「努力」は「報われる」か?

メンタイ
するものではないね

まめプー
努力したか否かにかかわらず結果は付いてくると思います。
何もしなくてもいずれそれに対する結果は出ると思います。
報われたか否かは本人の気持ち次第でもあり、周りが評価することで報われたかとなる事もあると思います。
気持ちとして努力するのは良いですが、どのような結果を求め、その為に何をなすべきか、そし
て結果が得られた場合は、それに対してどうするかだと思います。
事実かどうかわかりませんが、かのエジソンは、99回失敗し、100回目も駄目だった時、弟子たちが言った『また失敗です』に対して『この方法では駄目という事がわかっただけでも成功だよ』
と言ったとか‥
「努力したけど駄目だった」とか「努力が足りなかった」と嘆くのでなく、反省すべき点があるなら次はどうするといったステップを践むのが良いと思います。
問いに対する回答としてあってない上に、
長文スミマセンm(_ _)m

🇨🇽nano㌨
何を以って報われるとするかを最初に定義すべき。このままでは何とでも捉えられる。
【定義】
①今目の前の目標達成を以って努力は報われるとした場合
②①の目標とは違うケースで結果的に①の努力が報われる場合
【結論】
①は必ず報われるとは言えない。それは結果がついて来ないことがあるから。
②は本人が気付かないうちに報われているケースが多い。努力の質、努力の量ともに人によって一定ではないが、その努力によって培った経験や知識は後により良い判断材料となりうる。

サト
ただ
何事も始めないと得られない
その上で確率をあげるのが努力だとは思う

カズ

夏休みの最終日
出来る努力をしなかった時、いつか “後悔” しちゃうものだから

ワンコおじさん

セナ


ノゾ
努力によって何ら変化を生じないなどということはありえず、その報いに満足するかしないかという受け取る理性のありようによって、報われたかどうかの印象が変化するだけであって。
その1ミリの報いを「報入られなかった」などと顧みず、努力をやめてしまうか。
その僅かな報いを1日1日大事に貯めて、やがて大きな成果と成すか。
総量として僅かに過ぎなかった報いを、単に嘆いて不貞腐れるか。
その大したことなかった報いを活用し、あるいはマイナスの報いですら情報として活かし、次の努力を容易ならしめるか。
わずかな実りにも満足を覚えて幸福を得るか。
そういう違いがあるだけ。

まめプー
努力してる、したつもり
の人が多い気もします。
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