もはや学歴は単なる『勲章』である
終身雇用時代から
平成の高学歴大卒は人生インテリブランド時代、
令和の高学歴だけど『1日で退職しました〜』時代へ。社会が退職者等により、流動的にフリーランス状態になってきた現代、学歴は『自己のブランド』に過ぎないでしょうか。資格と変わらない様な感じでしょうか

ケンポス
一方、日本社会が人手不足になっていることで、応募する側の立場が上がってきていることは事実だし、会社に依存しない人が増えているのも間違いない。
しかし、これは学歴とは別の問題だと思う。

るる
一つの仕事をずっと出来る人は学歴関係ないと思う。

ステラ
ただ、その勲章を服の上に付けておく必要は意味をなさないのかな、と。
では、学歴の他に人を判断する基準は何か、、、
それは「人間性」だと思っています。
でも人間力偏差値の勲章を誰も胸に付けてません。
学歴は、ただ“勉強が得意だった”という一側面に過ぎません。
では、勉強以外の部分はどうでしょうか。
高学歴であっても、倫理観が欠けている人は残念ながら少なくありません。
では、本当に「頭が良い人」とはどんな人でしょうか。
私は、人の気持ちを繊細に汲み取り、状況を読み取れる人だと思います。
さらにそういう人は、高学歴であっても、学歴そのものに固執しません。
とにかく、バランスが大切なので、
私ももっと努力してみます[ほっとする]

しろくろ
雇用市場が流動化した現代では20代前半の修了の瞬間から今ここまでの「時間的距離」に説明が必要になっちゃったよね。
ましてブルーカラービリオネアが生まれているように、AIの発展とともにホワイトカラーの付加価値がみるみる低減してることを踏まえても、アイデンティティの中核に過去の勲章を据え続ける人間は、相当な氷河期を覚悟しないといけなくなるだろうなあ。
ま、でもエスタブリッシュメントのそういう非生産的な指向性がこの失われた30年を作り出したとも思うし、日本社会全体が前に向かう上では歓迎されるべきことなんだろーな。

憂い顔の騎士
いまや、変なプライドを持っている証明みたいなもの

みかん
おにきゅ
例え学歴が勲章(誇らしい栄光)だとしても、学生という枠の中でしか使えない。
社会に出たらまた違う枠の中に入る事になり、指標が変わる。その学んだ知識レベルを活かせるかは、本人がいかに柔軟な思考力を持ち、新たな指標で考えていくかにかかってるんじゃないのかな。

Yoo
日本の社会システムは依然として学歴社会を標榜している。ステレオタイプな例えだが、官僚や商社などが分かりやすいか。彼らは東大法学部が当たり前の社会に生きている。そこがあくまでもスタートラインということである。
そう、学歴は仕事をするうえでのスタートラインになりうる。ふるいにかけられるわけだ。別にいい大学を出ていなくとも素晴らしい人はたくさんいる。が、組織人として求められるスキルを人事が見極めるにあたって、一つのポイントとなるのが学歴なのである。学歴があれば、一定程度のスキルを持っていることが保証される。たとえば人間関係のスキル、調整力やコミュニケーション能力、向上心や忍耐力。専門職であれはもちろんそのスキルも。何もない人間を1から見極めるよりも肩書きある人間を選ぶほうがコストパフォーマンスもいい。なにもできない、何もない人間ほど学歴があるべきだ。
逆に言えば、自分で何とかできる人間、自分のことを学歴はないけどこれはできます、とくいです!ということを相手が納得するようアピールすることができる能力を持ってたり、起業みたくゼロからものを作れる能力を持つ人間は、学歴に頼らずとも生きていくことができる。
ただ、大半の人間は、ゼロからものを作れるほどモチベーションも能力も高くないし、そういったものに基づく立身は不安定なものだと評価する。だから、いい学校に行っていい企業に行くということが目指されるわけだ。
確かに日本の雇用環境は変化しつつある。会社が企業年金により、大家族を支えるという構図はもはや見ないものとなった。従来の終身雇用は早期退職制度などにより必ずしもいい企業に就職できても一生安泰とは言えない。倒産する可能性だってある。
一方でSNSの発達により、誰しも手軽にコンタクトを取ることが容易となった。企業人でも広報としてSNSを活用していることは珍しくない。以前より個人がフリーランスで仕事をとること、実績を積むことのハードルが低くなったのは確かであろう。フリーランスの自由さは誰しも憧れるものだろう。

ヒソカ爺

ココ🥃
Fランに限らず大卒のバカなんて掃いて捨てるほどいるし、前職(ブラック企業の広告代理店)で「お前◯大出てんのにそんなこともわかんねえの?」とか「◯大出てんのに使えねえ奴だな」とか罵倒されてる先輩や同窓生を見て来たので、勲章だとさえ思えません。
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