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年始は兄弟が実家へ帰ってくる。1/1の晩だけで良いから機嫌良く家族でご飯を食べようと、母に言われた。嫌だと言ったが「正月くらいお願い我慢して」と言われた。私が了承するまで続く気がしたので一旦了承してしまったが、1/1は終始無言を貫き通すつもりだ。今度タイミングを見て母に言わねばならない。「わたしが食事中、母と兄弟に話しかけることは一切ないし、そちらも話しかけないでくれ。そうすれば機嫌悪くはならないはずだから。」と。そこで「せっかくの正月なのだから」とか「兄弟なんだから」とか言われたら「逆にあなたは元旦の晩に元旦那がきますが仲良く一緒に食事をしてくださいと言われて、そうできますか?」「あなたは、あなたの妹と十数年にわたり喧嘩していましたよね?その頃は、家族の集まりがあっても、妹のことはガン無視して、場の空気を悪くしていましたよね?子どもたちに要らない気を遣わせていましたよね?」と言わせてもらう。その為言葉を用意しやすいようにここに書き留める。
両親は父の不倫で離婚したが、子どもの頃から母のヒステリックや父への当たり方や夫婦間のコミュニケーションを見てきて、母と父の両方が引き起こした最悪の結末だと思っている。
そして、母の妹すなわち私の叔母は、姉妹喧嘩が続いている中、病気に罹り亡くなった。叔母は病気に罹っていない頃も何度か仲直りしようと試みていたが、母が一向に折れず、病気に罹り余命宣告されるまで、母の機嫌は治らなかった。私は、母と違い、おじいちゃんに似ていて温厚な叔母が大好きだった。それがくだらねえあいつの意地で、まだ小学生だった私までも叔母と喋ることを許されなかった。家族の集まりがあれば隙を見てわたしのところに来てくれて「○○ちゃん元気?」と声をかけてくれる叔母が大好きだった。なので、叔母が余命宣告された途端に都合よく看病などし始め「もっと早くに仲直りしとけばよかった」などと小言をこぼしているのを聞いて、怒り通り越してびっくりしたのを覚えている。母のことはそれくらいから軽蔑し始めたのだと思う。私の時間や叔母の時間は取り戻せない。私が話したくても叔母と話すことも叔母と微笑み合うことさえも母に許されなかったあの期間をやり直すことはできない。私が生まれながらに与えてもらったもの、母は悉く奪っていった。「もっとこうしとけば良かった」ってセリフ、おじいちゃんの葬式の時も聞いたからそれ!って思った。母は後悔から学習ができず、同じような後悔を繰り返してる後悔だらけの人生なんだな、って哀れに思ったよ。でもそのせいで私は叔母や叔母との時間だけでなく、いとこまで失っている。父と母のせいで両親であるというステータスを失い、それに伴い、父方の親戚全てを失っている。大好きだった叔母の子(私の従兄弟)なんてもう一生会えない、たぶん。だってそりゃそうでしょ、私からしても何を今更だもん。余命宣告されてやっと仲直りとか言って身勝手に、看病なんかしに来て姉面しやがって、と思ったんだから。叔母の旦那さんなんか何倍も母への嫌悪はすごいと思う。だって、叔母の旦那さんからしたら、長年「もうそろそろ仲直りしようよ」と前向きに声をかけ続けた叔母を跳ね除け続けたヤツ、妻が病気になって余命宣告されるまで傷つけ続けたヤツ、愛する人を傷つけ続けたヤツ、なんだもん。罪滅ぼしかわからないけれど、叔母が死んでから従兄弟に対して毎日弁当を作って届け続けていたが、そのうち「もう要らない」と言われて、そこから一才の音信不通らしい。当然だろ、母のエゴにちょっとでも付き合ってくれただけ本当に優しいと思う。そんな毎日の弁当くらいじゃ拭いきれないよ。母は「前向きになる」ことの意味を間違って認識している。後悔した出来事に他人を1人でも巻き込んだのならば、前を向くより先に懺悔しなければならない。それに前を向くってのは、塗り替えようと、取り戻そうとすることじゃない。そんなのはただの自己満足でしかない。おまえのせいで辛い思い、酷い思いさせられた側はそんなんで満足できない。巻き込まれた人間はそんなもので都合良くおまえを許せると思ってるのか?そんなことで過ぎた日々は戻らない。穴は埋まらない。後悔したら、他人を巻き込んだなら、取り戻そうとするなんてことは烏滸がましすぎるんだよな。後悔したらエゴの押し付けでなく、次はやらないよう学習し自分を改める。過ぎたことがどうしようもないのはみんな分かっているので、せめて心から悔やみ一生しぬまで背負い続け、次また害を与えないようにしてくれ。せめてものお願い。頼む。叔母が亡くなり、母が生きてる事実、は皮肉でしかないが、私から奪ったもんの代償支払いながら生きて詫びなね。
まあこういう風に、私の母も私の兄弟もこういう風に頭が悪いんですよね。母は、私からあらゆるものを奪ったモンスターで、唯一の実の兄弟も、また母と似てモンスター。この血筋で唯一まともだったのは、温厚で聡明な母方のおじいちゃん(謎なことに母とは全然似ていない)と叔母であるが、2人とももう死んでいる。叔母の子ども(母のせいでもう会うことは許されないだろう私のいとこ)が、私のおじいちゃんの血を繋いでいってくれることを願いながら、こちら側の血は根絶やしにしますので、、どうか幸せになって欲しいと思います。わたしは正気ですが、汚れた血なので。
私はずっと思ってる。私にもすぐ会える距離に父がいて、父の親戚や叔母やいとこたちに会えたなら、少しでもこの孤独が癒えたかもしれないのにと思う。
母は従兄弟会なんぞと言い、定期的になんかやっている。本当に憎悪で膨れ上がりそうになる。前にあなたもやればいいじゃないと言われたけれど、すごいよね、私から全員従兄弟を奪った張本人が言ってくるんだもん。すごいよね。
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わたしの兄弟は、自堕落な自分さえも正当化し、自分は比較的有能だと誤認しており、謎の正義感を持ち、今まで人を傷つけるような行いや不正をしたことは一切ありませんみたいな顔して、自分を棚に上げてものを言う。頭が悪いせいで論理的に話すことはできないので、正論を叩き返されたり、都合が悪くなれば被害者ヅラする。そんな兄弟のことをとても軽蔑しているし、見下している。愛の反対は憎悪ではなく無関心だという名言があるが、どちらかと言えば無関心というよりかは、「淡白な蔑みや嘲笑」だと思うのである。
お願いだから子孫は残さないでほしい。
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私は薄っぺらい人が苦手で、じゃあ薄っぺらい人って何か?って考えてみると、ずっと具体的には言語化できなかった。思考が深い浅いもちょっと違う、「思考の浅い=考え込まない人」でもあると思うので、それだけではあまり適切な表現とは思えない。あとは、勉強できるできないも全然関係はないと思う。
って考えていった時、私が嫌悪する薄っぺらい人は、冷静な意見交換ができない人なのかなと思った。そのような人は、自分にはなかった意見に直面したとき、相手の言っていることの本質を考えようともせず、すぐムキになって、目に見えやすい言葉やものを使って相手より優位に自分を持っていこうとする。
対して、私の思う厚みのある人は、受け入れ難い意見に直面した時は、相手がなぜそう思うのかの理由を聞くなど、一旦受け止めて考える。そのうえで、最終的に、議論しても意味がないと感じた時は相手との境界線を保ったうえで、相手の意見を理解しようとする。「自分の意見は別だけれども、あなたがそういう風に考える理由については理解した」というふうに。要は、相手の意見を否定したり、無理に変えようとかはしない。
これらの理由から私は薄っぺらい人が苦手であり、そう言う人たちのことを、揶揄を込めて、"頭の悪い人"と呼んでいるのだなと。
ただ単に意見が合わないってだけならば、お互い見えてない視点を教えてもらえる良き理解者になる可能性もあるので、恋人とかでなけりゃだいたいの価値観の違いは、不仲の理由にはならないと思う。
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不器用なのは良いけど、不誠実なのはダメです
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こういう思考はどう言う意見であれ自分の意見や考えを持っているということが一旦大事だと思うし、それを口に出すことをタブーだとも思っていないので、友人との会話では日常茶飯事なのだけれど、たまーに相手のスペックを見誤ってこういう話をすると「へ?どうでもよくね?」「うーん、どうだろうね、わからない笑」みたいな答えが返ってくるのだけれど、結構失望しちゃうよなー!
例えば「考えはあるけど他人に言うのは恥ずかしい」とか、「違う意見なので言い合いになるのを避けるためにはぐらかしている」とかはあると思うけど、どちらにせよ、その人とは本質的な会話ができないとみて、どちらにせよ、失望する!
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ヴィーガンの人って、正直に血肉を喰らうのは気が引けるって正直に言っちゃえば良いのに、殺生がどうだこうだ辻褄の合わないことを言うのはいかがなものか、と思うね。植物も動かないけど生きてる。ビフィズス菌や納豆菌さえ生きてる。脳があるか意識があるかとかは命をいただくことには関係ない。なので、そんな偽善的な言い回しではなく、動物を食べるのは自分のエゴが許さないので、せめて自分の正義に抵触しない範囲の植物の命だけをいただいている、と言えば良いのに。
この世の中は弱肉強食で、自分が生まれたからには殺生は仕方がない。いただく命に感謝して、決して無駄にせず、いただいた分、今日も頑張ろう!ありがとう!で良い。理性があるとされる人間でも、逆らうことのできない自然の定理なのだと思う。ただ、同じ動物として、動物をいただいていることが、なんとも生々しく思えて食べられなくなったら植物の命だけをいただくことにしたら良い。
被災地募金とかペットショップには行かない(悪徳ブリーダーへの小さな反抗)とか、環境に優しい洗剤を使う(自然界に住む動物たちへの小さな配慮)とか、小さいし意味あるのか分かんないし、自己満足の範疇だとしても、個人ができる範囲の善ってあると思う。そういうのマインドってめっちゃ大事だと思う。塵も積もれば山となるし。だけれど、人には人のキャパシティがあるので、押し付けるものでもない。それと、主張が合理的ではないヴィーガンは善ではない。ただそれが悪と言いたいわけではない、その主張を善と主張することは、ただの偽善ではないかと言いたい。
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マイノリティ側って、自分がマイノリティであることを自分自身が特別視しすぎて過剰に反応しすぎて、客観的にフラットに自分と周りをある意味対等に捉えることができていない状態の人をよく見る気がする。同じ距離を走るけどスタート地点が違うとか、同じ距離を走るのに天候が違う、とかそんな感じで。
全てはマイノリティを差別してきた風潮からの自己防衛の態度なんだと思うけれど、その態度が偏見や差別を助長させるというか、その抵抗が逆効果な気がしてならない。制度とか権利に関わる部分については十分に議論する必要はあるけれど、日常的なコミュニケーションにおいて、目くじら立てるのではなく、「マイノリティいじりしてくる人は放っておく。」これが1番ではないのかと思う。
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自分が敬意を持って接することができる人たちの中で、顔や匂いや体格など身体的好みが合っていて、その中でも私のことを大切にしてくれる人(私を傷つけるようなことはしないように努めるという姿勢や相性を行動で示してくれる人)という認識を持てて初めて、恋愛対象として安心して好きになれるよね。もう10代の頃のように軽率に人のことを好きになれないのだわ。
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母に対してこんなにも憎いという感情と、母を失う怖さが共存している自分にも呆れる。どれだけ母に失望を繰り返しても、私はまだ母なしでは生きてゆけない。まだ私は、母以上に私のことを愛してくれる人のことを愛すことができていない。私のことを愛してくれる人の中には、私が愛することができる人はまだ見つかっていない。どちらが欠けていても満たされない。私が敬意を持って接することのできる人たちの中に、私のことを私の母以上に愛してくれる人を見つけられたとき、私もその人のことを安心して愛することができるから。
故に私自身のレベル上げが必要なのだ。頑張れ私。腹の底は自分にしか矢印の向いていない私を愛してくれる人の中に、素敵な人を見つけ出さないといけない。
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私が子どもの頃は母の機嫌伺ってばっかりだった。だからと言って良い子にはできないタイプだったけど、少なからず母親の顔色は伺ってきた。たぶん、他の家庭以上に。成績が悪かったりルールを守らないと叱られたりするのは分かるけど、普通になんで機嫌が悪いのか分からないときもあったりした。習い事の送り迎えのとき車に乗り込んだ瞬間、今機嫌良いか悪いかが分かるみたいな。機嫌が悪いと普通にコミュニケーションが取れなかったり、わたしは悪くないのにとばっちりを受けたりするので、機嫌悪いのを察知した時はどう母の機嫌を取り戻そうか、これ以上機嫌を損ねないようにとか、ビクビクしたことを思い出す。矛先が私でない場合、大方、父親か祖母が母の機嫌を損ねることをしたとかだろうけど。
まあそんなこんなで、この歳になって、母のせいでイラッとした時それを態度にだすと「なんであなたの機嫌を伺わないといけないの?」「ニコニコしろって言うんじゃないの。普通に会話できないの?」って言われるけど、あなたがやってきたことの報復を受けているだけなのに、それにも気付けない愚かな私の母。
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母は前に、ネズミ講にひっかかり、まだ中学の私も私の友達も私の友達の家族までも、巻き込んだことがある。母自身始めて割とすぐに、異常性に気づき、すぐやめたけれど、その一瞬でも、私や私の友達、友達の家族まで巻き込んだ事実、いまだに許して無い。なのに、また最近ネズミ講に引っかかった。今回は周りを巻き込んでいないだけよいけど、すぐに解約するように言った。「お金を振り込む時、何も契約書も同意書もなかった」と言うので、それを根拠にして、アホは簡単に説得させられるので、解約することになった。母はほんとうにアホなので、根本的に理解しないと、またネズミ講に引っかかると思うので、説明してたら、またヒステリックを起こすという。あゝ、この人は一生アホから抜け出せないアホなのだと。表現の仕様がない。
解約した日、「解約したよ」と言われたので、「おめでとう」と言うと、「安く○○できなくなった分、あなたがお金払ってね」と冗談っぽく言われた。ほらね、分かってない。やっぱりね、この人は思考ができない。だから原因はなんだろって考える前に頭に血が登って、考えることを放棄するから、おんなじことで間違いを繰り返す。「あの時ああして失敗したから、今度はこうしよう」ができない。「あれだけ言ったのに、全然反省してないのが分かった。ちゃんと考えなよ。」って言ったらたぶんまたヒステリックを起こす。
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今日も掃き溜めありがたい!
二十歳の頃のようなネガティブな私には戻りたくないので、すべのネガティヴはここに置いておく!私は私自身で私のプライドは守る!
内情は悲惨な家族だけれど、私の家族は人様の前で取り繕うくらいの金と見せかけの品はあるので、また現実世界では家族とは仲良いふりをして、なんの悩みもないふりをして、振る舞うのだ!
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ずっと気持ち悪いなあと思ってるんだけど、私の母は、私と意見の違うことがあった時、どうしてそういう意見になったのかという根本的な解決のための論理的な話し合いではなく、最終的に相手を傷つけることを言ったという部分にフォーカスが当てられて、話がいつの間にかすり替えられてしまい、ヒステリックを起こされるので、話し合いで解決できず、同じようなことで、また喧嘩になる。母はなぜ相手がそのような意見を言ってくるのか、よりも、それを言われて自分が悲しいとか責められてるってところにばかり神経がいくようで、あくまで先に感情が動いたのはこちらであって、その上で冷静に意見を伝えているのに、意見を言ったことに対して逆ギレされると、話し合いができない。こちらが気を使って、まず肯定から入っても、そうなる。
私の意見に対して、「○○だからこうしているのに、なんであなたはそんなこと言うの?」みたいなかんじで、なんていうかいつのまにか感情論争にすり替えられてしまう。ほんと頭悪すぎてイライラする。とんでもない性格の親に当たったんだから、かじれるスネくらいかじらせてもらうぞという気持ちで、今は実家にいる。嫌いな親に頼っててみっともないという意識よりも、もらえるもの全部もらっとけという意識が勝っている。
だから、何かあったときの母の常套句が「ここは私の家だから」なのだけれど、お前にそんなこと言う資格はまずないと、いつか言いそうになる。お前は自分と子どもの境界がまだついていなくて、私という子どもの存在に依存しているくせに、お前にそんなこと言う資格は一切ない。
「私みたいな子が生まれてきたら可愛がれる自信ないので、子供は要らない」と言うと「失礼な!」って怒ってきたり、母に「あなたを軽蔑します」と伝えると「そこまで子育て失敗したと思っていなかった」などと言ってくるが、勘違いしないで欲しい。私はお前のものではないし、
今の私を育てたのはお前ではない。
高校生のときから家が嫌いで、家以外のところに必死に居場所を作ろうと自分で行動して手に入れてきた、あなたには一切関係のない人たち、私が私の力で出会ったかけがけのない人たちのおかげで今わたしは存在する。
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匿名で書き込みをできる場が欲しかった。申し訳ないがここを掃き溜めとさせていただく。
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28歳、未だに親に対して「産んでくれとも頼んでないのに、」とかたまーに思ってしまう。大学までは卒業したけど、そのあとは一般的な社会人の道は進んでこなかった。逃げでもあり、好奇心でもあった。そんなこんなで色々あったので、何度か過去の自分の選択について後悔しそうになる瞬間もあった。でも「後悔してもしょうがないし、全部正解にしよう!」って結構気楽にハッピーにやっている。今、自分の周りにある幸せだけを見て、あの時別の選択をしていたら、この幸せは手に入ってなかったかもしれないというのことをいつも考えている。自分でちゃんと考えて自分が決めたことなのだから結局はめちゃくちゃ納得している。20代前半に遅れた反抗期が来て、結構ネガティヴ期だったけど、23.24歳くらいからは結構ずっとポジティブ人間だなあとは思う。だから死にたいとか希望がないとかではないし、やりたいことも山ほどある。ただ、親を見ると、「私ってこの人の血引いてるんだよね」と思ってしまうと、心がズドーンと重くなってしまうことがある。プライドがあるというか、大切な友達から可哀想って思われたくないので、カッコ悪い親の話はしたくない。だから誰にも話せない部分って結構ある。でも、心のどこかで自分の全部を話せる人を探してしまっている。けど、そんなの空から降ってくるはずもなく、大好きな友達はたくさんいるのに、ものすごく孤独を感じてしまう。
両親は父親の不倫で離婚、母親は小さい頃から否定型の過干渉という環境で育ち、大学進学で実家を出た。県外の大学に行けたのも奇跡のようなもので、母に県外の大学に行きたいと話したときは「それなら縁を切る」と言われたので、「それでも構わない」と反対を押し切った。ただ、母は仕送りも学生マンションの家賃も学費も卒業まで4年間全部払ってくれた。帰省したらもてなしてくれた。これについて、とても感謝している。ただ、「こんなにしてあげたのに」的なことを言われる筋合いは全くないと思っている。「もっとひどい生い立ちの子もいる」とか「大学行かせてもらえただけありがたいじゃないか」とかそんなこと言われても、自分の産んだ子くらい責任持って大学まで行かせるのは親として普通だろと客観的に思ってしまう。「親は子供を大学卒業させるのが普通で、子はそれに感謝する」それで良い。のに、恩着せがましく、「大学まで出してやったのに」とか親側から子は言われる筋合いはない。「嫌なら産まなければよかったのでは?」としか返す言葉がない。私は私の決断に責任を持って後悔したってしょうがない、これからどうして行くかを考えたいのに、「こうなるくらいならこうしとけばよかった」とか言われると、一緒にいると不幸が移りそうで、嫌になる。私が何も後悔せずに生きてるのがムカつくらしい。実際に「大学卒業したのに就職しなかったこと、後悔しろよ」と言われたことがある。
また、兄弟はいるが、馬が合わず(わたしの家族は父と母方のおじいちゃん意外は感情論でものを言うので、論理的に話したい私はイライラしてしまう)、相談なんてできないし、不倫した父にも相談はしたくない。おじいちゃんは高校生のときに死んだ。
母は散々私のこと振り回してきたんだから、私も気兼ねなく振り回せる、もはや、母の気持ちなどどうでも良いとも思ってしまうこともある。ただ、母も気の強いおばあちゃんのもとでストレスを抱えながら生きてきた被害者なので、同情はしてしまう。だから完全に突き放すこともできない。
21.21歳くらいの頃はずっと死にたいとさえ思っていた私が、親から離れて暮らしたおかげで、就職せずに好きなことをして生活したおかげで、出会った人のおかげで、ここまでポジティブになれたのに、母も被害者なので、心のどこかで私に自分を投影して、私の楽観的な部分が気に入らないのだろうなあ。
訳あって、今は母と一緒に暮らすのが自分の為に最善策なので、そうしている。結構図太くなったので大丈夫だろうと思っていたのがやや誤算で、考えなくてもよいことを考え、母にも考えなくても良いことを考えさせている気もする。
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