『思考』は誰(何)のためにするものか?
自分か、他者か、社会か、それ以外か

狼
そう言えば人間は後付けで思考を決めてしまう癖があるみたいな話を聞いたことがある。
もしかして我々の脳は生成AIとそれを意味として理解する我々の組み合わせのように「それらしい思考を表出する」のが先で、「それを理由として読み取る」のが後なのではないか?
少なくとも、「このためにする」という何かがあって思考している訳ではなさそうだ。「このためにする」という思考の後に、「このためにする」と言う意思が表出し、「〇〇のためになる」思考を始める。そういう順番だ。ではないか?

SUZUME
『料理における
全ての調味料
(味を決め、
素材を変化させるもの)』
と定義するならば、
『人生』において
それは『解釈(意味付け)』に
あたると思います。
料理における調味料が、
同じ素材を甘くも辛くも、
あるいは深くも浅くも
変えてしまうように
『人生における思考』は
起きた出来事という素材を
『幸福』にも『不幸』にも
変質させるからです。
もしも人生を
一つの『皿』とするならば、
『出来事』が食材であり、
『思考』が調味料であり、
その結果として
出来上がる『納得感』が
料理の味そのものだと
言えるのではないかと
考えます。

憂い顔の騎士

愛善院
思考そのものが愉しかっただけだと思うがね。
ガワ
その子はリンゴを見た時に赤くて丸い、コレはリンゴだと思うだろう。
しかしトマトを見てリンゴとは思わないように、梨を見て青リンゴとは言わない様に、この世界のありとあらゆるモノは2つ3つの形容で単純化など出来ないのである。
すなわち、この世界には一定の概念が存在しており、川を見て海とは言わないように、思考と言うものは世界の概念と繋がっている。
思考とは誰のためにするものか?という問いには全く意味が見いだせないものの、翻ってみれば『思考』とは”世界”の意思であって、それはこの世界を共有する「我々の為に」存在するものだと答えよう。

哀小出 翔

女好きの女

とも

しゅん

えるえふ(↵)
だいたいは出力チャンネルを閉じて自分の為かな。
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