努力とは成功を信じる者の肯定思想ですか?

興味
成功を信じる者の肯定思想というよりもニュートラルに事実的な行動実績ではないでしょうか。
なお、成功に努力が必要かどうか、成功のために努力をし続けて行くべきかは、まず成功に向けてどのような戦略を採用するかによるのであり、成功には努力が必要といった前提は必ずしも成立しないものと考えます。

愛善院
そうすると、努力とは「成功することのなかった労力」に対するラベルである。
本人は成功を信じるのであるから、努力がなんらかの成功に繋がると同じく「信じる」のであって、宗教的に扱えばこれは「儀式(日常的にとりこむ形式的象徴)」である。
自身の精神高揚をもたらすという点において「肯定」として差し支えない。

憂い顔の騎士

りり
(↑多分これADHD傾向のある人の思考)
ソマチッド

jiro_
社会的評価なら違うと思います。

ニックX🐦🔥
人々はよく、才能や天才を認めたがらない。あれは努力だという。実際は高みにいけば、両方必要なのは周知の事実だ。努力は頑張れば自分でもできるのではないかと思えてしまう。実際は努力の質も量ももともともっている能力が影響する。加えてそれまでの生活習慣が影響する。
肯定思想かどうかは、発言者の文脈によって変わる。

たけぽん

のぼ
努力が辛い人物は『好き』を捨てさせられた。
本来、努力は辛くない。
成功を信じて進む道を想像した時にどんな気持ちになるだろう。
先が分からなくてもワクワクするんじゃないかな。
「その先に成功があるよ」
その成功は自分が望む成功じゃない。
最初から決められ、何かを諦めて立たされた道なんだよ。
『好き』を応援してよ。

たか
努力をすることの目的は「成長」。
何が成功かわからず試しながら黙々と目標に向かうだけの場合もある。
努力しないと『成功』を手に入れられないが、それは『成長』を信じて努力しているからである。
もっとみる 






