哲学からズレるかも知れませんが、「薫陶」を受けた人はいますか?それは考え方ですか?、生き方ですか?言葉ですか?

愛善院
皆亡くなりましたねえ。
共通するのは、徹底して他人に興味がないのに、圧巻すべきほど人間の理解が深かったことでしょう。

ぼーず
定期的にメンターのおじさまに薫陶してもらってます。

正宗(ろー)
『自分では理解できないものに対して、自分の価値基準で判断しようとしない。相手の発言が分からなくても、宇宙人と意思疎通させるくらいの意識を持って臨む。感情的になってしまい責めてしまったりもするし、否定してしまったりもするけど、理解しようとする試みを諦めない。』
といった理解の姿勢を母を通して学びました。
そこに至るまでにありとあらゆるコンフリクトがありましたが。
分からないものを分からないままにするのは難しく、そこに主観での意味付けを行って、空白のままにせずに意味化を行うのも、母との対話を通して気付くことができました。
昭和の環境で、僕のようなタイプを育て、理解するのは非常に困難だったと思います。
母と僕とではタイプも真逆でしたし。
それでも人生を通して理解しようとし続ける姿勢は、とてもスケールな大きなものだと感じましたし、私にはまだできないことです。
母の死後に、母の偉大さに気がつきました。
生前にもっと感謝を伝えたかったです。

哀小出 翔

J ♂️

P
中高と男子生徒にいじめられていた上、女生徒からは必要以上に距離を詰められていたことで、人間そのものが嫌いになり、猜疑心の塊が私でした。
教授は根気強い対話を重ね、ご自宅に何度も連れて行ってくれて、精神的なケアや奥様の料理をいただいたり、お子さんがいらっしゃられなかったので実の息子のように扱ってくれました。
また教授の人生哲学を学び、そして君には君の生き方があり、それを見つけるよう言葉を残してくださいました。
ポリオや癌、結核などと戦いながら退職の70歳まで生きぬきました。しかし、最期に奥様と私にアンチクライストを打ち明けてお亡くなりに。どう向かい合ったら良いのかいまだに解決していません。
病室で目を閉じながらおっしゃった「⚪︎⚪︎君、君は不幸になると思う。だけど人生は祝福しなさい」という言葉はカラマーゾフの兄弟のアリョーシャに重なり、今でも心に刻み込まれています。
それから「不幸になるけれど人生を祝福する」ということが私の哲学の根になりました。
まぁ、世界的に有名な映画監督のお兄さんが入院のお見舞いに来た時、患者の教授が正座&敬語になったのは驚いた。吉永小百合と浅野忠信を発掘し、イタリアで⚪︎⚪︎監督映画祭が行われた人と聞かされて驚いた。70になっても絶対的な兄弟関係ってあるんだな、と思いました。

ノゾ
以下脱線…
考え方も、政治についての方向性も、がらりと違う人間だけど、父や伯父を通じて受けた影響で僕の半分くらいはできてる。
父も伯父も僕も弟も歴史好きで好きな分野も近いけど、でも父と伯父はリベラルで、僕と弟は違う。
そう思えば右も左も本来の根は同じで、互いに詰り合う必要なんて一つもないんだなと思ったりする。
脱線から復帰…
主に「歴史から学ぼう、歴史を楽しもう」という姿勢を受け継いだ気がする。
当然歴史には様々な視座があって、その土壌から伸びた枝葉が一見反対を向いてることもあるわけだ。
楽観的で「ダメでも、どうせいつか死ぬしいいじゃないかw」みたいな生きる姿勢も貰ったけど、これも個人の生を超えた歴史的視点の賜物かも。

仁
ファーストコンタクトの瞬間から
その人のそばに居れば自分は成長できると感得したから、
腰巾着になって
言動はもちろん箸の上げ下ろしまで模倣した。
知りたいと心から願う対象については
現在地がどこであれちゃんと学ぶことができる気骨を
圧倒的な父性でもっていちいち見せつけ植えつけてくれた。
出会いの副作用として
あの人を先生と呼ぶのなら
他のあまたの年長者をなんと称すべきか
いまもわからずにいる。
ぱぴろう
第二次大戦という暗い時代でナチスに加担したハイデガーは同じ実存という潮流から形而上学的なテーマへと進んでいきました。
一方でヤスパースにとって重要だったのはどこまでも「Kommunikation」だったのではないかと思います。
社会に出てわかったことですが、自分も含めて人間はとても自分勝手なものだなと思います。
それでも交流と対話による可能性を信じていられるのはヤスパースの哲学に触れることができたからだと思う思います。

