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知るの目的は行動で、知る所ではない。
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理智的に行動するためには智以上の或るものが要る。

——ドストエフスキー
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もしもう一度生涯を送ることができたなら、私は少なくとも週毎に一度は何かの詩を詠み又何かの音楽を聴くという規則を設けるでしょう。

——チャールズ・ダーウィン
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私は惟う、故に自我(わたし)は在る。
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諾 yes・否 no
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厳密にいわゆる自然淘汰にあっては、それは弱き者が群れから推し除けられることにほかならない。性淘汰に於ては、それは主としては美の魅力にほかならない。
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   𝑥² ≡ 𝑥 (mod. 2)
 合同式は相等式にほかならない。そしてこれを、
   𝑥² = 𝑥
のかたちで書くなら、それは排中律を表現することになる。この二次相等式を解くと、それが、𝑥 = 0 または 𝑥 = 1 をしるし示していることがわかるからである。
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ひとは、すくなくとも毎日、ちとの曲を聴き、いい詩を詠み、うるわしい絵を見て、もし可能なら、二、三の理性的なことばを発するべきだ(拙訳)

——ゲーテ
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常凡の有神=無神論論争にはもう辟易だ。そんな議論を闘わしているということは、すでにして、すなわち神(ens necessarium)を前想定(presuppose)しているのだということに、どうして気づかぬふりを装っているのだろうか。
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故人(有名人)に「さん」をつける人はいったいなんなんだ……。物故した人の魂と相識なのだろうか。
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精神分析はたわ言にみちた似而学問ではあるけれども、ラカンのいう「主人のディスクール」は人びと皆踏まねばならぬ段階だと思う。
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ガウスは哲学においても間違えない。数学は「眼の科学」だと宣言したときも、「諸科学の女王」であると宣告したときも、正しかった。
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数学科にいると、しばしばガウス御大の途方もない知力にひれ伏すしかない場面があるのだが、それに較べると哲学者や物理学者の天才などとるに足りないと思えてくる。
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「†本当に頭のいい人†はわかりやすく教えられる」という俗物の発想は、「わたしはバカではない」と思い込みたいバカのナルシシズムと、今聞いている説明がわからないという状況との矛盾を解決するためにこしらえた言い訳であり、居直りです。やがてじぶんはゼッタイにバカではないと信じなければ精神の平穏を保てないメンヘラが多く跋扈するに至り、お互いの傷を舐めあって「わたしたちバカじゃないよね?」と確認しあう共犯関係が形成されて行きます。すると数を得てだんだんに凶暴化してゆき、本当に頭のイイ人はやさしくわかりやすく説明してくれる筈だという教義をでっち上げ、わかりやすくはないが厳密で誠実な説明を試みる人びとをも迫害するようになります。

と、こういうことを言うと、それでもじぶんのナルシシズムに倚り掛からねば気の済まない人たちが、「じゃあお前はじぶんが頭イイと思っているのか?」という、じぶんたちの教義をもとにしなければ成立しない虚しい反問を思い浮かべるでしょう。
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あらゆる学問が何らかの仮定を立てて、ここから推論をひきださなければならないのだから、必ずや数学の援けをかりなければならない。逆に数学の手助けなしに成りたっているかに見える学問は、その推論が論理的に可能であるか、もしくはその推論が必然的であるかを保証する論拠をいっさい持たず、それゆえに学問にもとめられる普遍性や一般性を持たないのだから、それは学問ではなくて、口先だけの教義である。
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たんなる「問い」であるにすぎないのに、「疑問」という言葉をもちいる者たち。疑問は英語でいえば、interrogative objection であろうが、そんな微妙な表現をつかう場面などほとんどあるはずもなかろうに、漢字二文字にすれば「雰囲気」が出るとでも思っているのだろうか。
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最近「〜だと思いました」というたぐいの感想の風を装ったやや批判的なリプライを、Twitter等でよく見かける。なぜか彼らはきまって過去形で表現するのだが、これは英語では、過去にはそう思っていたが、今ではそうではないことを含意してしまうので、非常に不気味な文章である。
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「論理的には支離滅裂な文句が、言葉の暗示的な魅力によって、多くの国民の心を捉えた。定義されないが、一種の雰囲気をもった言葉が、意味ありげにつみかさねられ、論理的内容が空虚であるにも拘らず、思想の代りに、思想よりも有力なものとして、通用した。——その結果が、日本国民にとって幸福なものであったとは、どうしても考えられない」(加藤周一「日本語の運命」)
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「これは極めて遠い深い原因から生じた我々日本人の欠点であるが、我々は時の権威あるらしい人々から投げ与えられた一定の言葉を、面倒臭いから或はこわいから、無批判無反省に受取って銘々勝手な都合の良い内容をよい加減につめこみ、事ある毎にこれを合言葉として派手に、私利の為に用いる癖がある。思想と言葉との完全な分離、否思想の無い言葉の乱舞が文化面に現われる傾向がある。古来の名言格言も哲人の訓戒も、無責任政治屋や似而非国士の壮語と同列に合言葉にされてしまった」(渡邊一夫「思ひ出と希望(放送草稿)」1945年12月)
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或る学問が役にたたないだの無用だのといってのける型の人間は、きまってそれに通じていない。しかし或るひとが、或る事柄に通じていずしてそれの現状を論判できるのなら、彼の立論の論理的脈絡を正せば、彼は、それは未来永劫、とうてい改良されうべくもない、とまで極言すべきである。いつか改良されて役にたつかもしれない。こうすれば、ああすれば、自分も興味を持つかもしれない、などと口にするのは、不整合であり偽善である。
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きょう、眼に余るほど推論というものを誤解しておられる或るひとがいたので、以下に基本事項を挙げておくことと致します:

[……]推論に相異なる三種がある:〈演繹論〉、乃至は𝒂̀ 𝒑𝒓𝒊𝒐𝒓𝒊 な推論と、〈帰納論〉、乃至は𝒂̀ 𝒑𝒂𝒓𝒕𝒊𝒄𝒖𝒍𝒂𝒓𝒊𝒔 な推論と、〈仮設論〉、乃至は𝒂̀ 𝒑𝒐𝒔𝒕𝒆𝒓𝒊𝒐𝒓𝒊 な推論とである(Peirce, CE 1, p. 267,私訳)

第一番目は、アー・プリオーリーな推論ですから、すなわち端的に必然的な——故にまた、事柄の理念的状態 ideal state of things を繞る——推論であります。次のパースによる優雅な論証を参照して頂きたい:「完全な知識以外から必然的結論を抽きだすことは不可能であり、又、実的な世界についての知識は何一つ完全なものたりえないのだから、この定義[ベンジャミン・パース Benjamin Peirce による数学の定義「必然的結論を抽きだす学」]に従えば、数学は、もっぱら仮設上の対象に対して関係せねばならぬという事に帰著する」(PM: 7,私訳)。第二番目は、第一番目が観想的なもの theoretical であるのとは違って、実際的なもの practical, positive であり、いきおい蓋然性 probability に係らざるをえません。これは、或る任意のサンプルおよびサンプル全体の割合を比較するところに存しております。第三番目は、〈溯因論〉Retroduction, Abduction とも呼ばれます。今は割愛いたします。
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音楽とは、数えていたことへの自覚なしに数えることからくる感覚(sensation)にほかならない。

——ライプニッツ
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日本語——これは、いうまでもあるまいが、日本人的精神の産物にほかならない——にあっては、皮肉 irony が発達していない。これは、日本人が、歴史的に、対等な他者とのすんでのところでの対話の機会にめぐまれていなかったことの一つの証拠ではなかろうか。
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数学とは、理性の音楽にほかならず、音楽とは、感情の数学にほかならない。——詩は、その中間に生きている。

——スティーヴン・ストローガッツ Steven Strogatz
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蓮實重彥
[……]みんな、批評というものを解釈だと勘違いしてしまったんですよ。解釈といったって、形式を読むこともしなければ、ましてや魂の唯物論的な擁護などと思ってもみない。共同体が容認しうるイメージへと作品を翻訳することを意味の解釈だと思っちゃった。[……]
批評の第一の役割は、作品の意味が生成される可能性を思い切り拡げることであり、それを閉ざすことではない。ところが、みんな、無意識に意味生成の場を狭めればそれが主体的だと思ってるんです(『闘争のエチカ』)
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パース「ダーウィン氏は、統計学的方法を生物学へ適用したいと提案なさった。同じことが、広くへだたった科学分野でなされてきた。すなわち気体の理論である」
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パース「論理学の研究に関心をよせる人など、めったにいるものではありません。というのは誰もが、推理の術(the art of reasoning)がすでに十分身にそなわっているものと心得ているからであります。しかし私は、こういう満足感は自分自身の推理能力(ratiocination)に局限されていて、他人のそれにまで拡張されてはいないということを観察しております。」
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日本語に「形式的」主語も存在しなければ、「形式的」連語(copula)も存在せず、したがって「形式的」命題も存在しないのだから、従って𝑙𝑎𝑛𝑔𝑢𝑒としての日本語は「精密」な表現を許さない。だがこれは𝑝𝑎𝑟𝑜𝑙𝑒としての日本語の問題ではない;文学的優雅(literary elegance)を捨て去って奇特な文体——たとえばアリストテレスのそれのごとき——を選ぶだけでよいからである。肝腎なのは、しかし日本語の語彙が学問 ゠ 科学の術語体系(scientific terminology)をうけとめえないということであり、この点はいまだ解決されるにいたっておらぬばかりか、解決の糸口すら見えていない。
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ヒューム「彼らは、魔女というものをかたく信じている;にもかかわらずユークリッドのいちばん単純な命題すらを信じることもなければ、それに関心を示すこともないのであります。」(拙訳)
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consist inの巧い訳し方がマジでわからない。
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千葉雅也がついせんだって「アリストテレスのオルガノンを久しぶりに見て、これがこの時代にかー、と、あらためて、勝ちようがないなと思った」とツイートしていたが、おれはこういうものにしか人生を費いたくないと改めて思った。アリストテレス、スコトゥス、ラブレー、ライプニッツ、パース。そう、こういうものにしかおれは関心がないのだった。
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『「純粋理性批判」を立て直す カントの誤診1』を、本屋ですこしばかり読んで見たが、カントをすこしも理解していないし、理解しようと試みてさえない、という印象を受けた。もともとヴィトゲンシュタインの研究者であったらしいその著者は、だからドイツ語が読めるはずなのだが、原典の研究に即していないことが明らかなように思われた。
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このツイートを見て、この「哲学者」に対するすべての信用を失った。
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侍(さぶらい)、士(さむらい)
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日本語(自国語)をよく知らないのに、英語(外国語)などやっても意味がない、という言説をたびたび耳にする。しかしこれは逆だろう。ゲーテがいみじくもいったように、外国語を知らぬものは自国語を知らない。殊に、これは日本語と外国語との関係に対して妥当する、と私は思う。
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数学のなかでも数学基礎論(数学の論理学)はヤバイ。論理学のなかでも論理学基礎論(カテゴリー論)はヤバイ。カテゴリー論は、哲学のなかでいちばんヤバイ分野。足を踏み入れてはならない。
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