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妖怪片通話とでもいうべきコミュニケーションの労力搾取の傲慢さについて

愛善院

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たとえばこれは、
「書籍を発行した著者」と「査読書評した者」との関係であっても「コミュニケーション」ではあるわけですが、実はベクトルが向いているのは「双方向ではない」のですねぇ。

著者のベクトルは読者に向けて。書評した者も読者のひとりでしかない。

書評した者も、読者に向けて。より小さな範囲の読者であることのほうが多いでしょう。

この構造は、教室での「スピーチと陰口」の関係に似ていたりするのです。
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狼

これ片通話が「片方の声は聞こえるけど、もう片方の声は聞こえない」だったとして、どっちが妖怪呼ばわりでどっちが労力搾取されているのでしょう?

「一方的に喋ってるのにこっちの話は聴かない」の意なのか、「こっちは伝わること喋ってるのに、何一つ伝わらない話を延々とされている」のか。
 ある意味どちらでも高慢だと言うことが出来るし、労力をかけているのにそれが報われないという形になると思います。全く同じ時にお互いがその様に思っているということも多々あります。

 経験ありますが、そうするとまぁどっちもしんどい訳で。

「何でも妖怪のせいにしてしまう、我々が一番の妖怪かも知れませんね」という言葉を思い出しました。恐らく、どちらかが先に他人を理解しない意図を示して、それをされたもう一方が「高慢な妖怪」と形容したという話かと思いますが、何かを妖怪扱いする高慢さにも目を向けるのが肝要かも知れません。

 その上で腹が立つ時は立てても良いと思います。人間だもの。でもそういう自分も高慢だよな。と振り返るのです。無限ループって怖くね?

 私からは以上です。
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