ボランティアとは?
とある投稿を見てふと思ったのですが、無償の助け合いだと思いますか?
それとも、ある程度の報酬や労い等見返りがあるべき事なのでしょうか?

にっきー
「他人を使って自分を豊かにする行為」だと思います。
なので、ボランティアは偽善と捉える視点も理解できます。
しかし、ボランティアはそもそも、
「他人を助けることによる見返りを、他人からではなく自分から自分へと与える仕組み」。
他人を助けるのは、その人のためでもあるけれど、自分の心を整え、豊かにすることが目的。
だからこそ、
自分にとって『善い行為』である必要があると思います。
つまり、
本当の意味では偽善だけでは成り立たない。
偽善(自分が善い行為と理解できてない)では自分が自分に見返りを出せないから。
自分が自分に報酬を出せる人だけが、
他人を純粋に助けることができる。
それがボランティアに限らず、
人間社会の構造だと思います。

ナトル
でも最近一部だと思うが補助金 目的やら評価取得(投げ銭や人気取り)の類になっている
分かりやすいのが丸1日使って 100km マラソンとかしたりする 慈善活動 番組みたいなのが分かりやすい
他はグレタ の環境活動
令和納豆騒動、大雪りばぁねっと事件、社民党の過激ツイフェミ 議員に支援とかが一番わかりやすい事例だと思う

憂い顔の騎士

なつき

愛善院
「自己の生存に適する環境を整える」ために行うすべて。
ツイフェミが火病になりそうだが「家事」はこの意味で相当に基礎的なボランティアだ。

狼
完全な無償であるべきかを問うなら、「その時の社会状況と活動内容によって必要性があるなら有償にする事も検討すべき」と考えれば良く、これは主に政治(社会システム)の話だろう。
「ボランティアは無償であるべきだ」「労働には見返りがあって当然である」と言うイデオロギーのぶつかり合いなら、これは確かに哲学への問いかけだ。
この辺の切り分けが曖昧なのが先ず人を混乱させる。ていうか人が勝手に混乱する。
ボランティアは自由意志にその最大の特徴があるのだから、自発的である事が肝要ではないか? そしてその活動が社会貢献に成ったなら『活躍した』事になり、最後に無償であれば『それはボランティアだった』と言われる。
ボランティアはこの順番が大事だと思う。
本質的には「個人の自由」なのに、それに頼って社会インフラに組み込んでしまうから『やってくれないと困る』と怒り出す人が出てくる。
本来は社会が支えるべき事を『個人の自由』と言う『いつでもハシゴを外されるモノ』に社会が寄りかかってシステム扱いするから齟齬が起こる。
無償でやるのはやりたいからで、金が無いならやらないならそれは『無償ではやりたくない=自発的にはしたくない』と言うこと。
してもらわないと困るならそれはボランティアに要求するのではなく、社会インフラに求めなくてはいけない。
ボランティアを人に求めること(≒自発ではないボランティア)自体がズレているのだから、金を求めている事(有償ボランティア)にズレていると指摘してもしょうがない。『先にズレたのに合わせたらそうなった』と考えられるからだ。
結論から話せと言われて久しい。しかし申し訳ないが、私はここまで話してやっと安心して本題に入れる。 じゃなきゃ全く意図が伝わらないからだ。
ボランティアとは? 自発的な社会貢献である。

Zee
お金は絡んできます

あーみっく
としゆき

うし
なので本来であれば見返り等は発生し得ない物の筈ですが、現実はそうもいっていないので、名前だけが汎用的の使われている気がします。
もっとみる 


