ正面から向き合う
大切な態度ではないでしょう。


はる
大学まで全部出してくれたこと
勉強の習慣をつけてもらったことで
多少は生きやすくなりました。

でみたす

クロちゃん

クリーム

胡麻団子
ブルース・ウイルス

SHiT
こんなどうしようもない人間なのに
支えてくれてる

若草海月
大切なんて言葉じゃ安すぎるぐらいさ

かず∞
時に厳しく時に優しく愛情深く自分を育ててくれました。
当時は何とも思わなかった事でも、今になって当時の教育が活かされてると思う場面は多々あります。
自分の子供を立派な人に育てるのは愛が無ければ成り立ちませんから、今では本当に感謝しかありません。
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