共有・孤独とは何か
孤独とはWikiより心の通じ合う人や拠り所がいない状態とあります。この定義あるいは、あなたの考える定義を用いて、
-通じ合う・共有とは何か?
-孤独とは人間の本質に付随するのか、偶発的な産物なのか、後者ならどんな孤独感が淘汰されなかった自然主義的/進化論的な仮説があるか?
-他者と同じ世界を共有しているだろうか?その上で孤独が普遍的概念であることは自然か?
-現代人が孤独を感じやすくなっていると思うか、それはなぜか?
…etc
など色々なことを語ってみてください
自分はカジュアル勢なので引用などは必要としませんが、あれば素晴らしいと思います

憂い顔の騎士

愛善院
圧巻の大多数に接触を可能とするにいたったSNSにあって、なお、人間は、その個人にとって「極めて重要な」あるいは「最も重要な」ことを、伝達・伝播する方法を持ち得ない。
大人たちは、うわべだけ共感しあうが、さりとて、脳が別、遺伝子も別、経験も別である「個人」と「個人」とが、真に一致した感を共有することは確率的に極めて低い。
さりながら、共有の感覚がないと人間はたやすく精神を崩壊しやすい。その質は孤独でありながら、その孤独のままで安心できる場所を探している。あるいは孤独を忘れることのできる、孤独を誤魔化せる場所を。
これ以上やるとスピりますね、ソウルメイトとか魂の片割れとかにもなってくる。
あとはベクトルの問題。
同じ方向を見ているのか、相手を見ているのか、はるかな虚空を見ているのか、という視界によっても、孤独のありようは変わりそうです。

蘇我霊幻道師准尉
「孤独」理解力が必要。
同じでは無いか。どちらも他者が必要である。(違う、そうじゃ無い)
「共有」と言うのは他者や自己が生み出したモノに対する理解である。「孤独」と言うのは他者が自己を単一的状況に置く事であり理解が有る無しに関わらず意図的に起こるモノでもある。共有も意図的に成り立たない時もあるのでやっぱり同じじゃ無いか。人間原理的問題じゃないか。本質的に孤独とは創り得るモノであり1人で人が居ないから所に行っているのと同じな気がする。それも違うか。うーん。正直なんか並び立てるモノでも無い気がするするんだよなぁ。「現代人が孤独を感じやすい」のはコミュニケーションが乏しく他者との対話が出来てないだけな気がするんだよ。
SNSもあるのに、家族も、街に人も居るのに「孤独」って無いでしょ。なんか人と繋がれる世界であればもうそれは「言い訳」でしか無いし行動しない結果じゃありませんか。都合良く人と付き合おうとしてる人の言い訳、な気がするんだよな。孤独って言うより孤立が相応しい気がする。僕は孤独感は無い。孤立はしてるかも知れないけど言語は共有している。対話ツールも今日日充実している。動くか動かないか。認識か行動か拒絶かだろう?

なずむ

りょうなおはな

サリンジャー

マルコ・アモレッティ


