
デネーブの息子
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ピアノ
早寝早起き
ひとりの時間も大切
のんびりもアクティブも両方好き

デネーブの息子
さっきはあんなに有り難がったのに
コトが終わると諸行無常を感じたり
価値は場所と時間を飛び越しにくい
要らない時もいつか要ると保存する
見ない番組データを山ほど溜め込む
明日死ぬかもしれないのを忘れてる
明日くらいは来るだろうと予想する
明日が来れば、いいね、そのうえで
楽しい日にしよう、その準備はまた
明日すればいいさ、それが前提の話
君を僕のものにしていないけれども
人は人を所有する夢をみるけれども
そんなことは夢うつつ全部無くなる
いま胸に持っていて、何かの拍子に
明日それが出たとしたら君のものさ

デネーブの息子
彼にナゼ?と訊くか訊かないか
けっこう人生に影響するちがい
違うことそのものが人生の違い
自分が抱いた疑問を解消する為
だけに、他人に質問する性格は
元々フレンドリー、だからこそ
他人に興味あって泥を抱えない
分からないのに当人になぜ?と
訊かないのは、内気いじょうに
なぜ、を温存することによって
アイツはイミわかんないぜ、と
評価を固定する好意におもえる
なんで分からないのに訊かない
ではなく、分かりたくないから
訊かない‥‥‥‥それはなぜ?
流転を怖れる箱入り娘なのか?
受身人生の弊害は間違いない?
とにかく難儀なやり方に見える

デネーブの息子
我慢しないでツンケンすりゃいいのさ
調節してるつもりでも下手なんだから
最悪ツンケンしてると思われるだけさ
自分がどう見えてるかなんて、たぶん
一生わからない、どんなに客観しても
あんたはあんたから出られはしないさ
ブラフマンやアートマンごとあんたさ
自分のケツをぬぐうというのはつまり
他人のケツはぬぐわないことでもある
ぬぐえないだろ、自分のケツさえ今は
あんた自身は、あんたがいる場所自身
預かりしれぬあんたがいないところの
責任をどう取れない、あんたの影響を
受けた人が何を言おうと、しようとも
そいつらのケツまで心配するってのは
第一おこがましいし大嘘つきだ、そう
あんたはハッタリも打てない小心さを
真面目さと言張っている自己中心的な
大嘘つき、平均的な常識人で、つまり
雑踏に紛れて時々足を踏まれ、時々は
踏み返そうとして足踏みするような人

デネーブの息子
人生の無常をふと悟ったりする、そうして
いそいそ後始末やなんかをしているうちに
スッパリ哲学者から足を洗ってまた生きる
哲学はホトホト、死に対面した場合の道楽
終わり頃の感覚をずうっと維持できたなら
おれはめっぽう賢い、シカバネ一歩まえだ

デネーブの息子
ツマンナイ男にひっかかる
っ表現があるがその意味は
どんなものだろう‥‥‥‥
ツマラヌ男は女をだまして
お金とか自尊心を奪い結果
不幸な状態にしてしまうが
そういう男はヒモの能力も
もちろん無いヒモは忍耐だ
ツマラヌ男は無責任な振舞
頭の中は生きる術で一杯で
基本他人の心情に無関心だ
ツマンナイ男はまだ世間で
ツマンナイ女くらいいるな

デネーブの息子
自分が誰かに忖度するのも
やぶさかでないようなのだ
それはそれ、仕事上のこと
と割切りか売買春かの考え
それが不潔で卑しく見える
人生に、人に対する姿勢に
仕事も非仕事もないと思う
必ず双方は同じ源から出る
一方的に身を引き引かせず
忖度せずに解決する方法を
模索しようともしない姿勢
波風立てずなんて、世の中
あるように見えても、嘘だ

デネーブの息子
近づいて喋ったりする習性みたいなもんが
僕にはある、もとはみな元型からきてると
だから嫌いな人などいない筈だ、と考えて
しかしそれは自分をおごってることが多い
直感で感じた違和感は押し殺しても、必ず
忘れた筈でも、必ず首をもたげてくるのだ
僕の場合、利己的な部分を厭なものと見る
利己心は誰にでもあるが、それを衒いなく
正当化しているのを見たら僕の神経に障る
言ってみれば嫌いになる、きらいになれば
好きにはなれない性分のようだから、困る

デネーブの息子
人生に波があった方が楽しいとも思える
人生は波間の椰子の実みたいな物だから
流戻るなんて無駄な努力、ハッタリでも
なんでも決めた方向に行こうとする他は
できないワケだ、後悔しないのは難しい
それに成功したなら禅者みたいなものだ
椰子の実みたいな禅者みたいな生き方は
すごく楽しいと思える、過去の出来事を
ジクジク思い出して陰湿な自己愛を抱く
なんて楽しみは、結局長続きしないから

デネーブの息子
何故か分っても分らなくても
あぁそうなのかと放置すれば
それは素直な強さを持ってる
何故嫌われたのかも分からず
いや寧ろ分からないからこそ
嫌い返す心情は分からなくも
ないが、これは上と対照的に
強くないし自己中心的心情だ
嫌われた事実を認められずに
嫌った相手のアタマが変だと
片付けた積りなのだろうから
好くのも、嫌うのも人の勝手
その人の自由意識にすぎない
そこにはまぁ、入り込めない
放っておけばいいだけのこと
来るものは拒まず去るものは
追わずというのは心の強さだ
逆ギレするタイプと、関係が
上手く行ってるなら、それは
共依存かもしれない、離れろ

デネーブの息子
見る角度やらシガラミやら利己心やらで
相対的な判断は、馬鹿みたいに反転する
それに、正しかろうが間違っていようが
主張しようとすると、なんか妙なカンジ
正しいか間違ってるか知りたくなったら
もうその題材に絡む努力は終わっていて
ヒマつぶしのような段階にあるのだろう
そんな段階の主張に付き合う義務も無い

デネーブの息子
楽しい気分を盛り上げて生活したから
気分が二極化してしまったかもしれぬ
本当はもっとたくさんに分かれている
気分が二極化した感覚があるなら寧ろ
一極化することもあるから、せいぜい
最悪の方はタイムマシンにでも乗せて
風化させてしまおう、過去へ置去りだ

デネーブの息子
日本の神の定義に賛同する
神はとにかく触れないもの
良きにつけ、悪しきにつけ
神の決定は事実として在る
神は願いを叶え災いを呼ぶ
家を富ませ、神隠しをする
全く喰えない存在といえる
自分の周りの人間をすべて
神と見なしたらどうだろう
彼らの性分は、変わらない
話して分かったフリほどに
話して分かることも、ない
神は偉いだろうが喰えない

デネーブの息子
応援のつもりの拍手なのだろうが
テレビで見ていたら拍手はしない
応援はしていても、現場とちがう
共時性に興奮して興奮してる己を
拍手で表現したくなるから、だけ
ではない気がする、拍手の表現を
している自分を自分以外の人にも
見られたい気持ちがあるのだろう
何もしない自分は見られる価値が
ないとは言わないが、明確な理由
みたいなものがある方が安心する
無条件に感動すること、を語った
岡本太郎の言わんとするところを
色んな理屈をつけて自己表現する
大抵が、独立には足りない表現が
そこら中にありふれた社会の中で
もっと真剣に受け取られたらいい

デネーブの息子
嘘かホントか、まぁ盛るだろうが
それを発表するのはそこに本気で
自分の価値を置いている振りして
それ以外の価値があるのでは、と
他人に言って欲しい甘えん坊だが
それに忖度する気分になることも
無くはないが、その動機はたぶん
卑しい類のスケベ心かもしれない
絡むのも絡まないのも時々疲れる
ほど々に恥をかいてやっていこう

デネーブの息子
回答数 51>>

デネーブの息子
僕には寝覚めが悪い人間って印象だけど
自分の目的のために他人の目的を潰して
自己正当化するなんて、ありふれたこと
人間の生き死にまで踏込む違いはあるが
プロジェクトの大きさは、その境界線を
ふと飛越えるものなのだろうと想像する
まあ地獄には行くだろう、そこでも多分
己を強力に正当化するだろうが、それを
裁く彼自身より強大な神みたいなものが
いるのかいないのか、いるべきだろうが
しかし、己の主人は己であるべきだから
死刑囚の最大の刑は己の非道を悟る事で
それが出来なかったから、死刑囚にまで
なったわけだから、全くやりっぱなしで
地獄の酷い責苦をふつうに歩いたりして

デネーブの息子
バッテンの対極にはマルがある
どんな小さなマルでも、それは
視線の対象に、なり得るものだ
初めから、アンチテーゼを設定
って手もあるがそうでなくても
誤りて改むるに憚ることはない
片方の顔が立たないなら、もう
片方の顔を立てて、両方立てる
それで死ぬかもしれない自らの
純粋さを、ゲームの代償にする
そりゃ厭だよ、そんなのは厭だ
どんな形でも忖度に捉えられる
だからそれをやったら益々僕は
彼ら諸共から離れたくなるのだ

デネーブの息子
加害者の被害者いしき
やってる癖に、なんと
自分がやられてる如く
権力者にアピールする
暴力夫が妻を告発する
みたいな茶番みたいな
実力が不足してる分を
相手からの忖度で補う
それは、長続きしない
マウントを取りやすい
相手を選んでマウント
それは、長続きしない
忖度も止められたなら
今度は被害者面を出す
ミットモナイとか下衆
とかいうセンスが無い
それは何故か?なんて
もはや考える段階じゃ
無い、ある理由が無い
哀れなひとり相撲には
観客も相手も必要ない
彼が頼りたいのは全く
皮肉にも行司さんだけ
被害者意識を出すのだ

デネーブの息子
ある期間別れたい気持ちが繰返し
だんだん重なり重みを増していき
ふと期が満ちて果実が落ちる様に
サヨナラとなってあたかも人生で
まだ一度も出会っていない者同士
として互いに人生の時間を始める
寂しさは永遠の仲間かもしれない
それは時々、とても懐かしいから
別れるのならこんな風にありたい
別れたくないのに別れるときには
このような潔さを意図して出して
永遠をゲットしなければならない
タフな仕事ではあるが、ズルズル
当面の痛みしか見えないようなら
相手は誰でも同じような物として
自分以外に自分のために働く物と
閉塞した自己だけを愛してるから
抜け出せない地獄に居住するのだ

デネーブの息子
演奏でも絵画でも生き方そのものでも
失敗しても失敗に見えないことがある
結果的に形になる安定感では多分なく
経過そのものの安定感に違いないのだ
三振しても格好がつく野球選手、とか
一発目を外しても必ず仕留めるマタギ
大失敗をちょっとした失敗にする芸人
結果のみが重要でないことを、一流は
鮮やかに体現して見せる、全く見惚る

デネーブの息子
一旦完成してしばらくすると
また何かを付け足したりする
曲を作る趣味があったとして
一旦YouTubeにアップした後
また何かを付け足したりする
最初のも、多分完成だったが
付け足したい気持ちがなぜか
抑えられなくなることがある
これが、納期のある仕事なら
付け足す理由が押さえられる
仕事は、精神を途切れさせる
趣味に完成はない、あたかも
それは人生のようだ、趣味は

デネーブの息子
自分が未熟なうちはどうしても
忖度に似た態度の常習者になる
イヤダ、イヤダ、それはイヤダ
引きつり乍ら笑うなんて地獄だ
媚びないで済ませるには、唯一
未熟さから脱するしかないのか
それとも性格を、成立させるか
決して媚びない性格になるより
未熟さから脱する方が前向きだ
それならそうしよう、気分悪い
あの厭な笑いをぶっ殺すために
しばらくわき目もふらずやろう

デネーブの息子
顔で愛するんだろうな
あんたは、他人の事を
かわいい犬は愛される
そんな筈ないじゃない
かわいい犬に掛合わす
そこに愛なんて無いし
愛されたいが愛さない
愛されないし愛さない
愛ということばで愛が
表現できたらこの世に
もうその単語は無い筈

デネーブの息子
たぶん潔癖症は治るが、逆に尊い概念も失う
相対概念を失くすと悟れる、とは思うものの
脳の認識方法から離れることは生涯できない
全てはいくらかは卑しくて、いくらかは尊い
好みの汚れ方もあれば拒否すべき尊さも然り
好みだけでいい筈なのだ、考えさえ固まれば
コンプライアンスが殺しにかかっている物は
人だ

デネーブの息子
野球の落合も見たことないが
彼ら自身の鼓舞のやりかたは
とても共感できるし尊敬する
自分の得意分野に於て冷静に
そして熱くコツコツ努力する
広げた風呂敷をタダ畳まない
裏打ちは暑い熱い努力なのだ

デネーブの息子
それでも言わなくてはならない時などない
箱根駅伝で優勝した監督と活躍した生徒が
ワイドショーに出ていてコメンテーターの
タテカワシラクが放送を見ていなかったが
と断ってから一日目の青山がとても遅くて
どうしたんだろうと思ったとコメントした
いかにその活躍選手が凄いかということは
そういうギャップを使うまでもなかったし
優勝してホッとしたい遅かった学生選手を
あのシラクのどんよりしたマイナス思考が
暗い発想で厭な気分にさせただろうことを
見て、人は詰まらない表現しかできない時
黙って静かにしているほうがマシだと痛感
自分の発想がその場にそぐわない時はある
それでも言わなくてはならない時などない

デネーブの息子
申し分ない美人の上に頬骨が出過ぎている点で
より印象的な大女優となりえた、とか聞いたが
人の値打ちとは何だ、ソフィア・ローレンなら
女優としての値打ちということになるだろうか
出演映画の興行が上がるとか、アイコンだとか
その人の仕事に関らず、とても親切な人だとか
暖かい性質だったり、信頼が置ける人だったり
値打ちが無い人などいないと思いたいものだが
ワタシにとってとか会社にとってとかに絞れば
そこで自分の値打ちを発揮できないこともある
結局、人は自分を発揮できる場所に行くべきだ

デネーブの息子
嫉妬しないのも難しくない
無意識に流れに任せていて
流れに呑込まれてからでは
両方共とてつもなく難しい
自然以外の力が作用すると
見慣れない自分の儘生きる
数日、あるいは数年かけて
地に足を戻すことになろう
だから足が浮いた儘重要な
決断をいくつもしてしまう
嫉妬は自意識とともにある
その過不足が嫉妬に左右し
浮足立った日常をもたらす
簡単に卒なく生きるのも又
よいものだろうが‥‥‥‥

デネーブの息子
そういう本をいま立ち読みしたんだけど
表情は、その人が見ている物の反映だと
つまり暗い世界を見ていたら表情然りと
インド哲学者のシャンカラ、だっけかな
似た事を言っていて、思考と五感は人が
見たものと同じ形になる機能であるとか
ある人を見て、たとえば鼻が大きい人は
きっと鼻がいいのだろうなんて何となく
昔から思うクセが僕にはあったのだけど
この単純のような、テコを使った思考は
人の考えそうなラインに乗っていたかも

デネーブの息子
なんでそんなに嫌うの、と思われたりする
嫌う側からは、嫌わねばならぬ理由がある
コケンに関わるとか自己防衛とかあるいは
自分にもあるその人の要素を否定するため
異性になりたくて薬物過剰摂取するように
嫌う意思が、しばしばオーバーすることも
それは嫌う側の脆さの自覚でもありそうだ
あるいは意思の表現に賭ける芸術家気取り
嫌われた側にはじつは嫌われる理由は無い
だから虐めも棲息する場所により無くなる
むしろ誰かに嫌う意志を起こさせるほどに
典型的な人間の要素の表現者としてそれを
ひとひねりさせることができれば大金持ち
前向きなイジメられっ子は最強に違いない

デネーブの息子
それをあんたからの恩と認識していなくて
普段の行動をしただけかもしれない、普段の
行動でも意図して仇に見るようにできるのは
あんたの方だ、マウント取りに失敗したのか

デネーブの息子
デート代を出さない男はモテないと
なぜならデートしたくなくない時に
いまカネが無いからと理由を作れる
いつもいつも奢っていればこそ通用
割り勘はイニシアチブが半々になる
これはホントはそうあるべきだろう
ホント、先輩はズルいっちゃズルい

デネーブの息子
結果的に試してしまうのは、しかし
仕方がないことなのか? あるいは
偶然そうなっても試さない性質なら
結果は無視してスルーを続けるのか
とても尊敬しているある人の方法は
来る人は拒まず、去る人は追わずだ
どちらも、自分に帰結できるからだ
意図して他人を試すのではないのだ
無視できるできない事は人それぞれ
ある類の事が続いて、それが増えて
未来を覆い尽くす図が見えたとき、
人の底のようなものが見えたとき、
期せずして見えてしまったときには
‥‥‥‥見たに違いないと、確かに
今後すべて自分に帰結できるときは
きっかけが結果であれ意図であれ、
もう自分の態度は動かない動けない

デネーブの息子
一流の演者と一流の演出者に囲まれた気分
あんたは芸術家気取りのまま仕事場へ行く
周りの人はみな凡人だと、あんたは思って
馬鹿にするような態度を取ろうとしてふと
あぁ世の中、キラキラの一流なんて一握り
殆どは凡庸な人なんだからと自分を戒める
それじゃあんたは何だ、ただの傍観者だろ
と、そんな風に言わないから一流を好む?
いや、一流とかじゃなくて単にカネなのさ

デネーブの息子
困る
仕事のやり方が、自己中心的で利己的だととても
困る
地位に全くそぐわない仕事ぶりをずっと続けると
困る
困るというか、そのうち相手にされなくなるだけ

デネーブの息子
やればできるという誰もが言れる気休めも
ほんとうに、僕はそのとき分からなかった
何に、どうやって努力したらいいのか、を
特に興味を惹くものもずっと無かったから
それが僕の性分で同時に僕は劣等生だった
努力すべきものに会えたのは劣等生だから
卒なくこなせる能力があったなら逆に僕は
努力しないまま生きて死んでいたであろう
性分に逆らわないままの、受け身の優等生
卒なくこなせる能力があったとしたら僕は
多分そういった人生で、悔し紛れにか何か
知らないがいまの僕のような人間から見て
ツマラナイ人とは、こういう人なんだなと
思われていたと思う、それは元々同じ性分
そのまま純粋培養されてしまう方が、僕は
怖しいことだと今の僕は痛感しているのだ
元々あった場所から、いかに動かせるかが
人生の醍醐味のひとつではないか、と思う

デネーブの息子
自分でしてみる子は有名ミュージシャンの
曲をカバーするアマチュアみたいなものか
流通に乗るのが所謂プロフェッショナルで
流行に乗るアマチュアは専ら消費する側で
‥‥‥‥だから買わされてる感があるのか
いや、買ったって悪くないが、カイマシタ
カッテマスヨ、と消費をアピールされても
全くそんな必要ないだろと思う次第なのだ

デネーブの息子
そうするとネット上の二次元的な友達なのか
いや心友は、心の全てを打ち明け合う相手か
‥‥‥‥全てってわけにはいかないだろうな
決してじかに顔を見ないと決めているならば
全てってわけに、なるのだろうか、たとえば
今日で世界が終わるので好きなことをできる
恥かいたって犯罪犯したって終わるんだから
そうなっても、全員が下品な振舞いはしない
自分が許さないだろうな、客観声は薄れても
しかし下品な奴もいるだろう、顔を見せない
詐欺はみるみる増えてるし、ま、よき心友は
心が弱すぎて詐欺をしてしまう奴らに要るか
やめとけよ、親御さんが泣くぜ、カツ丼食え
技術ほどに人間の内容が発展するわけはナイ

デネーブの息子
その人と一緒にいる時の自分が
心地よくて好きだからだと思う
自己中心主義に利用するという
ことではなく無自に尽くしても
相手が幸せなのを見るのは自分
その人を見てどうも釈然とせず
もやもやが溜まるのは相手の方
ではなく自分の方、その自分と
オサラバしたいなら、仕方ない
もう飽きた、とは違う、新しい
もやもやに耐えきれないだけだ
見る新しい角度を開拓するより
もやもやが早く増えていくなら
相手が悪いのでもなく、まして
自分でもどうしようもなく多分
人は自分の快適を無視できない

デネーブの息子
だからその笑いはやめてくれ
ひとりでに笑い始めても
きみには絡まないよ
もうソンタクは必要ないんだ
きみにとってじゃなく
僕にとってはね
きみが薄っぺらいかどうか
そんなのは知らないけど
いい大学を出てるらしいね
そんなのは知らないけど
いろいろアンバランスだから
いろいろ嘘をついてるんだろ
違和感に付き合っていると
車酔いみたいになるんだ
ソンタクを続けていると
平衡感覚がぶっこわれるのかもね
きみにとってじゃなく
僕にとってはね

デネーブの息子
ある哲学者がかつて言ったことに
私は同意する、恐怖は非日常かつ
自己防衛心を触発する事柄である
仮に誰かの発言によって笑うとき
それは聞き馴れない事柄で、かつ
自分がそれから離れて客観してる
面白さが皆無でも人は笑えるのだ
しかし大抵人は面白いときに笑う
面白くもない事で笑う人がいるが
それは非日常、見慣れないものに
反応できてる私を見て見てという
承認要求のエキスが入った笑いだ
そんな人はそんな笑いをしばしば
頻繁にして「なにどうしたの」と
絡んで欲しいだけなのだ、どうだ
笑いをそんな卑しさに加担させる
笑えば笑うほど、周りが辟易する
笑いをそんな道具に使う人は一体
ほんとに楽しいときに笑えるのか
それは知ったこっちゃないが兎角
近づくのは避ける、気分悪いから

デネーブの息子
そう思って「第二印象優先の法則」
というのを思いつき実践してきた
第一印象だけでで判断したならば
隠れた美点を見損ない詰らないと
私にとって第一印象が燻んでいる
そんな人と近しくなってよく知り
知るほどに確かに美点は見つけた
しかし半年すると(なぜか共通)
美点に馴れて見えなくなるせいか
第一印象が盛り返して結局、勝つ
努力して見なくても見えてくる点
そんな深度での人付き合いなのか
パッと見厭な人は結局嫌いになる
パッと見好きな人は好きのまんま
「第二印象優先の法則」は、大抵
悔しいながら破綻してしまうのだ

デネーブの息子
積極的に動く気力もない
そんな人が相談してくる
何か始めたいと言い乍ら
やりたくないことばかり
そんな人が相談してくる
相談するのを即やめたら
側自分に帰結すると悟り
全部やりやすくなるのに

デネーブの息子
いつも明るいですね、と言ったあと付け加えた
あなたの明るさは他人を暗くする明るさだけど
そのゲストは自分で喋った言葉に被せてわらい
発言の面白さとやらに他人を突き合わせていた
その価値の押し付けが、司会者の癇に障ったか
素晴らしいフレーズだった、よく見かける事だ

デネーブの息子
たとえきみの社会的な立場がどうであれ
かつてと今、他人を大切にしてるからだ
ほんとうに不思議だが自分に却ってくる
なぜか分からない、きみは失敗もするし
でもその都度懸命にやり直すその動機は
いつも、他人をがっかりさせないためだ
きみがなんとなく馬鹿にされているのは
きみが今馬鹿にされる立場にないうえに
かつてと今、他人を下に見ているからだ
ほんとうに不思議だが自分に却ってくる
なぜだか分からない、そうやって納得を
したいだけかもしれないことをふくめて
きみは他人から尊敬される筈ないと思う
この差はいったいどこから来るのだろう
幼少期に根拠を求めて、決定はできない
成長する毎に自己を自己で形成していく
全く成長を怠ったとしても、自分以外に
責任を押し付けることは実質、無意味だ
充実と、自覚しない悲しみの充実もどき
そう、誰だって勝手に生きればいいのさ

デネーブの息子
比較的自由なスタンスのばあい
誰と、どれだけ深くというのと
否応ないコミュニケーションは
誰のどの面と付き合うかがある
面倒なのは後者だ、例えば仕事
人間性はどの場所でも必ず出る
コイツ厭だなという上司もいる
その時付き合い安い面を引出す
そんなことができれば百人力だ
向こうもこちらに遠慮するとか
お互いにニガテ意識を持つ状態
全世界の全人類に悪人はいない
しかし好き嫌いは確実にあるし
あるべきだと私は考えるのだが
それは趣味とかセンスがその儘
人の生き方を示すと思うからだ
世の中にイイワルイは無くても
スキキライはなくてはならない

デネーブの息子
自分の顔を見馴れているんだろう、そう
昨日より今日の方が多少ムクんでるとか
他人には判らない、昨日より今日の方が
多少マシだから写真を上げても、同じさ
顔の綺麗さは確かに世の中では有利だが
綺麗な外見の、空疎な内面だった日にゃ

デネーブの息子
ソレは分かるケド、など難癖つけたくなる
紙に記された正しい論理を百年後に読んで
なぜら当時排斥されたのかに思いを馳せる
現場には共感が論理に負けていたのだろう
共感の力のまえには、論理など些細なもの
幸か不幸かは、刹那か永遠かで全くちがう
いま幸せになりたいかいずれなればいいか
自分の態度を一定にして突き進まなければ
うまい具合に外しまくって終わる人生かも
自分の中に相対があり、自分の外はそりゃ
相対と相対のい歪な組み合わせなのだから
さようなら、君のやり方は僕には合わない
それは正しいのだろうが今だけの話なのさ
さようなら、僕は惜しい気持ちを抑えても
歓喜に満ちたひらめきを内部に燃やしたい

デネーブの息子
最初の最初は、周りの者も
何が面白いか知ろうとした
しかし君の笑いがいわゆる
注意を集める単なる道具と
分かった今同調してるのは
君の権力のお追従者
内容より殻を見る者
そんな態度を使う者
井戸端会議に村長妻が来た
そんな程度の付合われ方に
せめての満足を得る君って
危ないと思うよ
追従者は利害で
営業してるだけ

デネーブの息子
半分以上はハッタリなんだろ
そうさ、ハッタリでいいのさ
ハッタリを持続させればいい
勇気の持方なんて知らないね
あちらの世界に入らない代り
きみの世界に入れなきゃいい
勇気なんて言葉が似合うかい
ハッタリで充分なアクション
