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前回の投稿からの続きです。
前回は藤蔭略話に書かれたエピソードについて紹介しましたが、要点は以下のとおりです。

・安政元年(1854年)11月5日に発生した安政の南海トラフ大地震で焼け出された河田小龍を、見知らぬ年寄り(門田兼吾郎)が訪ねてきた。
・西洋学好きで染物屋の隠居であった兼吾郎は、住む場所を失った河田小龍に新たな住居を斡旋してきた。
・その理由は、自分の甥(後の近藤長次郎)が本好きなので学問の指導してもらうためであった。読書の才能があった長次郎は次々と書物を読解していった。

上記の要点から、本来のお墓に刻まれたナゾの文字「GAMA」の謎解きからはちょっと脱線しますが、想像できることを説明します。

◎坂本龍馬にも影響を与えた。
江戸での剣術修行を終えて土佐に戻った青年期の坂本龍馬が河田小龍の住居を訪ねています。この時の住居が、兼吾郎が河田小龍に斡旋した家と考えられます。住居を斡旋した時期が1854年11月5日の大地震直後、一方、坂本龍馬が河田小龍を訪ねたのが1854年末から1855年初頭にかけてとのことです。
また、坂本龍馬の実家と河田小龍の住居がとても近かったことも、坂本龍馬が訪ねやすかった理由だったと思われます。坂本龍馬の実家は高知城下の本丁筋一丁目、河田小龍の住居は築屋敷というところですが、どちらも現在の高知市上町エリア内で、現在の道のりで歩いて10分足らずで行けるぐらいの距離です。
坂本龍馬は河田小龍から世界情勢や蘭学などを教わっていたそうです。2010年放送の大河ドラマ「龍馬伝」の第7回「遥かなるヌーヨーカ」で、福山雅治さん演じる坂本龍馬が、リリーフランキーさん演じる河田小龍を訪ねて世界の話を聞かされ、カルチャーショックを受けるシーンが描かれています。兼吾郎が河田小龍に住居を斡旋していなければ、坂本龍馬は河田小龍に簡単には出会えておらず、その後の生き様も変わっていたのかもしれません。
(この後は、近藤長次郎について述べたいと思いますが、続きは次回の投稿をお待ちください。引き続き、GAMAに関する情報・考察・所感なんでもお待ちしております)
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