「煩悩」は苦しみを生むか?

シフ

仁
人の苦しみの原因を煩悩と呼ぶのではないかと思う。従って「煩悩」が苦しみを生むのではなく、「煩悩」により人は苦しむのだと思う。
昔、劇画原作者の小池一夫が作品の中で、「108個の煩悩は、四苦八苦から来ているのだ。四九36 八九72足して108になる」と言うフレーズをよく使っていた。まっこれはこじつけだが当時は妙に納得していたものだ。
問題があるとすると煩悩の定義だが、A Iに108の具体的な内容を尋ねてみたが、沢山あると言う象徴の意味らしいが、食欲もある意味含まれているようだ。ただここで疑問に感じるのは、人が生きるために、あるいは生き続けるために必要な三大欲求 性欲 食欲 睡眠 を果たして煩悩と呼んでいいものだろうか? 確かにより美味しい物、より大きな快楽、必要以上の惰眠、は煩悩とも呼べる。
しかし、そこに苦しみが生まれなければ「煩悩」とは言えないのではないか。
待てよ、あくまで苦しみの原因が「煩悩」であるとするなら、罪悪感を感じない欲求は「煩悩」とは言えなくなる。あくまでそこには「倫理観」が必要になってしまう。すると、「倫理観」は、時代、文化、環境などによって変わってくるため、具体的に「煩悩」を定義できなくなってしまう。
その意味で文明文化を原初にリセットしてと考えたのだが、ここに来てわからなくなってきた。
現代において強制的に人を規制するのは法律であり、他にはない。自分の行いに苦しみを覚えるのは自分自身が誤りであると認識しなければならない。
年寄りに席を譲らなかったことは、面倒だからとして、それを煩悩と感じる人と感じない人がいる。
感じる人は苦しむが、感じない人は苦しまない。
つまり僕は間違っている。
すると正解は、「煩悩」は必ずしも苦しみを生まない、になってしまう。
なんか嫌だが、それが僕の解答です。
jei

キイヤマ
たろう☸️
煩悩はときに、一時的な快楽、幸福を生む
苦しみは自分の思い通りにならないときに感じる負の感情であり
煩悩≒欲望であるとき、欲望が叶えば幸福、欲望が叶わないときは苦しみとなる
欲望がなくなれば苦しまないと言うが、それは人らしくないが、苦しみが脱却する為の真理ではある

おっくん
刹那的、物理的苦痛のみが苦しみならば、少なくとも、それを一時的に避けて生きていくことは可能かもしれないが、全く苦しみのない世界にいることが(おそらく全人類いまだ一人も至ることのない世界だと思うが)、果たして幸せと言えるのか、誰も答えを持ち得ない。

もちょ
欲求や衝動そのものは身体の状態や生命活動から自然に立ち上がる反応であり、それ自体が苦しみを意味するわけではない。
しかし、それに執着し振り回されることで苦しみへと繋がりやすくなる。

ぶんちゃん
なくなりゃ仏。

げん

ぴよ
けど、ソレによって 救われたり楽になったりする 事は きっと生きる為に必要な事だから
「煩悩」は苦しみだけを生むわけではなく 前衛的なものも生むと思います
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