ははぁ、仏説(と言うには日本風の手垢がついている感が否めないが)「恥を知らぬは畜生道」と言いますねぇ。このあたりは同じく日本的な美醜意識の「浅ましさ」との兼ね合いもありそうです。端的には「自分のメシ(食い扶持)は自分で支度する」あたりに畜生とは違う「恥を知る」部分があるようです。このあたりの近い言葉を漁ると「道理を弁える」「ものごころがつく」「分別の盛り」あたり、これら人倫から外れたことをするのが、浅ましいケモノのようなヤツだということになりましょう。「恥ずかしい」に対しては「恥辱」「屈辱」「照れる」「面映ゆい」「火照る」「顔を赤くする」「顔から火を噴く」などなど、結構な語数もあります。近接に「逆ギレ」や「照れ隠し」などもありますが、おそらく、隠したい何かがある。この隠したいものとは「涙」だと思われます。哺乳類は涙をこぼすように泣くことはあんまりありません。目が情報受信機関として非常に飛び抜けているから、視界がゆがむ「涙」は生理的に危険なのですね。恥ずかしいとは、悔しさ。ケモノよりはマトモだと思っている自分に浅ましさを認めざるを得ないとき、それを心が防衛して、そのストレスを避けようとします。そこで涙の出番ながら、涙にはし難いので、かわりに顔をテカらせて(無意識に我慢して)代替にしているのではないでしょうか。
うーん……🤔恥を感じる時って、結局自分が劣っていると感じる・周りからそう見られると思っているって時だから、恥は怒りや苦しみを内包するのでは?🤔例えば、コケて見られたと、笑われたと笑われる=自分が劣っていると思われたとこれを怒り100%で返すなら、見たやつ全員殺しゃいいでもそれが出来ない時に、悔しいという苦しみが生まれ、それが恥になるのでは?
原始時代はお金はなく物々交換で生きていけたみんな仲間だったからだけど徐々にお金を稼いだり、名声を得るようになってから競争率が高くなって生存本能がより強くなった。で恥をかく行動をしてるだけじゃ食い繋ぐのが厳しい人もいるとなって親猫が子どもの猫を見放すためにと同じで親とか先生、近所の先生とかが、社会で生きれるようにそれは恥ムーブだよという流れを作ったんじゃないかと思ってます。