共感で繋がるSNS

友人と恋人の違いとは?

ベル

ベル

恋人は常に気になる!友人は気にならない!
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY11
神羅(しんら)

神羅(しんら)

関係を保つか、もたないか?
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY11
たっくん⚾️

たっくん⚾️

手を繋ぐか、どうか
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY9
noma

noma

執着の度合いかなあ
友達は複数人いる中の一人で全然満足できるけれど、恋人には排他的な関係性を求めてしまいがち
もう一人が現れた時に狂うのは執着
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY8
メス堕チーズケーキ

メス堕チーズケーキ

性行為に愛があるか否か
まぁ僕はどっちにも愛はないんすけどね
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY10
komichi

komichi

恋人は恋人でもあり、友人でもある
しかし、失う可能性のある友人

友人は友人である
例え、自分だけが友人だと思っていても友人
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY4
loverock67

loverock67

恋愛感情のあるなしによる
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY4
憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

友人→貸した金は取り立てる
恋人→貸した金は取り立てない
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY4
ミロ

ミロ

その人の未来が欲しくなったかどうか
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY3
としゆき

としゆき

ありきたりな回答になりますが、友人であるか恋人であるかは本人たちの恋愛感情と関係性の認識意識によって決まるものだと思います。
というのも、友人や恋人という集合としての名詞から考えるのではなく友人や恋人という集合を成した元々の要素の成り立ちから考えて答えを出す方が適切だと考えたからです。

感情というのは基本脳内伝達物質の分泌量という、人間それぞれにおける個体差があり、愛や恋などは物質名詞のように明確な境界を定めることは非常に難しい。

例えば、恋人という関係を成立させるための条件を、当人たちの感情意識と互いに恋人同士であるとの実際の認識の仕方だとすると、
分泌の「量」としての恋愛感情と彼らが恋人同士であるとどう認識しているのかは、分泌量として脳内に確実にある数値と彼らが互いの関係性をどう認識しているかという主観と客観に差がある関係性であることからも、相容れないように考えられ、従って彼らの心の内面を数値化しない限り客観者である他人からはどうしても決定できないように思えます。

つまり友人恋人であるとの認識は本人たちにしか見えないものである以上はこれといった厳密な定義はむりなように思えます。
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY3
もっとみる