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noteで旅エッセイや小説を綴っています。
風景と記憶、出会いと余韻を文章と写真とAIイラストで描いています。
よろしければ、静かな物語を覗いてみてください。
→ note:@shiny_willet10
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大阪
料理
自炊

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見上げればハヤブサが翼を広げ、澄んだ風の中を泳ぐように飛び去っていった。
ふと立ち止まったその一瞬が、忘れられない旅の1コマ。



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今日もバッチリ!文金高島田


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左が十数年前に当時のデジタルカメラで撮影した低画質画像。右が生成AIでリマスターした画像です。



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蒼い空と碧い森のコントラストを、AIアートで綴る真夏の旅の1ページ。
まるでそこにいるかのような臨場感と静けさを、あなたにも。



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今と比べると低画質のデジタルカメラの画像でしたが、生成AIでリマスターにかけると、こんな感じになりました。



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②鰹節、刻みネギ(ウチは青ネギ)をこれでもかと混ぜる
③生卵(白身の食感が苦手な場合は黄身だけ)を混ぜる
④醤油または麺つゆで味付けして出来上がり
※お好みで、ねり辛子や味の素を入れてください

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し…シャンソン
す…好きで
せ…セーラー服着て
そ…そっと歌うわ♪

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まんざらでもないのが、ぽっちゃり

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もしも、この駅に降り立ち、改札口をくぐり抜けるときには、腐海が発する瘴気(猛毒ガス)と王蟲(オーム)に気をつけなければならない……笑



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チケットが売れていない現状とは裏腹に、タダ券を持った人や外国人観光客で溢れ、大阪メトロ中央線は定員オーバーで通勤もままならず、会場ではメタンガスを吸い過ぎて怪獣と化したキャラが会場を訪れた観客達を襲うことになるでしょう。
そんな冗談を言わなきゃいけないほど、万博は不安要素だらけで、おそらくヨ○○ラは万博が失敗する公算で責任を市民と府民に押し付け、借金返済のための税金を懲罰の如く課すのでしょうw
万博とともに、逆ギレして怪獣と化したヨ○○ラが大阪を壊滅させないことを祈るばかりです。



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いやだ
ウチの
縁側
お酢臭いw

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前回は藤蔭略話に書かれたエピソードについて紹介しましたが、要点は以下のとおりです。
・安政元年(1854年)11月5日に発生した安政の南海トラフ大地震で焼け出された河田小龍を、見知らぬ年寄り(門田兼吾郎)が訪ねてきた。
・西洋学好きで染物屋の隠居であった兼吾郎は、住む場所を失った河田小龍に新たな住居を斡旋してきた。
・その理由は、自分の甥(後の近藤長次郎)が本好きなので学問の指導してもらうためであった。読書の才能があった長次郎は次々と書物を読解していった。
上記の要点から、本来のお墓に刻まれたナゾの文字「GAMA」の謎解きからはちょっと脱線しますが、想像できることを説明します。
◎坂本龍馬にも影響を与えた。
江戸での剣術修行を終えて土佐に戻った青年期の坂本龍馬が河田小龍の住居を訪ねています。この時の住居が、兼吾郎が河田小龍に斡旋した家と考えられます。住居を斡旋した時期が1854年11月5日の大地震直後、一方、坂本龍馬が河田小龍を訪ねたのが1854年末から1855年初頭にかけてとのことです。
また、坂本龍馬の実家と河田小龍の住居がとても近かったことも、坂本龍馬が訪ねやすかった理由だったと思われます。坂本龍馬の実家は高知城下の本丁筋一丁目、河田小龍の住居は築屋敷というところですが、どちらも現在の高知市上町エリア内で、現在の道のりで歩いて10分足らずで行けるぐらいの距離です。
坂本龍馬は河田小龍から世界情勢や蘭学などを教わっていたそうです。2010年放送の大河ドラマ「龍馬伝」の第7回「遥かなるヌーヨーカ」で、福山雅治さん演じる坂本龍馬が、リリーフランキーさん演じる河田小龍を訪ねて世界の話を聞かされ、カルチャーショックを受けるシーンが描かれています。兼吾郎が河田小龍に住居を斡旋していなければ、坂本龍馬は河田小龍に簡単には出会えておらず、その後の生き様も変わっていたのかもしれません。
(この後は、近藤長次郎について述べたいと思いますが、続きは次回の投稿をお待ちください。引き続き、GAMAに関する情報・考察・所感なんでもお待ちしております)






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