激務を心配した私の恋人がサプライズとして旅行のときにくれる予定だったプレゼントを前倒しにくれて会いにきてくれた私はそれが何だかわからなかったけどよくよく聞くと、モールで私がすごくいい香り!と、言っていたアロマだった。
最近激務すぎて明日は疲れを取るためのご褒美の温泉旅行だったんだけど今日お手洗いに行くと薔薇が咲いてて湯の華には浸かれない体になってしまった…楽しみにしていた温泉旅館は長距離バスの苦痛になるから他の人といってきて。と、母に告げる
どこでも働ける⇨ここでしか働かないに選択しても、同じアイデンティティとクオリティを保っていける人間になりたいかもしれない。つまり、世界中のどこでも仕事があるという状況よりも、自分がここに住みたいと思った時にそこから渋々他のところを選択せずに済むような働き方ができるようになりたいということ。どちらにも求められる能力は同じくらい必要かもしれないけれど、後者の方がそういう意味ではより範囲が狭く実現性は難しくなる傾向にある気もする
僕は、周りから実寸の五倍くらいの大きさにみえている。「この歳だから、できて当然」「この資格があるから、こなせて当たり前」そんな5倍大きい僕からの音が実寸の自分との間に反響する。自分自身との大きさの差がだんだん開いていって、箱の中に閉じ込められて出れなくなってしまう。好きで始めたことも、いつの間にか自分自身に追い越され、小さな本当の僕は取り残されてしまっているような気がする。頑張らなきゃって走っても、夕陽が落ちる道の影くらい大きく見えてる自分のがいる。必死でもがいてるんだけど走っても走っても自分に近づけないばかりか、離れてく気がする。
触れたとき。微かなあの甘さが口の中で燻る。過ごす季節の味。食べ物の直接的な甘さではなく、もっと間接的で内省的な味覚に触れるもの。その一瞬で、忘れていた記憶が揺れる。苦いことも、甘いことも、まるで同じ温度で。
一度ずっと一緒にいようと思った人と離れてしまったら、もう一度お付き合いすることはもう無い…無いんだけど、過去の人で一人だけ他の人が原因でサヨナラした人がいて。その人と久しぶりに会うとやっぱり素敵だなーって思うのです。だけど、一緒にはいれないの。貴方の周りの人と私は仲良くできない。だから、素敵な貴方を見守らせて。
【5月5日、大人として過ごす子供の日】そんな日は、何かを頑張る代わりに、ちゃんと自分の中の子供甘やかすことにしよう。小さな花を飾って、窓から差す光をじっと眺める朝。パンケーキと紅茶でブランチを。夕陽が差してくると、菖蒲湯に入ろう。柔らかい湯気の中で、草木の香りに包まれてほどける心に気づく夜のバスタイム。最後に紅茶をもう一杯。静けさごと飲み込んで、深く息をつく。誰かに見せるためじゃない、自分にしかわからない優しさでできたそんな、わたしのこども時間。