共感で繋がるSNS

子供の声を騒音とすることについてどう思う?

とくさん

とくさん

誰しも通る道
我慢すべき、仕方ない
哲学哲学
GRAVITY1
GRAVITY43
you

you

「子供の声は雑音ではない」
哲学哲学
GRAVITY3
GRAVITY11
夏休みの最終日

夏休みの最終日

子供である事が犯罪者の標的になる事が有り、親は子供を守ろうと警戒を強め、他人は変質者扱いされない為に子供に関わらないようになった現代。互いに壁を作る事で秩序や安全を求めたわけだから、自然な影響なんだろうなぁ……とは思う。何とも世知辛い世の中だけど……
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY10
学畜女神

学畜女神

騒がしいのはしゃーない
声がデカくてうるさいのは子供だけじゃないꪔ̤̮
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY9
ノゾ

ノゾ

子供の声に限らず、人の立てる自然な音程度ならなんであれ、

廬を結びて人境に在り
而も車馬の喧しき無し

という境地に至りたいね。
その音を騒音と捉えてる自分の在りようをコントロールして。
心遠ければ地自ら偏たり。ってな。

どうしても気になるなら、静かな場所へ移動するなり、自分を動かすさ。

うるさいのに加えて、「他人を動かそうとして思い通りにならない」苦まで抱えてどうするw

あ、自然な音とはいえ喫茶店でゲップとかかますジジイは許さん。
哲学哲学
GRAVITY2
GRAVITY8
正宗(ろー)

正宗(ろー)

僕は、
『1軸で捉えるのではなくて、多軸で捉えた上で、社会的意義や個人の辛さに配慮すれば良いと思う』
という立場なので、最初から騒音と定義づけることには否定的な立場です。

音の感じ方は個人差が大きいのと、年齢による感じ方の差異もあると思います。

日本の社会課題の1つに、非寛容があり、これが生きづらさの一因にもなっています。

一方で、寛容すぎれば秩序は乱れ、やはりこちらも生きづらさに繋がります。

重要なのは、『不快だから、やめろ』という幼児的な認識を持つことで、
この場合、この人の発言は快不快に基づく利己的・主観的な発言であって、社会のことを考えられていない発言になります。

そして、『騒音』という概念は、社会レイヤから見た場合の『音の公害』を規定するものだから、そもそも社会レイヤに立っていない人が『騒音』という語を用いるのは誤りで、この場合は『私が不快を感じている音』と主観表現に切り替えた方が良いかもしれませんね。

人と社会はそれぞれ共依存的な関係にあり、ここに関しては子供も老人も同じです。

私は『子供が笑えない社会に未来は無い』と考える立場なので、子供が自由に遊べる環境を作りたいのですが、それには良い社会デザインと近隣住民との話し合いは大切だと考えています。

いずれにせよ、ノイジーマイノリティの意見が容易に通るようになったら社会は破綻すると思うので、『子供の騒音』問題はその社会の可塑性や発展性を示す試金石になると思います。
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY8
愛善院

愛善院

「うるさい!」という声のほうがうるさいなんて日常でもよくあること。それが拡大されたとき、子どもの権利を奪う結果にいたるという悲しい事態になっていく。
半端な都市部の「公園」の設置計画だとか、親のしつけの力だとか、そういうのも相まっているのだけれども、受忍義務に対する堪え性がなくなっているし、言いがかりをつけた者勝ちの世の中があったということでもあると思う。
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY7
パセリん🌿

パセリん🌿

良いこととは思わないけど、現実かなぁとも。
小さい頃、狭い土地空間で野球してて怒られたり、良い顔をされなかったり。
歪な社会の縮図だなとは思う。
口癖ではあるけど、いつの時代もそんな感じで、状況が良かったり悪かったりする。
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY6
たけぽん

たけぽん

子供の声を対象と見れば、騒音と感ずる人がいるのは事実。従って法に従い調停が必要。その一方で、子供の声を自らが立つ現実と見れば、適応が必然となり、規範による調停が必要。

規範は生活する集団によりバラつきが大きい事情もあって、法による統治が社会に安定をもたらしている。従って、音は音と言うことで、法に従い判断するしかないと思う。デシベルとかね。
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY6
はまっち

はまっち

静けさを求める大人は、子供の笑い声さえ「乱れ」と感じ、無垢な喜びを無視してしまう——それは、脳が突然の音を脅威と誤認する古い本能と、疲れた心がポジティブを素通りするバイアスが、静かに重なった瞬間だ。
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY5
もっとみる