なぜあえて難しい、回りくどい文章を書きたがる人がいるのか。gravity
文章はコミュニケーションツールだ。にもかかわらず、その場所にあった簡潔な文章を書かない。普段使わないような接続語や述語をつかう。なおかつ、伝わりづらい回りくどさがある。何がしたいのか?何を目的においてるのか?横文字大好き人間と同じか?

魚屋ゆう

✧̣̥̇𓂃⟡.·幽霞❄︎.*yhuka
例えば普段「やばい」「えぐい」「めろい」のような言葉しか使わない学生がいたとして、文豪たちの小説作品を読むことに耐えられるでしょうか?
投稿主からしてもそのような相手では話にならないのでは?
無理せず身の丈にあったものをお読みになられればそれで良いかと。

愛善院
虫が口のなかに飛び込んでくるのを待つ雛鳥たち
自分で自分にわかりやすくするのは基礎リテラシーだと思うのよね。思考が拒絶するほど難しいならその成長段階にないだけで。
アヤカ

愛善院
「わかんね」で止まるのは感情処理です。
と、生徒には日々伝えておりますけどな。

小鳥遊百舌鳥尾
何も真意が見えない文字の羅列よりいくらかマシ

comesunday
しかし、文章を読んだときに、「回りくどい文章を書きたがる人が書いた文章を今自分は読んでいるな」と感じる状況や、そのようになりやすい人はおそらく多くいる。
言葉の使い方は人それぞれ違い、自分が慣れていない語彙、語法、段落構成で書かれた文章を読むと、そのように感じることが多い。
直接面と向かって話しても、文章だけで伝えても、様々な誤解が生まれやすく、意図通りの趣旨が伝わらないこと、意図と全く異なる趣旨として伝わることは非常に多い。
そのような経験を多く経てきた人は、文章を書きながら、それを読む人が意図と異なる理解をするところを想像し、恐れ慄きながら、そうならないようにアレコレと書き方を工夫しようとする。
結果として、それを読む人が難しい、回りくどいと感じるか、そうでないかは、文章や場合によるが、典型的に、誤解を防ぐためにはそのための言葉を足す必要があるので長く成りがち。
例えばヘルプデスクへの質問への回答のように目的が明確な文章では、必ず三行以内に結論を書くといった工夫ができることも多い。
一方、主観的な話題についてのオープンクエスチョン対する回答として自分の考えや思いを文章にするといった場合には、一問一答形式で回答で趣旨が伝わることはまずないので、質問者への誠意をもって真面目に答えを返そうとすると、日本語の場合で、典型的に、少なくとも数百字から数千字が必要になる。

ほかほかごはん

わたんべ多雨
文章だとカッコつけたくなるんですよね……
たぶん、ルームとかではタイムリーな発言が求められるけど
文章だとゆっくり考えて書けるからじゃないでしょうか。

ニ夕ン
でもあんまりこの話すると攻撃されるのでおわり
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