命の重さは何に比例しているのか
人を殺めることは絶対的タブーとされていますが、食事に集るコバエを叩いたことは誰しもあると思います。
ロードキルされた動物を見ると可哀想という人も庭の手入れのために雑草を抜きます。
命の重さや価値はいったい何に比例しているのでしょうか。

くらら♂
俺らが潰した虫に祈らないのは、虫の名前を知らないからだ(種族名じゃなくて個体名)。
多分重いのは命じゃなくて、関係の方なんよ。
蜘蛛の巣のように四方に張った糸の先に繋がる誰かが居れば居るほど、その関係の重さで心が軋むんだ。
こうやって人と人を繋ぐ関係性のことを、仏教では縁起と呼ぶ。まぁ、当の仏教は命に優劣はつけてないはずだから、これは俺の持論ね。
しん

風の音
たまたま人間には「思考能力」が備わるためいろいろ考えることが好きですが、草を食べエネルギーを貯める家畜をさらに食べてエネルギーを蓄える人間、しかばねを食べるウジやアリ、微生物、養分を吸い取る草花…
命のエネルギーは生物ならばどんなものにも存在し、等しく与えられたものだと思います。
「軽重」のレッテルを貼るのは「思考」を持つ人間の脳機能であり、脳死している人が命の重さにレッテルを貼ることは無いでしょうね[にこやか]
戦争で亡くなる子供たちと命令して戦争を起こす人々、自分で命を棄てる人と生きていたいのに生きられない人…
それらの人たちが食べてる野菜や果物の果実(果実も子供(種)がいる)やどうぶつ達…
これらにランクを付けるのは「個人的な価値観」であり、絶対的(比例的)軽重はないと思います

りゅう

ひろみ

ギゼン
…という綺麗事を抜き、人間中心的な考え方に極端に偏らせてもいいのならば、「他者から見た場合の社会的な貢献度」です。
わかりやすい例を申し上げるならば、軽いのは人に危害を加えるする蚊やドクムシやクマ(クマはやや保護的でもある)。人で例えれば連続殺人犯等。
重いのは安倍晋三元首相。ダチョウ倶楽部の上島竜平さん。飼っていたペット など。
僕は命の重さは皆平等という考え方の方が好きです。

薄明
好きな動物が殺されると悲しい気持ちになるが、その好きな動物が雑草を食べていても雑草に対して特に感じることはない
せい君
年月を重ねる程に沢山の命を吸収して大きくなり個の器が一杯になり溢れた瞬間終わりが来る様を美しいと思っています

ノゾ
受け取った過去を経験によって加工しうる可能性。
それらを未来へ向けて手渡しうる可能性。
そうした可能性の総和に比例しているんだと感じている。
トラックの価値は、いかに多くの価値を、いかに多くへ配りうるかに依る。
そこには、改造や修理や他との協力・分担の可能性も含まれるけれども。

薫
もっとみる 











