哲学の目的は「癒す事」人や道徳について思案するなら優しい人、真面目な人、よく考える人である事が私は好き。でも、そんな人ほど傷つき疲れてしまいやすい性質も強くなる傾向がある。ならば、哲学の目的が「癒す事」だったら私は素敵だと思う。温かな深みにゆっくりと身を浸して物思いに耽るそんな時間に癒されて辿り着く心理を哲学と呼びたいものです。
自分の行動に答えを見出そうとする行為…?たとえば、今日のあの行動あの子のこと不快にさせてないかな…とか、あの人に好かれたい…とかの哲学の問に比べたらちっぽけに見える悩みも、突き詰めれば哲学になりうると思うし🤔