
こみや
思った事を自由に吐き出すだけ
旅行・ホテル・航空
埼玉
鬼滅の刃

こみや
結婚してなければそうしてたかもね。

こみや
聞いてくれる友達はいるけど、誰にも言いたく無い。声に出して吐き出そうとするとまた落ち込む。

こみや
いつも自分にニコニコしてて欲しい。
冬で日照時間少ないから気分が沈む人多いみたい。俺もあるよ。
眉間にシワ寄せるのやめて。
疲れてるんだろうけど俺に当たらないで。
ほんと、うるさい。
そっちが鬱になって死にたいって病んでた時期、
私が必死に元気付けようとしてどれだけ神経使ったか。私はただ放っておいて欲しいだけ。
他に交友関係もないからって私に全部期待するな。

こみや
「(私の名前)ってさ」
「ううん、なんでもない」
って送ってきたからどうしたの?と聞いたら
「しょうもない事だから」って答えてこない。
なんなの?

こみや
一旦誰とも関わらず過ごしたい

こみや
一日中人に囲まれてエネルギー使っている私と、
毎日在宅で誰とも会わないあなたじゃ神経の擦り減り具合が違うんじゃないか。
居なくなりたい

こみや

こみや
それは周りが決める事だよね。

こみや
気の張った仕事を終えて1時間半かけて退勤して、
帰宅したらすぐギューしてだのベタベタされたら嫌だろ。私がおかしいの?たまにスキンシップ応じると『嫌々やってる』って文句。
だから嫌だって言ってるだろ

こみや
渡す前にいつものウザ絡みをれて、イラついてたら『他所に男がいるんだ』と冗談でいわれてカチンと来て、チョコを投げてしまった。チョコには申し訳無い。
一応いつもの感謝のつもりで買ったのに、なんでそんな冗談言うんだと伝えると『愛情不足だから』と。
そのあと頭冷やして仲直り雰囲気になると
『チョコはバレンタインぽく、ちゃんと渡して♪』と渡し方まで指定された気がいて一気にストレス。ご飯作って食べさせてテレビみてゆっくりしてたけど、また私が機嫌悪い、昔はそんな事なかったの話にもどり、喧嘩。
昔と一緒にしないで。

こみや

こみや

こみや
仕事や悩み事で疲れて気が落ちてるから、私はいつも機嫌が悪そうにみえてるのが気になるらしい。
『昔のように好きと言ってくれない。
愛情表現が欲しい。
ちゃんと目を見て話して欲しい。
冷たくされると余計にしつこくしてしまう。』
頼むから、そっとして置いてくれ。
ベタベタやめてくれ。
無理やり好きと言わされるのも苦痛だから。
ほんとは家でも誰とも話さず寝ていたい。
疲れたな

こみや
テンション高く、「ぎゅーして」「大好きー!」「可愛いねえ!」「居ないと寂しい」と毎日言ってくる。
ありがたいんだけど、今の心境だと応えてないとって、早く元気にならなきゃってプレッシャーがしんどい。出かけたく無い。人に会いたく無い。でも何もせず引き篭もるのも嫌だ。
死ぬのは怖い。けど生きてるのもしんどい。

こみや
元々ノーファンデ派だし。
アイシャドウもワンカラーでいい。
日焼け止めとパウダーして眉毛描けば外出れる。

こみや
このケアを3年位してるけど、気が付いたらニキビ滅多に出来ないし、酒さみたいな症状も落ち着いたな。ちなみにインナードライ肌。
良かったのかは分からないが時短優先。
🍓鼻は治らないがもういいや。
ケアもほどほどがいいんだな。

こみや
変化がなく過ぎ去る時間に恐怖を感じる。
まだ元気になれない

こみや
自信が欲しい。何か始めたいのに。
行動に移れないや

こみや
正直祝う気はなかったけど、形だけでケーキを送った。お礼のラインがきて、喜んでいるようだった。それに加えて『気が滅入っていたからまた頑張れそう』『父の世話をしたくない。嫌いだからケーキ食べさせたくない』と、いつもの弱音。
義理で電話しようと思ってたけど、しなくて良かった。今は他人のマイナスは受け止められない。
聞きたくない。

こみや
何かしていない時間が苦痛に感じてきた。
仕事しているか、寝てる時が楽。
余計なことを考えなくていい。

こみや
元気なフリをしないと。人前では。

こみや

こみや
はー。原因はなんだ。帰って慰めないと。
躁鬱は扱い分からないよ。明日仕事なんだけど。

こみや
幸せなことなんだろうけど、疲れるし少し怖いとすら思う。

こみや
もの好きな人もいるんですよ。

こみや
人を避けた業種だけど、業務内容は7割は接客業務。お客様には名前覚えて貰ったり、相談受けたり、クレーマー、癖強めな人の対応も任されたりする。仕事中は明るい人に見えているんだろうな。
上辺な愛想振る舞いはできる。
凄く疲れるけど。
人が嫌いな方が、接客向いてると思う

こみや
どこが悪いのか分からないけど、電車でヘルプマーク見せびらかして席譲れアピールされると、なんかなーって思ってしまう。譲るけどさ。

こみや

こみや
けど他人に合わせられない、優しい旦那にも強く当たってしまう私に、子育てなんか出来るのだろうか。ただてさえ在宅で旦那がずっと居る家が居心地悪い時もあるのに、更にもう一人増えるなんて。2年は仕事できないし。耐えられるだろうか

こみや

こみや
旦那との関係を見直して、この人との子供なら産んでもいいかも。と思うようになった。
海外旅行2人で行く目的を果たしたら、本格的に子供考えてる

こみや
うちの母親はちゃんと親の勤めを果たしている部分もあるから中途半端な毒でタチ悪い

こみや
苦労しながら産んでくれてありがと。
で、だから何?それ言う必要ある?
知らんし。って言ってやった

こみや
習字教室の先生の前でつい弱音を溢して泣いた事があっけな。
今考えると、当時小学生だった私によくそんなセリフ吐けたな。
学校行事も、部活の送り迎えもいつも自分ばかりと文句をよく言ってた。
そんなん子供の私に言われても知らない。
父に直接言えよ。

こみや
私は恵まれてる、愛されてるから、こんな悩み大した事じゃないからと
母を嫌いになってはいけないと自分に言い聞かせてきた。
でも旦那、知人、ここの人に母を「毒親」と言われて、ほっとした。気持ちが軽くなった。
親子の縁は切りませんが、私に期待してこないで。子離れして。
私は大人になったので、貴方がまた攻撃してくるなら、その時は対抗してやるから。
悪気がなかったなんて言わせない。たくさん傷ついた。
連絡してこない?貴方の誕生日、家族の問題事、地震の時など連絡してるんだから充分だろ。
なぜ連絡してこないのかを考えなよ。
それか可愛い可愛い弟に頼って下さい。
貴方とお父さんはすごくお似合いです。
お父さんを愚痴って自分の評価をどんどん下げてた事に気付ける日はくるのかね。
私が過呼吸になるまで追い詰められた理由、考えた事あるのかな?
なんであの時本音を話さなかったか分かるかな?
言って無駄な相手に言う労力は当時の私にはなかったよ。
数年経って、自分が当時荒れていた自覚は出たようだけど、今だに私に謝ってこないね?
まあいいさ。
貴方の思い通りにならない事が、私からの復讐です。貴方と2度と一緒に暮らしたくありません。
貴方の為に子供は産みません。
どんまいなお母さん。

こみや
私と母の昔からの関係の話は軽く話していて、
今回やり取りを久々に見た彼は、「やっぱり親子だね〜と、でも(私の名前)の言ってた事がなんとなく分かった」と。
正気を吸い取られたような帰省が終わり、
自分の家に戻ると、今までの事を思い出したり、これからの事、あの母は変わらないのだなと、ぐったりしていた。体調も崩した。
旦那が看病してくれながら実家の話になり
私は軽く語っていたつもりだったが、なんだか段々感情が込み上げてきて涙が出た。
幼少期、夫婦喧嘩が怖かった事、母が戻るのを待っていた事、言いたい事が言えなかった事、母を傷付けた事、孫も見せれない親不孝で、中途半端な娘であること、、、。
いろいろ思い返して、初めての話をして、旦那の前で子供みたいにわんわん泣いていた。私は人前でで泣きたくない。涙を見られたくない。
でも旦那には気を許して甘える事ができる。
そう思えたのも、つい最近。

こみや
母親同士もずっと仲良し。
その友達がもうすぐ出産をするから、
私と母、友達、友達の母と4人でお祝いをした。
妊娠報告を受けた時、私は本当に嬉しくて、お祝いしたくて産まれて来る赤ちゃんと、ママになる友達の為にプレゼントを用意して、帰省した。
友達のお母さんも凄く良い方で、たくさん苦労してきたのにいつも明るくて、周りから好かれてる素敵な方。4人でワイワイ楽しい時間を過ごしてた。
でも、楽しいだけで終わるはずはない。
母は友達の事を昔からよく褒める。
決めた事は必ず有言実行、頭も良くて、旦那さんを立てる、自分の母の老後まで考えて、親孝行で、もうすぐ赤ちゃんが産まれる。
もう私とは正反対で、また劣等感を深める。
私の横で親友親子を褒め称え、父に対しての弱音まで1人で苦労してますって顔でマシンガントークして、恥ずかしくなって私かふざけた振りしながら空気を変えようとすると不満そうな顔。
だから思わず口に出してしまった。
「そんな長年文句ばかり言ってるけど、じゃあなんでお父さんなんかと結婚したの?相手は自分を映す鏡だよ?」
鏡というワードに母はキレて、険悪になりそうだったので親友が仲裁してくれた。すぐ母は落ち着いた。お祝いの席なのに、何やってるの。
恥晒し親子。私も同レベルだ。
親孝行な娘に育たなくて、すみませんね。

こみや
母は私が帰ってくる事は喜んではいる。
美味しい物を食べさせたい、どこか連れて行きたい、私が居ると元気が出ると。
そういう気持ちは素直に嬉しいし、側から見たら仲の良い親子に見える。だだ、食べ切れない料理を作られて、結局ダメにしている所は鬱陶しい。
いらないって言ってるじゃん。
現在も父の事で苦労している人だから、たまにしか会えないから今回も暗い話を帰省初日からたくさん聞いてあげた。まあ溜まってたんだろう。
母が可愛がっている弟は家に関心が薄く、仕事も忙しいからと我が家の問題事、父の病気、泊まりがけの県外の通院、父希望の不本意な旅行などは私と兄に任せてきて、母の毒は吸ってきていないのに「頑張ってる末っ子息子」の立場をキープ。
いいよね君は。私みたいな嫌味は言われてないんでしょ?兄も受け流すの上手くて羨ましいや。
私は母を受け入れるしかない。親だもの。
まあもうそれはいい。弟は使えない。
でも母からしたら私は弟に厳しい。と。
だって、妬んできたもの。好きじゃないよ。

こみや
結婚、子育て願望がなかった。あの母を見て他人と一緒になると余計なストレスが増すだけだと感じたから。実際そうだった。
だから旦那にプロポーズされた時は正直複雑で、
断れる雰囲気じゃなく、別れる程の不満もなかったからとりあえず籍をいれた。法律で縛られたくはなかった。結婚して数年、旦那と母親から子供の話題を持ちかけられた。ずっと避けていたが、本音は欲しくないと先に旦那に伝え、後に母に伝えると予想通りの反応。
「子供を産まない人生を選択する思考が全くわからない」「私なんて4人目欲しかったのに」
「気が付いたら母になってるものだよ」
「あんたは自分が一番大好きだもんね。自由人だもんね」
「ほんと(父の名前)の娘」
がっかりしたような、呆れてる様子で言われた。
一番身近な手本になるべきな貴方がそんなだから、私はこうなったんだけど?
って言ってやりたかったけど我慢した。

こみや
「連絡もしてこないから、うちには娘はもう居ないと思ってます〜」
「あんたは私(母)が居ないと実家に帰ってこないでしょ?帰れる家がある事に感謝しなさい。」
「親の事なんかどうでもいいんでしょ?」
「◯◯ちゃん(私の幼馴染)なんて、親思いで、偉くて〜」
たまに電話をするとまた父の悪口。
兄や弟は愚痴を聞いてくれないから、たまに話す私に八当たりしたかったのだろう。娘だから話しやすいんだと。
数年後に祖父母は他界して、介護の負担が無くなり、母も歳を取ったからか大人しくはなってきた。けれども今も私を傷つける言葉は止まらない

こみや
私を他人と比べる事。小学生の頃は身長が高め、体型もふくよかだった私によく言っていたセリフは「◯◯ちゃんはしっかりしてるのに、あんたは身体ばかり大きいだけでー」
確かに私は頭も良くない、可愛くもない。
劣っている子だ。褒めて貰った記憶もちゃんとある。でも嫌な記憶は今でも鮮明だし根に持っている。私を木偶の坊扱いする発言に関しては
「好きで身長が伸びた訳じゃない」と伝えたらもう言わなくなった。
でも日々の嫌味は昔も今も無くならない母。
私が高校生になると、私に聞こえると分かってて「あーこれだから反抗期は」と嫌味を度々言われた。当時は弟が不登校で、弟への心配や通院で大変そうだからと、私は多少の体調不良を隠していたのに、それを機嫌が悪そう、反抗期。で片付ける母。当時は枕に顔を埋めて声を殺して泣いていた。それから私は泣くと過呼吸を起こすようになった。

こみや
だけど母は父もいるリビングで、父に聞こえそうな声で独り言のような文句をブツブツ言う。
それに気付いてピリピリする父。ヒヤヒヤする私。
年に数回だけど、父が母に手をあげる喧嘩を見ていた。忘れもしない。当時中学生の兄は止めに入るが諦めて自室へ逃げる。弟は父が投げたタバコを拾って。私は泣きながら喧嘩を止める。
母は車で出て行って、もう帰ってこないんじゃないかと不安でたまらず帰りを待っていた。
その間は父に「お願い仲直りして」と泣きながらお願いしていた。それから何度か母が車で夜中に出掛ける度に、部屋の窓から母の車が戻ってくるのを待っていた。不安で眠れなかった。
あの頃は母の事が大好きで、夫婦喧嘩=この世の終わり。くらいに思ってたから、何とか仲良くなって欲しいと必死だった。

こみや
愛情ももちろん感じていた。感謝はしている。
でも尊敬はしていない。
私が小学生の頃から父親、祖母の悪口を聞かされてきた。兄、私、弟の子育てと仕事をしながら、
義両親と同居はストレスだったのだろう。
今なら母の苦悩は分かる。よくがんばってきた人。でも当時の私には母の口から父の悪口を度々聞かされる事は辛かった。
