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己の内の内を露呈するのみ
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刀と、尾も白い六人組(時々🌈🕒(🌙🍼のみ))の絵とか小説とか。
自我うるさいです。苦手な方は自衛のほどを。
くれぐれも私の創るもの・綴るものに秀逸さは求めぬよう
イラスト
小説
パニック障害
双極性障害
刀剣乱舞
ワイテルズ
おりコウ

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それは弱小作家(作家なんて大それた名を語るんじゃない)の手に負えないほどで、「作品が独り歩きしている」とはこのことを言うのかと納得した。私の元に戻っておいで…。

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歴史上人物を含めた登場人物全員が座礼で幕を閉じるというのはなかなかイレギュラーなもので。そんな終幕を前にした初見の私は彼らの物語がちゃんと完結したのを感じれないままあれよあれよと2部を観劇したのを覚えている。観客が言える立場でないけど、なんとなく不完全燃焼(煮え切らない?)という言葉がよく似合う終わり方だと思っていた。
ただ、今回のポストを見てから改めて幕引きを見てみると「必ずしも有終の美で終わらせなくてはならない終わり方などない(=全てが正しい歴史に修正できるとは限らない、必ずしも正しくあれるとは限らない)」という、彼らの背後には残酷だけど当然だと言えるような道理があるように思えた。だからこそ、これは断じて不完全燃焼な終わり方なのではないのだ。これは綺麗事のない極めて綺麗な終わり方なのだと、正しい川の流れであり、それの正しい塞き止め方だったのだと。そんな終わり方であることこそが江水散花雪を江水散花雪たらしめている要因なのだと思う。…全てが面白いくらい見当違いかもしれないけれど。
例え間違いだとしても私はこの物語にそのような解釈を抱いているし、刀ミュの中で1番好きな作品が江水散花雪だから、これからも自分の中でこの作品に対する解釈を深めるようにしていきたい。

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花影に出てくるカゲの髪が無造作なのにお化粧が華やかなのって「人は初対面の時に顔(特に目)を見る場合が多いから力を入れてお化粧したけど、表に出ることがないから髪まで綺麗にしないといけないのは知らなかった(もしくは本人の中で優先順位が低かった)から」なのではないのでしょうか……。
仮にこの考察が正しいのだとしたら、彼の本物でありたかった、役に立ちたかった、愛されたかったという気持ちの強さは凄まじく、そしてそれは自己を確立する為に必要で、そしてかけがえのない想いだったのかもしれないですね。その為に自分を綺麗に飾り付けていた、それなのに影打ちであることはやはり見破られ結局一期一振にはなれなかった。
カゲはどこまでも純朴で、それでいて報われることはずっと叶わない存在なんですね…。どうか、どうか別の形ででもいいから、彼には幸せになってほしい。

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最近様々な方からいいねを頂くことが多いです。私はいつの間に徳を積んでいたのでしょう。


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かと思えばしっかり自我を持って行動しているように見受けられる言葉もあるので見方によってはどちらとも受け取れるんです。それがなかなかに難しい。それはそれとして彼の思考は考察しがいのあるものだと思います。もっと彼のことを知りたい。

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(破壊はお守り持たせても怖かったので回収してないです。弊宅の肥前には必要以上にボロボロになってほしくない。)

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推しのネタバレを控えたいのならSNSを見るなとあれほど……………。

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弊宅の肥前へ。たとえ旅先で嫌なことであろうとも、それに向き合うのは確かに大切なこと。だけど私はそれが最適解であるとは限らないと思ってる。だから、心の底から辛くて苦しくてやるせなくなった時は、とにかくご飯をたくさん食べてきて。幸せをこれでもかというくらい溜め込んできて。食費とか気にするんじゃない、明日からの4日間は貴方が己に向き合う為に用意された時間なのだから。
大丈夫。貴方は、絶対に強くなれる。

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匂いは記憶に結びつきやすいというのはよく聞くが、本当にありありと思い出せるから凄いものだ。

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#しろっぽ


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本当、そういうところだぞ。

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友人がどうかは分からないが、私は学校に行けなくなった数年で諸々の考え方が大きく変化した。そのせいで友人の考えを尊重はできても受け入れることが少し難しくなってきたことに気づいた。
背が伸びたね。いい意味でも悪い意味でも。

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やばいよ〜、今のところ本音で話できるのカウンセラーの方と主治医の先生しかいないよ〜、1ヶ月に1、2回しか会えないのに〜悲しい人間。

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うーん、でもやっぱり土佐勤王党時代(=特命調査範囲内)の岡田以蔵の深掘りが最有力候補だよなぁ。
あと気になるのは肥前がこの修行を通して大業物としての威厳を取り戻してくるのか、それとも人斬りの刀という肩書きを完全に受け入れてそこから自分なりに「肥前忠広の在り方」をもう一度見つめ直し、現実をそのままに受け入れることにするのか。いずれにせよ、斬る為に使われることに対して抱いている劣等感、それと同時に発生する斬ることでしか自分の価値を見いだせないという救われない想い・思考(あえてこの表現にさせてもらう)が如何に変化していくのかがとても楽しみであり少し怖い。まぁ、どうなろうとも私は新しい貴方のことだって大切にする他ないのだけどね。だから。恐怖だって、後悔だって、なんだって。一緒に立ち向かっていこうな。

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ワイテが活休してから個々の活動は応援していたしまちまちではあったけどどうにか追っていて、でもどうしても悲しさが勝ちそうだからという理由でワイテの過去動画は数ヶ月間一切見れなくて。
だけどずっとそうしている訳にもいかない、そもそもここまで気を病むのはワイテルズが大好きだからだ、だったらこれからもたくさん見てずっとずっと記憶に残しておこう。と心に決めて再生して、そうしたら毎日のように楽しく動画を見ていた頃を思い出して今まで離れていたことを悔やんだりして。これでやっと自分も前に進めたと、安心していた…のだけど。でも、モノパスの動画だけは見れなかった。応援はもちろんしていた、けれどどうしてもモノパスにワイテの面影を感じてしまいそうで、このままだと素直な気持ちで応援することができない気がしていたからモノパス関連の情報は一切入れないようにしていた。健康鯖とか、その他4人が関与するものも見れなかった。
でもこの前あの頃のようにもう一度意を決してモノパスの動画を見てみた。(Akiraさんが居るから)編集が変わっていないこと、彼らの間にある空気感に人数は違うはずなのに6人の名残があること。そのどちらも受け入れられないと思い込んでいたけれど、蓋を開けてみればそれが安心感を感じさせる要因になっていて活休になってからの私の心の空白が埋められていくような感覚を覚えた。形は変わってもずっとワイテルズと共に歩んできた2人がメンバーになったのだからそれもそうかとちょっと笑いそうになったけど、とにかく何もかもが懐かしくてとても心地よかった。
今でも毎日見れるくらいになってはいないけど、それでも前よりはモノパスの活動もちゃんと見れるようになった。みんな前に進んでいってる。これから先もずっと、ワイテルズ、モノパスに幸あれ。

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世辞の可能性の方が高いが、それでも「可愛い!」「似合ってます!」と言ってくれたのは素直に嬉しかった。
結局(半ば強制的に)試着をするだけしてそのまま売り場を後にした。向こうはとにかく売りたい一心で勧めてきたのだろうけど、こちらとしては申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも仕方ない、今はお金が無いのだから。………………。
これが本日のハイライト。

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インターネットはいつだって生の隣に。そんな人生の先行きがどうなるかなんて、いつになっても分からないのだろうけど。

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そうしたら一連の話を聞いてくれたカウンセラーさんが「おわりさんは適応力があって冷静な判断ができる人だね。それって凄く強みだと思う」といったことを言ってくれた。自分には何もないと、そんなことは褒められるほどのものではない(=一般的にできること)と思っていただけあってそう言ってくれたことが凄く嬉しかった。
視野の広さは自分が辿っていく道を灯す明かりの強さに直結していると思う。だから私も視野が広い人間になりたい。自分の人生の暗く隠れている部分を少しでも明るく照らせる人間でありたい。その為にも色々と勉強しないと。

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(勘違いしないでいただきたいのは、肥前と後家と小竜と物吉が特に大好きな(=推し)だけであって、ちゃんとみんな好きです。)

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まぁ、これで予想が外れていたらその時はみんなで笑えばいい。早とちりしすぎだってね。それくらいがいいんだ。それくらいが。

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夢絵だとしたらまだなんとか呼吸できてただろうけど、これが現実でしかも自分が体験したという事実に不整脈起こしそう。あの、もしかしてリアコ製造機だったりします???

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