自分が「そうだと信じているもの」が誤りだった場合、それでも価値は残りますか?

紀文屋
結果的に誤りであっても、信じることで得たものは無価値ではないと思います。
私にとってソレは『友情』と言えます

SUZUME
『未来への新しい
進化の扉を開く鍵🔑』
なのではないでしょうか
信じていた事が
誤りである事に気づいた時、
そこに残る価値は
『それに関わる
全ての真のスタートの価値と
新たに信じるもの、
そこから信じる事で生まれる
新しい自分の出現価値』
であると考えます。

AMY
正誤に価値があるのではなく
自分がどう物事に価値を見出すのか、
という点で自分の世界を構成するのが
私はめっぽう好きですね[照れ]
さんかく

りり
(要するに自己処理の仕方次第?)

てんぺん
信じていた間は価値があるという事実。
誤りがあった場合、その対象の価値観を訂正した結果
信じる強度が強くなれば新たに高価値な信じる事象となる。
信じる強度が低くなれば低価値な事象となる。
価値が残ると誤りを認めないことになってしまうと考えてしまう。

Yatsuha
「失敗ではない。うまくいかない1万通りの方法を見つけただけだ」
誤りを確認したという価値かなぁ

Pそうた

フー

Gina
誤りだった→信じることができなくなった以降の該当物に価値はないとしても、信じていた過去の時間が有意義なものなら自分の中での価値は残るかと。
ただ、しんどい思いしながら信じて耐えた期間が全部誤りでした、悪意ある他人の欺罔行為の結果で機会損失経済的損失含めて受け入れ難いマイナス感情だけ残りました。となったらその過去ごと対象物滅殺して無価値扱いでいいんじゃないかなあ…ぐらい、事実を知ったときに残る感情次第で結論が変わりそう。
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