
しじみ
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しじみ


しじみ
なーんだ。全てが現実なんだ😊

しじみ
11月、非現実に逃げていた。
完全にあっち側にいってしまい、入院するかの瀬戸際だったけれど、ライブ出演の予定もあり、ギリ現実に戻ってきた。
現実に戻ってきてみたところ、圧倒的に現実が辛い。
ただただ、「現実にいる」、そのこと自体が辛い。
具体的に何が辛いのか掘り下げないと、ずっと辛いままだと思い、今日、やっとその辛さに向き合うことにした。
それは
・人との関わり。
・期待されている(気がする)ということ。
・人に影響されて自分が無くなっていくこと。
つまり人が怖い。
人の中で自分が消されていくのが怖い。
私には無意識で相手の喜ぶことを瞬時にキャッチして、相手にそれを渡す癖がある。
相手が興味を持っていないな、とわかると相手の興味のある話題に変えたり、と。
相手ありき、相手中心のコミュニケーション。
友だちの言葉を借りると、「私という舞台の上で勝手にみんな踊っている」。
私は常にその場では引き立て役だ。
こうして、自分のエネルギーを、枯れるまで人に振り撒いてしまう。
やりすぎてしまう。
その結果、相手が気持ちよくなる言葉や行動をどんどん求められ、期待され、苦しくなる。
そこまで考えて気づいた。
ライブに出演した時、私は私の舞台で私を歌った。
その時、誰も私の舞台を邪魔しなかった。
わかった。
私は私の舞台で踊られるのがあんなに悔しいと思っていた癖に、いざ私が私の舞台に立って踊った時、緊張して、怖くて、何もできなかったことに、本当に惨めな気持ちになったんだ。
私には、何もない。
それを良くも悪くもあのライブで痛感した。
だけど、褒めてくれる人がいた。
叱咤激励の言葉ももらった。
私は、私という舞台で、私を出し切った。
それがとても怖かった。
私にはこれしかないんです、って見せること。
見られてしまったこと。
私には中身なんてないってこと。
私が1番よくわかっていたこと。
自分を出し切って、燃え尽きただけのことだ。
自分を表現するって、こんなに怖くて、孤独で、でも温かい瞬間もあって。
「私には何もないです」
それを、胸を張って差し出してもいいんだ。
それを、受け入れるのがちょっと怖かったんだ。
むしろ、私の舞台で勝手に踊っていく人たちは、自分がちゃんとあって、自分はちゃんと主人公として自覚して生きられていて、それはとてもすごいことなんだとわかった。
私はずっと、空気のように漂ってる、透明人間みたいな、そんな人間。
自我もないし、ふわふわ浮いてる。
だけど自分の舞台に立つ時くらいは、その透明な空気で会場を包みたい。
きっとそれが私の表現なんだ。


しじみ
具体的に何がつらいのか。
人との関わり、人からの期待。
1人の世界に篭りたい。
人に影響されて自分がなくなっていく感覚がこわい。
言葉にうまくおさまらない。
11/21にライブ出てから、ずっと心の中にモヤモヤがあって、不安だ。
この先もこうやって生きていっていいのか。
休んでいても、休めない。
人がこわい。

しじみ

しじみ

しじみ
不安だな、、

しじみ

しじみ
私は生きるために曲書いてるんだなって思った
今まで表現すること自体に遠慮があったけど
今日本気で音楽やってる大人たちに囲まれて
本気で愛のある説教を受けたり
本気で世界観をほめてもらえて
もう生半可な気持ちでステージ立ちたくないと思った
アウェイの中、相方風邪ひいてひとりでステージ立ったこと
度胸あるって褒められて嬉しかった
なんかもう表現しないと生きられない人なんだ私
趣味なんで、とか言い訳するのやめたわ
表現者としての自分を、認めよう

しじみ
モチベーション的に売れたいのか
の話とても胸に突き刺さった。
私は精神的に満たされたいんだ。
音楽をやる理由。
表現する理由。
改めて突きつけられた。

しじみ

しじみ
たぶん揺らぎがなくて深いところで落ち着いてるからだと思う。
それを怖がる人も多い。
私の黒目は、見つめていると吸い込まれてしまいそうなほどに、深く、暗い。
見透かされた気持ちになるとよく言われる。
わたしの瞳には嘘がないからだと思う。
相手を良くも悪くも、全て映し出してしまう。
反面、綺麗なものに触れた時、わたしの瞳は見違えるように輝くらしい。

しじみ
今ならそう思える。
この感覚だけが頼りだ。
小難しいことをくどくど考えるのは性にあわない。
やっぱり感性を開放して生きていきたい。
例えばそれでまた入院とかすることになっても、わたしは自分の感性だけは大事にしたいから。
これまでだって、何回も壊れては創り直してきた。きっとできる。
わたしに自我なんてずっとなくて、ずっとずっと空っぽのまま。物心ついた時から、自他の境界線がない。
わたしの身体を通り抜けていく、見知らぬ人びとの目つきだったり、回収されなかったゴミ袋や倒れたコーンとか、しっぽの無い猫とか、そういったものたち。
わたしの身体はその通り道でしかない。
ただ流れていく。
まるで長い映画を観ているよう。
たくさんのいろんな人の感情がそこに流れ込んで、わたしはそれをただ流している。
伝えるだけ。
わたしには中身がない。
ふわふわ漂って、その時その時で形を変えて生きてる。
それがわたし。
HSPとかADHDとか統合失調症とか。
いろいろ言われるけど、わたしはわたしでしかない。

しじみ
NUUAMM聴きながら。
世界と自分の境界線は溶けてなくなって、気づけばそこには宇宙が広がってた。
真実なんてとっくにわかりきってるんだから、これ以上突きつけないでおくれ。
ただこの時間に浸っていたいだけなんだ。
風を感じながら、陽の光の中にまどろんでいたいよ。
さっぴー

しじみ
いろんなことがよーく見えるよ。入ってくるよ。

なんてったの[from "King Master George"] [Remastered]

しじみ
もう泣かせたりしない!

しじみ
これって全然恋愛感情じゃなかったな
ずっと錯覚してた
手軽に承認欲求を満たしてくれるから
楽だったんだ
手軽に刺激をくれるから
あいつの言葉はエナドリのようなもの
即効性はあるけど持続しない
切れると疲労感に襲われる
問題は
あいつを失うことが
自信を失うことと同義になってしまっていること
わたしは、じぶんの自信を
あいつの中に預けてしまっていて
それを確かめたくなって
会いたくなる
そろそろ 自信ちゃんは
わたしのところに帰りたがってるらしい
自信ちゃんの帰り道を作ってあげたい
だって元々わたしのものだもんね
今度こそ、自信ちゃんを
持続するやわらかい光で
包んであげたい
あんな意味わからんエナドリ男のところなんて行くな

しじみ

しじみ
飲みに行きたくなったら、頓服飲む。
忘れそうになるけど、1番効果的。

しじみ



しじみ

しじみ

しじみ
あとポテサラ、大根の浅漬け、小松菜のお浸しなど。


しじみ


しじみ

しじみ


しじみ
言葉にならない。
ただ、その人が元気だったらいいなとか
楽しく過ごしてたら嬉しいなとか
それが愛なのかな
愛って見届けることなのかもな
すごくつらいけど

しじみ


しじみ
「一人で抱えきれないくらいの秘密なら作らない方がいい」
と言われ、全くもってその通りだと思った。
秘密を抱えて生きるのつらいし、自分にも他人にもこれ以上嘘をつきたくないから、もうこんな生き方はやめる。
ハッキリ言ってくれたの、痛かったけど、嬉しかった。
ありがとう。


しじみ


しじみ

しじみ

しじみ

しじみ
飲んで全部忘れたい
とか言ってないで現実直視して寝ましょう

しじみ
もうわかんないね

しじみ
えどゆこと?会計的に
仲直りできたのならよいが
酔っ払いのたわごと

しじみ

しじみ

しじみ
