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本当になんというか、言い表せる言葉のない関係性だけど。いいコンビって感じがする。

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僕は下っ端で、他人が人に指示を飛ばしているのを眺めていたけど、その指示は「こっちが想定以上に遅れている」「じゃあ、そっちに何人送る」って、人員を適切な位置に配置し続けるって感じに見えた。
「何人」であって、「だれ」ではないんだなって思った。
要するに、彼らは効率を求めて、人の個性を考慮していない。人を頭数としてしか見ていないことが大人数に指示を出す時のコツなんだなって、ちょっと冷めた目で見ていた。

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対して男性向けの小説は主人公が最強になる。序盤で落ちこぼれだったやつが成り上がるのなんてテンプレで、東京グールやこのすばといった、他のキャラの方が人気が出る作品だって、最終的に主人公が最強になるし、魔王を討伐する。
フリーレン、、、はどうなんだろう。そもそも主人公はフリーレンでいいのか?
死亡遊戯はむしろ主人公が最強であって欲しい。ただでさえ登場人物がポンポン死ぬ作品で主人公が死んだら病む。推しの子のような終わり方はいらない。

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対して、生命保険ってのは、自分で自分の首にお金をかけているわけだ。
目的も印象も違うのに、やっていることは似ているなって思う。

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ネットにも載っていないし、社会に属する人一人一人に聞いていっても知らないって返されるだろうけど、確かにこの人間像は存在すると思う。
例えば、普通の人間は1日7から8時間眠る。こんなふうに、普通の人がどんなことにどれくらい悩んで、どれくらい物事に我慢できるのか、どういう状況で感情を爆発させるのかを知りたい。
物事に誤差の許容範囲があるように、社会にも人の異常性の許容範囲があるはず、この範囲に収まる人間でありたい。

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そこからxの次だからy、zときている。
僕らはまだ未知数なんだろうか。

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負けヒロインのやつなら、ヒロインの問題行動を主人公が埋める形だし、
小市民シリーズはヒロインがラスボス、主人公はミステリーオタクで両方問題児、
刀語はヒロインの奇術や野望に主人公が付き合わされる形だし、
ひげひろだってヒロインが家出しなければ、、、まあ家出したくなる気持ちはわかるけども。
植物図鑑だって。
女性向けのやつだってスパダリが暴力的な権力を行使して主人公を奪いにこなきゃ物語は始まらない。
百合百合する話だって主人公がヒロインに劣等感や憧れを抱くところから物語は始まる。
なろう系は主人公がヒロインの問題を華麗に解決する。
天衣無縫だって旦那は駄目な善人だ。
凹凸が噛み合うとまでは言わないけど、凹と丸のような、どこか隙間を埋めるような組み合わせじゃないと成立しないように思う。
比べて現実は、みんなが丸に近いように思う。
人が求める完璧の条件を超えることができるから、むしろ凹の方が少ないというか。
だから現実にラブコメはないと思う。

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氷菓の折木ホータローみたいな。最低限を貫く生き方。
みんながそうなると社会は成り立たないはずだから、人々は社会の変化に適応しようとする。そのうち次のトレンドが来る。
次はどうなるんだろう。

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確かだと思った。
極端だけど、痛みを感じるからこそ生を実感できるんだろうなって思う。でなければ死んでいるようなものだと。柔らかく言えば、痛みではなくストレス。
最近、長期休暇で暇だ。
以前は積み重なった課題で死ぬかもしれないなぁ、なんて思っていたのに。
でも、だからこそ、今の状態は死んでいる感じがする。停滞の中にいるというか。
大人になって、自分一人なら、特筆するような苦しみもなく生かし続けることができるようになった。
自分の好きなタイミングでご飯を食べ、朝日が昇るまでゲームをして、昼過ぎまで寝ることができる。苦痛のない、痛みを感じることのない生活。
理想のはずなのに、どこか間違っている感じがする。どこかに出かけても、働いている人を見ると、それはストレスなはずなのに、僕の方が場違いな感じがする。
生きたいなあって思うのは社畜の始まりだろうか?
少なくとも、こういう生活の経験を通して選択したってことは有意義なはず。

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代替わりというか、調味料のケチャップの立ち位置にトマトピューレみたいなもっとトマトっぽいものが来た方がふさわしいように思う。

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↓
Oi Ocha
↓
Oi tea
↓
おいてぃー
↓
美味しい
おーいお茶=美味しい

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一つ、気づいたことがある。
おおよそ理系と呼ばれるような、頭を使うことの多い人たちには効率を求める一面がある。
引用するとそれは四角形のブロックだけが落ちてくるパズルゲームのような生活で、選択肢を減らして、無駄を削る。必要最低限だけを満たすために必要以上の興味を持たない。
そしてこの一面は大抵仕事や課題といった好きじゃないものに対して向けられる。
それでいてライブやゲーム、絵を描くなどの趣味に対しては多く興味を持つ。
だから大抵二面性を持つ。
この一面だけを持って生きるとミニマリストと呼ばれる人たちのようになると思う。
こういう生き方は効率的で、でも合理的ではないと思う。
合理的っていうのは最適な答えを見つけようとする考え方だと思うから、そのために選択肢は多く持っていた方がいいと思う。
この点で、効率的と合理的は食い違うと思う。

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なんというか、引きこもりだけど、昔は天才だと周りに言われるような人間で、本当はすごいんだぞみたいなそういうキャラクターだったと思う。いや、エネとのやりとりは結構な情けなかったから作者の意図するシンタローは別の感じかもしれない。ともかく、個人的にはそういうふうに感じた。
ただ、こういうキャラクターって、あくまでもフィクションの産物であって、現実には存在してないものなんだと思う。なぜなら立ち止まってしまったことで生まれる周りとの差は結構大きくて、いくら天才で学習の効率が良くてもこの差を埋めるのは難しいと思うから。
例えば、高速道路で時速100キロで走れば充分だけれど、120キロで走る奴がいる。このスピードの違いによって生まれた差は、トイレ休憩とかの10分程度の休憩によって覆ると思う。だいたい1時間程度この20キロの速度差を維持し続けなければこの差は等しくならない。
もちろんこの例えは数字の大きさによっても変化するわけで、時速10キロのやつと30キロのやつを比較したら、10分の休憩じゃこの差は縮まらない。
でも人の能力の差が3倍も違うとは思わない。やっぱり、せいぜい1.2倍だと思う。
完全体の山田より3000体の桑田の方がいいわけだし。
だからこそ、僕は足を止めることだけはしちゃいけないと思う。正直やらなきゃいけないことが多すぎて潰れそうだけど、足を止めるくらいなら0.8倍速でも歩き続けていた方がましだろうから。人からの期待全てには応えられなくても、それについて人から責められることがあっても、自分のペースでいいから少しずつでもこなしていた方がいい。絶望して諦めたら、後で取り返すのはもっと難しいと思う。頑張れ自分

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それだと男が生まれる確率は1/1001になる。
1:999の方がキリがいいように思う。

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人は自分の味覚を騙せればなんでもいいんだろうか。

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思うのは、この作品を読んでニヤニヤしている奴はMなのか、Sなのかという疑問だ。
主人公に自分を重ねて考える奴はMなんだろう。
誰かが虐げられるという状況をイメージした奴はSなんだろう。
両方可能な感じがする。
この本を読む奴はMが多いのか、Sが多いのか、誰か統計を取ってくれないか。

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風邪もやめた方がいい、飲酒後は言うまでもなく。
でも、社会において車の役割は大きくて、会社に行く時、スーパーに行く時、本屋に行く時、車を持っていれば大抵車を使う。田舎であれば車がないと生活できないくらい。
となると、いつも健康な状態で車に乗れるだろうか。少し眠くても、車を使わなきゃ生活が立ち行かなくなるのだはないか。
車学の教えは正しい。最善で、でも最適じゃない。
人の考えと現実に差があるのって場合によっては問題になるんじゃないだろうか。

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だって正義の反対は別の正義だから。
自分が正しいと思った行動は誰かにとって間違った行動だったりする。それを察しても自分にとって正しい行動には違いないからやらなくちゃいけない。
誰にとっても正しい行動なんて、そう多くない。

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バイトを始めた当初は先輩がいた。
彼は、まだここのバイトを始めて半年くらいないんだよって笑っていた。
器用になんでも上手にこなせる人で、対して僕は不器用で、真面目というか愚直さだけが取り柄だった。
バイトを始めて一年くらいになる。
仕事も覚えてきて、後からこのバイトを始めた人たちも増えて、仕事はできて当たり前なプレッシャーを感じるようになってきた。ちょっとつらい。
それでも今の僕は始めて半年の彼に追いつけた気がしない。
今の僕は彼よりも彼よりも不器用で、周りの期待に応えられなかった。自分の能力と勤続年数の差にプレッシャーを感じている。
器用だった彼は周りからの期待に応えられた。だからこそ、僕とは別種の、より大きいプレッシャーを感じていたんじゃないかと思う。

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TikTokで普段は出さないであろう変な声やイントネーションを使って何かを紹介する動画があったように思うけどその派生だろうか。
正直不快だ。
機械音声に不快感を覚える人はいるけど、これは技術的に難しかったことによるものだ。対してこれは意図的なものだと思う。
こういうのは今後も拡大するだろうか?どこが上限なんだろう。

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死守するってのは死んでも守る、必死ってのはこれが終わったら死ぬつもりで行う、最悪ってのは最も悪いって意味だったはずだけど、今となってはみんなちょっとしたことで使う。

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たぶんそんな気がする。
地球に溶け込めない火星人も日常に溶け込みたい小市民も同じ感じがする。
振り子のシーン、バックに人が飛んでいたりして、ああいう振り子の動き方は誰でも一度は見たことがあるやつだけど、時間が進むにつれて形が変化していく様子がまるで人間関係のようだと表現しているのかなと。
振り子なら周期的な動きをするからまた同じに戻るけども。

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別に落ちぶれるつもりはない。けど一生安泰なんてのはまずありえないと考えるから。
形は金の無心であれ、労働力としての協力であれ、職の斡旋であれ、何かしら頼れる相手が欲しいと思う。でもそれは今ではなくて、遠い未来の、可能性が低い未来でそれが欲しい。そのタイミングが分からないのがネックだ。先んじて手を打つことが難しい。それにあれ取ってとか料理運んでみたいな軽い頼み事にはならなさそうなのも難しいポイントだ。
コミュ力が高い人っていうのはいつも周りに人がいるから、人を集める力があるから、遠い未来でも頼れる相手がいるだろうと。コミュ力の使い道ってこれくらいで、あとは流行が調べるまでもなく伝わってくるとかで、でも強力だ。
昔は僕の周りにも人はいて、いざというときは彼らを頼ればいいかと思っていた。けど最近接してみたら、人は変わるもので、なんか頼りにくいなと感じた。だからちょっとまずい。
1番いいやり方は貸し借りの関係を作る、俗にいう恩を売る行為をすればいい。あらかじめ大きい貸しを作っておけば、僕は貸しを返してもらうだけだから頼みやすいし、相手も貸しを返すためと協力してくれるだろう。
ただ相手側からして借りのある状態ってよくない。すぐに返したがるか、忘れてしまうか、そもそも借りを作らないよう努めるのが最適解だろう。
だから貸しを作ろうと思っても、相手も警戒して中々作らせてもらえない。
このもやもやを相手に打ち明けて、だからいざという時に協力して、と迫るのも、なんかやり方として間違っているような、そんな感じがする。
路頭に迷っていたら誰かが手を差し伸べてくれるなんて、夢物語だって分かっている。だから今のうちに対策を立てておきたいんだけど、、、。
どうしたもんかな、金を用立てるってだけなら保険に入っておけばいいけど、柔軟性に欠けるし、なんか違うんだよな。

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だから、目の前の信号の色をずっと見続けていれば、いつかは信号の色が変わる時がきて、渡れるようになる。でもずっと信号を見続けるのは面倒だ。
だから、直交する方の信号も見ればタイミングがあらかじめだいたいわかるようになる。
直交する信号が青から赤に変わったら、もうすぐこちらの信号の色が切り替わる。だから直交する信号の色が青のうちはまだまだで、黄色、赤になってからそわそわすればいいと。
なんなら、信号を見ないという選択肢もありだ。車を運転していて、信号が青でも進まなければ、そのうち後ろの車からクラクションが鳴らされる。クラクションが鳴らされるのは信号が青の時だろうから、クラクションが鳴らされた時に前に進めば、理論上は信号を見なくても渡れるはずだ。
これって人生においても同じこと何言えるように思う。
テストだとかのイベントが行われるタイミングは自分ではどうしようもなくてテスト勉強はその直前にしないと、早すぎても遅すぎても意味がない。人が行動を起こすときにその行動がうまくいくときといかないときがあるからまるで青信号と赤信号だ。
人生はこういうたくさんの信号をタイミングよく渡り続けるもの、というか。
だから信号を見続けて切り替わるタイミングを待ち続けるか、周りの情報を集めて切り替わるタイミングをあらかじめ知っておくか、周りにせっつかれるまで信号すら見ないか、やり方はいくつかある。
でも、すべての信号のタイミングを前もって知り続けるのは無理だ。休んでる暇がなかった。
だから、自分の興味のある分野に絞って、そこの信号だけ見続けるか前もって知っておく、興味のない分野は色が切り替わったことに気づいた時か周りから急かされた時に動き出すのが最適だろうか。
こういう、物事のやり方って人それぞれに好みがあるものだけども。

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でもこれは
チェーン店で店員が配膳するコストを削減したい
↓
ロボットを導入してコスト削減
↓
低価格を実現
↓
人気と共に民度が下がる
↓
横取りが発生
って過程を辿っている。
配膳ロボットを導入して少しでもコストを削減したい店ほど(横取りが発生するから)ロボットを導入しない方が良いっていう矛盾が興味深い。
まあ横取りされないロボットを使えばいいんだけどね。

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以前グレーのパーカーを持っていたが、ヘビロテしたせいで擦り切れて、仕方なく代わりに買った1着だ。
ただ、前のパーカーより白っぽいもので、遠くから見たら白いパーカーに見える。それでいて近くで見たら灰色のパーカーに見える。
目を凝らして見ると、パーカーを構成する繊維の大半が白で、ところどころに黒い繊維が散在している。
灰色のパーカーと思って買ったのに、実際は白と微量の黒のグラデーションで遠目にはこれが混じり合って灰色だったわけだ。
それが自分のようだと思った。
見ず知らずの他人から見て、自分は無垢な人間に見えるらしい。
近しい友人からは案外毒舌なんだねと言われた。
自分を客観視すると、自分の中に白い部分と黒い部分があって場合によって表出するものが切り替わるように思う。
これもグラデーションだ。人は純粋無垢とか毒舌とか、レッテルを貼ることでさも人が一色に染まっているように捉える。でも実際は白黒が混じり合った灰色ではなく白い部分と黒い部分がそのまま存在しているわけだ。
ただの代替品として買ったけど、気に入ってしまった。

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なんというか、主人公、ヒロインが共に女性から見た理想の男性像、男性から見た理想の女性像になっているような。こちらはそんな超人どもの営む甘々な生活を見せられているような、そんな感じがする。
女性向けの、女性がスパダリに甘やかされる話を男の僕が読んでいる時のような、作中の男性像と自分が乖離しているから、側から眺めるようにしか読めないというか。
普通のラブコメならちゃんとコメディーしてるから、なんならコメディー要素の方が強いものが多いから、別に共感できなくても面白いけど、この話は恋愛のモヤモヤしている部分というか、男女の心の間合いを測る様子をうまく言葉にして描いているから、なんならコメディー要素はゼロで純愛100%なんじゃないかってくらいだから、ストーリーの展開を眺めているだけだとつまらない。
情景描写はすごく綺麗だし、言葉遣いもいいんだけどね。

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投票しなければ、そもそも存在しないものとして扱われるけど、無効票なら政治に関心はあるけど、候補者に興味が無いっていう意思表示になる。
今まで候補者の誰を選んでも同じなように見えてたから周りの流れに合わせて選ぶか、選挙に行かなかったけど、そもそも選びませんっていう意思表示だけする選択肢もありだな、って
だいたい、〇〇しますって公約にあっても、それを実現するための計画がわからないんじゃ信用できないし。口先三寸で期待だけさせておいて何も変わらないってのが、選ぶ身としては一番堪えるからなあ。

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ストーリー性に縛られているというか。
世界を分けてもわからないってのは物事を細かく分けても、その関係性に着目しないと物事が正しく捉えられないって話だった。だから、だから第三者視点から見て、物事についてのストーリーを立てる、とも言える。
楽園の楽園で、人は記号が動く様子からでもストーリーを立ててしまうと述べられていたように、人は細かい物事の動きに着目して、それをストーリーに仕立ててしまう。
物事の関係性≒ストーリー
ストーリーを立てること自体は悪いことじゃない。ストーリーを立てることで人は物事を理解しやすくなる。というか、ストーリーを立てて物事を考えなければ、人の頭は物事を理解できない?
AIであれば、たとえばチャットGPTであれば文章中に出てくる単語の種類やその頻度で文章を理解するらしい。
同様に、ストーリーを立てることが人が物事を理解するやり方だと。
だからこそ、人はストーリー性に縛られ続けるし、抜け出せないような。
これを不自由と感じる自分がいる。

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日本の風習の中ではチョコに限定されているだけで。

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例えば、硬いダイアモンドは炭素原子に分けて考えられる。これは石炭や鉛筆の芯も同じく炭素原子でできているわけだが、石炭や鉛筆がダイアモンドのように硬いかというとそうではない。
ダイアモンドのもつ硬さは炭素原子同士の関係性によるものだからだ。

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同様に肉体労働をする人はその肉体を使うとこでしか社会から評価されないのだろうか。
まあ、社会からすれば、決まったフレームワークをこなせる人材が欲しいわけで、求めるのはフレームワークをこなせることだけ。それ以上でもそれ以下でもない。
でも、頭を使う仕事をしている人の肉体は価値がないのだろうか。肉体労働している人の思考に価値はないのだろうか。
どちらか片方だけってつらい。

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いつかは追いつかれる日が来るのだろう。期待に応えられなくなる日が来る。
期待に応えることはその日を先延ばしにしているだけだ。

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ノーコストの割によく効く。

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それで焦る自分も悪いんだろうか。
どうも調子が狂う。

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そもそも選択肢になければ答えようがない

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これは正しいと思うけど、だからって他人の期待に全て応えるのはよくないと思う。
最低限の義務だけ果たして自由に生きたい

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誰もが与えられた役割を演じているのだとしたら、僕は舞台をめちゃくちゃにしてしまったことがあるんじゃないか?

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文字は読めないけど写真に映る人々はみんな笑顔だった。
隣にあった日本の新聞は誰かが謝罪している写真が一面の記事だった。
これが言論統制の結果だと知っていても、笑顔のある新聞の方に惹かれる。
いつから新聞に笑顔がなくなったんだろう。

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その理由の一つは、美人が雨に濡れようが不細工が雨に濡れようが、平等に雨でずぶ濡れになった人として扱われるから。
なんて、今とってつけた理由だけど。

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力があるから人がやりたがらないこともできるんじゃなくて、人がやりたがらないことも嫌がらずやってきたから力がついただけなのに。
誰だってはじめは非力なのに。

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先日見た花火は綺麗で儚くてでも迫力はあってすごく良かったし、これを戦争の真っ只中で打ち上げて両者の度肝を抜いてやれば争う気も起きなくなったりしないだろうか。

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毎日が楽しいというわけではない

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