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こみや

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そういえば昔、母から「子供が居なかったら離婚してる」と言われた事がある。
習字教室の先生の前でつい弱音を溢して泣いた事があっけな。

今考えると、当時小学生だった私によくそんなセリフ吐けたな。
学校行事も、部活の送り迎えもいつも自分ばかりと文句をよく言ってた。
そんなん子供の私に言われても知らない。
父に直接言えよ。
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私は恵まれてる、愛されてるから、こんな悩み大した事じゃないからと
母を嫌いになってはいけないと自分に言い聞かせてきた。
でも旦那、知人、ここの人に母を「毒親」と言われて、ほっとした。気持ちが軽くなった。

親子の縁は切りませんが、私に期待してこないで。子離れして。
私は大人になったので、貴方がまた攻撃してくるなら、その時は対抗してやるから。
悪気がなかったなんて言わせない。たくさん傷ついた。
連絡してこない?貴方の誕生日、家族の問題事、地震の時など連絡してるんだから充分だろ。
なぜ連絡してこないのかを考えなよ。
それか可愛い可愛い弟に頼って下さい。
貴方とお父さんはすごくお似合いです。
お父さんを愚痴って自分の評価をどんどん下げてた事に気付ける日はくるのかね。

私が過呼吸になるまで追い詰められた理由、考えた事あるのかな?
なんであの時本音を話さなかったか分かるかな?
言って無駄な相手に言う労力は当時の私にはなかったよ。
数年経って、自分が当時荒れていた自覚は出たようだけど、今だに私に謝ってこないね?
まあいいさ。

貴方の思い通りにならない事が、私からの復讐です。貴方と2度と一緒に暮らしたくありません。
貴方の為に子供は産みません。
どんまいなお母さん。
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今回の帰省は旦那も一緒だった。
私と母の昔からの関係の話は軽く話していて、
今回やり取りを久々に見た彼は、「やっぱり親子だね〜と、でも(私の名前)の言ってた事がなんとなく分かった」と。
正気を吸い取られたような帰省が終わり、
自分の家に戻ると、今までの事を思い出したり、これからの事、あの母は変わらないのだなと、ぐったりしていた。体調も崩した。

旦那が看病してくれながら実家の話になり
私は軽く語っていたつもりだったが、なんだか段々感情が込み上げてきて涙が出た。
幼少期、夫婦喧嘩が怖かった事、母が戻るのを待っていた事、言いたい事が言えなかった事、母を傷付けた事、孫も見せれない親不孝で、中途半端な娘であること、、、。
いろいろ思い返して、初めての話をして、旦那の前で子供みたいにわんわん泣いていた。私は人前でで泣きたくない。涙を見られたくない。
でも旦那には気を許して甘える事ができる。
そう思えたのも、つい最近。
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3歳から今も付き合いのある地元の友達がいる。
母親同士もずっと仲良し。

その友達がもうすぐ出産をするから、
私と母、友達、友達の母と4人でお祝いをした。
妊娠報告を受けた時、私は本当に嬉しくて、お祝いしたくて産まれて来る赤ちゃんと、ママになる友達の為にプレゼントを用意して、帰省した。
友達のお母さんも凄く良い方で、たくさん苦労してきたのにいつも明るくて、周りから好かれてる素敵な方。4人でワイワイ楽しい時間を過ごしてた。
でも、楽しいだけで終わるはずはない。
母は友達の事を昔からよく褒める。
決めた事は必ず有言実行、頭も良くて、旦那さんを立てる、自分の母の老後まで考えて、親孝行で、もうすぐ赤ちゃんが産まれる。

もう私とは正反対で、また劣等感を深める。
私の横で親友親子を褒め称え、父に対しての弱音まで1人で苦労してますって顔でマシンガントークして、恥ずかしくなって私かふざけた振りしながら空気を変えようとすると不満そうな顔。

だから思わず口に出してしまった。
「そんな長年文句ばかり言ってるけど、じゃあなんでお父さんなんかと結婚したの?相手は自分を映す鏡だよ?」

鏡というワードに母はキレて、険悪になりそうだったので親友が仲裁してくれた。すぐ母は落ち着いた。お祝いの席なのに、何やってるの。
恥晒し親子。私も同レベルだ。
親孝行な娘に育たなくて、すみませんね。
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母は私が帰ってくる事は喜んではいる。
美味しい物を食べさせたい、どこか連れて行きたい、私が居ると元気が出ると。
そういう気持ちは素直に嬉しいし、側から見たら仲の良い親子に見える。だだ、食べ切れない料理を作られて、結局ダメにしている所は鬱陶しい。
いらないって言ってるじゃん。
現在も父の事で苦労している人だから、たまにしか会えないから今回も暗い話を帰省初日からたくさん聞いてあげた。まあ溜まってたんだろう。
母が可愛がっている弟は家に関心が薄く、仕事も忙しいからと我が家の問題事、父の病気、泊まりがけの県外の通院、父希望の不本意な旅行などは私と兄に任せてきて、母の毒は吸ってきていないのに「頑張ってる末っ子息子」の立場をキープ。

いいよね君は。私みたいな嫌味は言われてないんでしょ?兄も受け流すの上手くて羨ましいや。
私は母を受け入れるしかない。親だもの。
まあもうそれはいい。弟は使えない。
でも母からしたら私は弟に厳しい。と。

だって、妬んできたもの。好きじゃないよ。
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私は母の愚痴を長年聞かされてきたせいか、
結婚、子育て願望がなかった。あの母を見て他人と一緒になると余計なストレスが増すだけだと感じたから。実際そうだった。
だから旦那にプロポーズされた時は正直複雑で、
断れる雰囲気じゃなく、別れる程の不満もなかったからとりあえず籍をいれた。法律で縛られたくはなかった。結婚して数年、旦那と母親から子供の話題を持ちかけられた。ずっと避けていたが、本音は欲しくないと先に旦那に伝え、後に母に伝えると予想通りの反応。
「子供を産まない人生を選択する思考が全くわからない」「私なんて4人目欲しかったのに」
「気が付いたら母になってるものだよ」
「あんたは自分が一番大好きだもんね。自由人だもんね」
「ほんと(父の名前)の娘」

がっかりしたような、呆れてる様子で言われた。

一番身近な手本になるべきな貴方がそんなだから、私はこうなったんだけど?
って言ってやりたかったけど我慢した。
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20歳を過ぎて就職して家を離れると、また新たな嫌味を言われた。

「連絡もしてこないから、うちには娘はもう居ないと思ってます〜」
「あんたは私(母)が居ないと実家に帰ってこないでしょ?帰れる家がある事に感謝しなさい。」
「親の事なんかどうでもいいんでしょ?」
「◯◯ちゃん(私の幼馴染)なんて、親思いで、偉くて〜」

たまに電話をするとまた父の悪口。
兄や弟は愚痴を聞いてくれないから、たまに話す私に八当たりしたかったのだろう。娘だから話しやすいんだと。
数年後に祖父母は他界して、介護の負担が無くなり、母も歳を取ったからか大人しくはなってきた。けれども今も私を傷つける言葉は止まらない
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そんな母へのストレスは他にもあって、
私を他人と比べる事。小学生の頃は身長が高め、体型もふくよかだった私によく言っていたセリフは「◯◯ちゃんはしっかりしてるのに、あんたは身体ばかり大きいだけでー」
確かに私は頭も良くない、可愛くもない。
劣っている子だ。褒めて貰った記憶もちゃんとある。でも嫌な記憶は今でも鮮明だし根に持っている。私を木偶の坊扱いする発言に関しては
「好きで身長が伸びた訳じゃない」と伝えたらもう言わなくなった。
でも日々の嫌味は昔も今も無くならない母。
私が高校生になると、私に聞こえると分かってて「あーこれだから反抗期は」と嫌味を度々言われた。当時は弟が不登校で、弟への心配や通院で大変そうだからと、私は多少の体調不良を隠していたのに、それを機嫌が悪そう、反抗期。で片付ける母。当時は枕に顔を埋めて声を殺して泣いていた。それから私は泣くと過呼吸を起こすようになった。
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父は子供の前では夫婦喧嘩は控えていた人。
だけど母は父もいるリビングで、父に聞こえそうな声で独り言のような文句をブツブツ言う。
それに気付いてピリピリする父。ヒヤヒヤする私。
年に数回だけど、父が母に手をあげる喧嘩を見ていた。忘れもしない。当時中学生の兄は止めに入るが諦めて自室へ逃げる。弟は父が投げたタバコを拾って。私は泣きながら喧嘩を止める。
母は車で出て行って、もう帰ってこないんじゃないかと不安でたまらず帰りを待っていた。
その間は父に「お願い仲直りして」と泣きながらお願いしていた。それから何度か母が車で夜中に出掛ける度に、部屋の窓から母の車が戻ってくるのを待っていた。不安で眠れなかった。
あの頃は母の事が大好きで、夫婦喧嘩=この世の終わり。くらいに思ってたから、何とか仲良くなって欲しいと必死だった。
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この前の帰省で、改めて実家を離れて良かったと思った。母の事は嫌いではない。お金も時間もかけてくれて、親としての努めは果たしてくれた。沢山悩ませた事もあっただろう。
愛情ももちろん感じていた。感謝はしている。
でも尊敬はしていない。
私が小学生の頃から父親、祖母の悪口を聞かされてきた。兄、私、弟の子育てと仕事をしながら、
義両親と同居はストレスだったのだろう。
今なら母の苦悩は分かる。よくがんばってきた人。でも当時の私には母の口から父の悪口を度々聞かされる事は辛かった。

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