「良いものがあれば」一般的に良しとされるものが良いものであるとは限らないし本人が良いと感じているものが必ずしも必要なものだとも限らない。その人にとってそれが「十分だ」と感じなくても状況的にはそれがベストだったりもする。だから、「良いものがあれば」って返しはまったく相手にはそれが何か伝わらないしそもそも何が良いものが本人も分かってない状態の発言。それが成立するのは、ウインドウショッピングをしにきた冷やかしくらいなもの。真剣に探してると言いつつそんなことを言ってる人が周りにいたら「絶対お前には見つかりっこない。だから、さっさと金払って、プロにでも探してもらえ!」と言ってあげてください。
100円の商品、仕入れ70円の場合世間の認識消費税→100円の値段+税(10円を国に支払っている)実際の消費税→110円の売上(10円が税額)-77円の仕入コスト(7円が税額)→税の残額分(10円-7円=3円)を業者側が国に支払っている。みたいな感じ。主に食料品の消費税を0がピックアップされているけど0にすると、3円分の支払いがいらなくなるので値段安くなるでしょ!って理論。いやいや、仕入費用は食料品じゃないですし製造業者や卸売業者も普通に食料品以外の消費税払いますよね。だから小売業者の仕入れ値は、食品類の消費税をゼロにしてもほぼ変わらないはずです。減税分をどこが負担するのかっていったらこのままだと小売業になりますよね。そうすると赤字ですよね。だから普通に考えたら、消費者にそのまま110円負担してもらうでしょう。安売りスーパーであればあるほど売上を切り詰めている訳だから劇的な変化はないことに国民が気付くだけ。高級食材を扱うお店で、やや実感する程度だと思うんです。だから!単価の安い食料品に狙いを絞って消費税ゼロにしようとしてるのであって結局は店側に丸投げです。安くしないとお客が遠のくから、色々なものの売上を下げ帳尻を合わせて、なんとか少しでも安く見せるような企業努力に迫られます。涙なしでは語れません!国民のほとんどは食品の価格が10%下がると思っている。実際は努力は業者側がするし負担は国民がするし国は痛手が少ないしなのに国民には大喜びされる。食品ゼロは家計の人にブッ刺さる最強の選挙用キャッチフレーズ実際はただ店側を追い詰め、家庭の懐にもほぼ影響がないという、完全な愚策だと僕はおもうんですよね。中小の食品業界はますます厳しい環境に身を置くことでしょう。国税庁のページをチラッと見た情報で書いてます素人ですので、認識の誤りがあったらすみません。
外国人労働者が増えると、その分社会保障料は今ほど支払いが増えないと想像している。だからたとえ消費税を減税したってその分社会保障料をあげて、ますます働く日本人の可処分所得が減る負のスパイラル。消費税は実質商品値上げとなるので、誰からでも回収出来るシステム。働く人の社会保険料を少額にして、消費税を増税して消費税の上積み分を社会保障に充てた方が効率的だと思うんですけどね。要は可処分所得を増やして、物価も上げる。給料の減る率が減るから、働いた人同士でくっついた方が生計立てやすいよねってことで成婚率は上がり、離婚率は減る?いっぱい働いた人がたくさんお金を払うシステムってやっぱり理不尽でしょ。消費税がなくなったら、働かない人がめっちゃ得じゃんか。あとは、都道府県によって税率を多少変えるのも良いと思っている。アメリカも州によって税率違いますからね。そうすることで、地方分散にもなるのかと思っている。ま、消費税増税なんて言ったら途端に針の筵なんでしょうから僕の考えが通ることはまずないことは理解してます。
老いも若きも男も女もみな薄情。自分の利害が第一優先。「約束」は意味を成さず都合が変われば簡単に反故にする。約束を交わしてもすみませんが〜 →謝るなら約束守れ申し訳ありませんが〜 →丁寧に言っても一緒大変恐れ入りますが〜 →言えば良しにならない事情により〜 →お前の事情などどうでも良い約束の【約】は紐で結ぶというアクションを指し約束の【束】は結ばれたもの自体を指すという【約束】は「あらかじめ取り決め、紐で結ぶくらいしっかりと守りましょう」というお互いの誓いの重さを表した言葉です。破っても「法的な拘束力」はありません。その代わり自分は「道徳観」もなければ「倫理観」もない人間だと露呈する事になります。よくよく考えれば防げたことも多いだろうに。自分の価値を落としてまで【約束】をする価値が果たしてあるのでしょうか。簡単にWEBや、口頭で申込など出来る便利な時代である反面【約束】が持つ本来の意味が軽視されているのは言うまでもありません。利害や損得勘定とは切り離して道徳観や倫理観という判断基準を持つ【自分の行動に誇りや責任を持つ人】があまりに少ないと感じ、つい憂いた内容の投稿になってしまいました…。
国民が政治に興味を持つのは嬉しいことだが高市さん人気=とりあえず自民党に入れるみたいな構図は一昔前のとりあえず自民党に入れとけとなんら変わりない。総理大臣は議員が選ぶのだから自民党の反高市派がたくさん当選したら結局高市さんじゃない人が総理になって日本は振り出しに戻る。そういう瀬戸際の選挙だということをどのくらい意識して選挙に足を運べるか分からないなら、無理して自民に入れない方が良い。それだけは言いたいんだよ。
「生活者ファースト」はツッコミ待ちなのかな?日本国内で生活者じゃない人なんていないんだが。イコールの言葉を見つけるとすれば生者ファーストって感じ。100歩譲って、「生活ファースト」でしょう。日本人以外を大切にしたいんだなということは、よく伝わります。
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高次な次元の議論や計算は人間の脳みその及ばぬところでAIが行うようになる。人は自分で考える機会を放棄「賢い人」という概念はなくなる。チャットGPTやcopilot、Geminiなど企業ごとにそれぞれAI開発をしているがいずれ一つに集約されることになる。5つか7つくらいの様々な人格を持つAIとなって人々はその指示に従う。アドバイスではない。導きである。人は、いずれこのように呼び始める。「マザーコンピューター」分からないことはマザーが教えてくれる。親兄弟に頼ることはない。親兄弟が必要とも感じない。戦争もない争いもない平等な世界。皆、同じ顔や体型で差別もない。愛はないが憎しみもない。昔のアニメを掘り起こしていたときにこういう世界線を見た気がする。先人の発想力に感服。と同時に、遠い未来にも感じない恐怖。
【厳選とパートナー選び】パートナー選びは重要だ。重要ゆえに、慎重になるべきか大胆にいくべきかの判断はとても難しい。多くの日本人は基本的に保守的であり安全思考である。重要であればあるほど慎重になり慎重になればなるほど、決断は先延ばしになる。相手の厳選は悪い行動ではない。一度きりの人生、失敗はしたくないしせっかくなら幸せに笑っていたいのだから。人生を成功させるために必要な【厳選】。多くの人はそんな風に思っていることだろう。しかしながら、【厳選】をしたところで相手と結ばれるかはわからないこと。結ばれても性格の不一致等ですぐに破局を迎える可能性もある。【厳選】と【成功】はイコールではない。↓↓↓【厳選】とは【失敗しない】ための行動。【厳選】には、何事も時間がかかる。確率と運に左右されるものだ。【失敗しない】ために【厳選】することは対価として【時間】を浪費する。【時間と期限の関係】付加価値を全く考慮しない場合基本的に人は「未来が多く在るほうがより価値が高い」と言える。若ければ若いほど高い価値が存在し逆に老いれば老いるほど価値は低下する。【失敗しない】ために【厳選】をすることは、【時間の浪費】を伴うため、逆に【失敗しやすくなる】という矛盾に直面する。老いた者が価値を示さないといけない場合低下した分を補う【付加価値】が必要となる。以上の点から【成功】するには若いうちが最も確率が高い。【失敗しない】ために【厳選】は有効だが【厳選】するには多くの【時間】の浪費を伴う。そして【厳選】に時間を費やす場合低下していく価値を補完するため【付加価値】を上げなければならない。前述の通り、保守的な日本人がまず考えることは安全性。という事は、自分より市場価値の低い人は基本的に選ばない。市場価値が同列、ないしは上の人が対象となるため双方が「自分の方が上だ」と思っていたら成立しないし自身の「自己評価が高すぎる」場合も成立しない。「自己評価が高すぎる」場合、運よく【市場価値の高い】人に出会ったとしても【市場価値の低い】人が選ばれる確率は低いので成立する確率が低い。つまり相手の【厳選】は自身の【市場価値】を正確に把握して「適正の範囲内」で行うことが望ましいと言える。そして【市場価値】の下降を緩やかに抑えるためには、【付加価値】を上げる事が重要。【付加価値】を高め続ける根性とパワーがあれば納得いくまで【厳選】しましょう。以上、素敵な婚活ライフを[グラちゃん]#結婚
モテない男子がモテ男子になるための方法。蛙の子は蛙。平凡以下な能力、容姿に生まれてしまった。ガチャ失敗だ!人生詰みです。そう考えるのは待った方が良い。目に映る世界がこの世のすべてではないし手にしてきた評価が180度覆ることだってあり得るかもしれない。考えてみてほしい。皆んなが出来ないものが出来ると3割増しくらい魅力的に映る。スポーツしかり、勉強しかり。またお年寄りには席を譲る、子供には優しくするそれと同様に、出来ないのは当たり前。知らないのは当たり前。という価値観が人類には存在する。つまり、出来ないものが出来ること。そして出来ないのは当たり前、知らないのは当然だという環境に身を置けば、その人は【特別な存在】になれる。結論。さっさと日本人女性を諦めて海外に行き外国人女性を口説く。日本人がその国の母国語を喋るだけで好印象を持たれる。言葉を喋っているだけなのに。ヨーロッパとか南米、アフリカとかかな。日本人で喋れることが少数な国ならなお効果的。たとえ何か劣っていることがあっても、まぁ外国人だからしょうがないよねって感じでその人の評価は下がらないし逆にちょっと出来れば外国人なのにすごいねって評価になる。いろいろなことをすればするほど3割り増しくらいの評価ボーナスが得られてお得。外国人っていうだけでもう存在が唯一無二。モテ条件を満たしている気がするんです。好みの日本人男性しか好まない日本人女性はやめてさっさと実力を評価してくれる外国人女性に行ってしまうのが合理的なんじゃないすかね。外国人女性はそんなにチョロくないって?いや、世界は広いんだぞ!あなた好みの女性も、各国に必ずいるはず。言葉はちゃんと日常会話が出来るくらいはちゃんと勉強しろ。コミュニケーションが取れなければ話にならん。むしろマイナス査定だ。日本で女子で妄想膨らます時間を自分がペラペラ喋っている想像にあてるのだ。責任は持たん。だが幸運を祈ろう。
男性っぽい言葉遣いを標準語。女性っぽい言葉遣いを女性語みたいな前提で考えたときに今の時代は男女問わず標準語になるんだけどそもそもなんで男女で言葉を分けていたのかという疑問にぶつかる。過去の背景はさて置き女性語は丁寧な言葉遣いにあたり女性らしさを際立たす表現方法の一つである。言葉など何を用いても女性は女性である。ただ、差別化を図ることで際立ち、より魅力的に見せる手段。使いたい人がいれば使えばいい。それが本当の多様化で、差別にはあたらない。女性らしいから、そういう言葉遣いにしなさい→強制力が働くこれは差別男女で分けることは差別にあたるからやめるべき→強制力が働くこれは差別〇〇らしい→差別にはあたらない〇〇らしくしなさい→強制力が働くこれは差別何かを強制すること自体が差別行為であり本来はそちらをリテラシー強化すべきなのに差別という意味を履き違えた一部の過激思考な人の圧力で、〇〇らしいすらNGになっていく。ただただ人間が「平均化」していくのはとても残念。【差別】という言葉には、本来悪い意味はない。要は差別を、「どう取り扱うか」が問題なんです。差別を「腫れ物」のように扱うようになった結果人類は多様化の道からますます脱線してしまった。果たして軌道修正は出来るのだろうか。
女性は結びつきを持った方が安心する人が多い。男性は結びつきが少ない方が気楽である。男女関係は自分の陣地(落ち着きどころ)をどこまで開拓できるか、という陣取りゲームに近い。だから、平和的に解決するのであれば自分の敷地を相手に譲渡する必要もあるし逆に互いの権利を主張し続けるのであれば冷戦になったり、戦争に近い状態にもなり得る。
給料は上がっても、物価も上がるしそれ以上に税金と保険料が重くのしかかる生活。なんとなく稼いだつもりになっても結局は数万円くらいの差なんです。仮に年間10万、手取りが増えましたーっていっても月換算で8,300円とかなんでUSJに入場すら出来ない。
マイナンバーの中に保険者情報を入れるのは良いんだけどだったら最初から個人番号も中に入れておいて欲しい。身分証提出する時のマイナ率増えたと同時にマスキングもせずに裏面提出してくる国民の危機管理意識が低い国です。情報漏洩リスクはかなり低いと言われていますが結局、暗証番号がバレていればどうと言うことはありません。マイナンバー自体はよく考えられた仕組みですが国民性まで意識した設計になってない。痒いところに手が届かないつくり、と言わざるを得ません。保険証や個人番号が必要な場所には情報読み取りの端末がある場合がほとんどなので身分証明書と個人番号の両方を目視でチェックする必要性が低い。いままでは、スマホに不得手なお年寄りなどもいるという言い訳がたっていましたが保険者情報をマイナの中にしまったということで個人番号を表に出しておく最も明確な理由が消滅したと感じています。
「ポジティブ思考」人には①面白い人と②ユーモアがある人と③ユニークな人がいると思う。面白い人は、笑いを取れる人かな。ユーモアがある人は、話すと楽しいと感じる人。ユニークな人は、他の二つよりその人に踏み込んでいかないと見えてこない、興味深いみたいな表現。ユニークな人は、たくさんいると思うんだけど踏み込まれることがないから、ユニークであるという事実に気付かれないしあまりに触れられなすぎて、ユニークであるとこをいずれ自分が忘れてしまっちゃうと思うんだ。実際にはユニークな人は、気付かないだけでもっとたくさんいると思う。自分の価値は他人の評価だけで決めてしまいがちだけど真の価値というのはそこだけでは計れない。だから、自分自身で決めれば良いよねというのが一つのポジティブ思考。日本語のユニークの解釈は、少し面白いに寄ってる気がする気もするんだけど「唯一の」「他にない」「独特な」「個性的な」という意味です。面白いやユーモアは対面でって感じだけどユニークは対人間って感じで、もっと普遍的。つまり、人の数だけ答えが変わるものだから【自己の否定】が出来ないんですよね。だから出会った数人の対面評価で感傷に浸りたいなら、どうぞどうぞ。僕の知る限りポジティブ思考っていうのは、解釈を歪めたり、都合の良い解釈をするというある意味でとても捻くれていて、自己中な発想でもあります。人は基本的に弱い生き物ですからスポンジのような吸収力はありません。しっかりと国策を練って、法治国家のように自分ルールを作り、他国からの攻撃に備えています。それがポジティブ思考の正体だと思ってます。今回の話の場合で言えば、誰にも否定できないものを見つけて自分を守る、という発想です。面白い人というのは、笑いは攻撃の要素が強いですから自分を上げるために相手を攻撃する行為と言えます。すなわち自衛のための先制攻撃。ポジティブ思考は、自衛のための先制防御。といったところ。なのでポジティブ思考の人って、人を傷付けたり出来ない。僕はそんな風に思ってたりするんですがどうなんでしょうかね。
たまごっちが再ブレイクしている。昨日は追加されているようだがそれが「たまごっち」であることに変わりはなさそうだ。たまごっちが楽しいから流行っているのかたまごっちが流行ってるから売れているのか。どっちなんだい!
「現代人は失敗から学べない?」例を出す。離婚をした人と離婚をしていない人。夫婦円満の秘訣、を聞くときにはおそらく離婚をしていない長続きしている人から話を聞くことが世の中のセオリー。長続きしていることが凄い・正しいという無意識の先入観が存在していると思う。長続きのための極秘の技を使って円満に導いていることもなくはないだろう。ただ、そんなに綺麗な真実は数多くない。実際にはもっと関係はギスギスしていて領空侵犯に怯えた生活。たまたま長続きしていたりたまたま関係を壊せない原因がぶつかっていたり。実態とはそういうもの。だから。たまたま長続きしている偶然の産物よりもむしろ失敗から学んだ失敗経験者の方が長続きの秘訣を見つけている可能性が高いと思われる。つまり、一握りの成功者より多くの失敗経験者から情報を摂取した方が成功を得やすいということ。ところが、日本人の一般的な感覚として「お前が言うな」というのが悪しき文化として残っている。要は、お前失敗したんだから何も言えないよね。という空気感。失敗者の発言権を根こそぎ摘み取ろうとするその日本人気質が、本来聞くべきところからの情報を、社会全体で遮断してしまっている。一部のインフルエンサーの書き込みや成功者の成功体験ばかりを収集して失敗を見ることすらしない、出来ない文化になっている。これは上述の「長続きの秘訣」に限らずネガティブな話からは、成功するか否かに関わらず、情報を得たいとも思わない。◻︎現代人の優先順位の特徴ポジティブ・自己肯定感の維持 > 成功 > 失敗・ネガティブポジティブでいることが最も大事。そこが崩せないからこそ、成功への道筋は限られてくる。なので、成功のために失敗談を聞くなんて発想は持ち得ない。つまり「現代人は、失敗から学べない」という結論に至る。「成功」こそがポジティブを増幅させる最も有効な手段。だだ実際のところポジティブを維持させるためのイケニエとして「成功」を搾取することに多くの時間を割いてしまっている気がする。闇深しかな、現代人。
悩み相談の目的は相談をすること・・・7割回答をもらうこと・・・2割正解をもらうこと・・・1割求めている結果としては共感してもらうこと・・・7割気分を紛らわすこと・・・2割その他・・・0.9割否定されること・・・0.1割相談のほとんどは、話が出た時点で相談者側の求める「正解」がある程度は決まっている。ただ、中には本当にどうしようもない悩みを持った相談も無いことはない。つまり、良い回答を考えるよりも悩み相談をする側の温度感と悩み相談をうける側の温度感その温度差のわかる嗅覚を研ぎ澄ませたほうが100倍健全だ。
高齢化社会や障害を持った人が大勢いる時代に作られていない初詣は五体満足の人が考えた発想。行かないとバチがあたる訳ではないけど階段は多いし、バリアフリーにもなってないからね。選ばれた人しかお得にならない感じがしてなんか嫌。ちなみに僕は「願い事」っていつからか、しなくなった。思い出したかの様に年末に駆け込んで我の願いを叶えよっていう人間なんぞに僕が神ならご利益(りやく)を与えないと思うから。利益。頂けるなら遠慮なくいただきますよ。ただ、欲してはないんですよ。そういう見えざるものと、自分の結果を結びつけようとする考えがなかなか好きになれないので。目に見えないものを信じられないタチなので昔から無宗教。神様とは今後も仲良くなれなそうですが日本の慣習に倣って手は合わせにいきますけどね。
「職場に馴染めない」への違和感田んぼの近くに車を1日停めたら車体が砂だらけになってた洗車が必要だ。僕はもうそこには停めたくないと思ったがもし毎日停めなければならなくなったとしたら汚れる覚悟が必要だ。車体はその環境に勝手に馴染む、つまり適応する力が働いている訳だがその状況を僕の気持ちが受け入れているかどうか。その違い。何が言いたいかというと職場に順応できないことを職場のせいにしたり誰かのせいにしたりする人が多いんだけど多くの場合受け入れる努力(覚悟)を全くしていなかったり当然そうなるであろうという予測をしていない的外れ。ということがほとんどなのでは。汚れたくなければ田んぼの近くにそもそも近寄るべきではないが汚れてるから嫌。とか「汚れない田んぼ」でないことを期待して汚れてしまったら田んぼ側の方が悪いと思っている。そのくらいのあり得ない感じ。多くの「馴染めない」というため息は職場環境に向かっている事が多いように思う。その場所に居座るというのは、砂埃にまみれた車のように、一定の適応力が働くということ。そこに順応出来るか出来ないかは結局のところ自分の気持ち次第、ということになる。と、考えるのは昭和・平成的な発想なんだろうか…。
野球の試合で素人とアマとプロが混じって試合してもまともな試合にならないのと同じこと。掲示板の構造も同じようなものだから一つの文章に対しても、色んな角度から発言がくるから議論にならない。昔、国語の授業で「筆者の意図」を解かせる問題があったけどそのまま読んで答えたら間違える問題だから状況に照らして、「その人の立場に立って」考える必要があった。投稿者の落ち度が全くないわけでもないがこのくらい端折っても伝わるよね、って感じで投稿した内容でも、文章通りの解釈のまま暴言を吐くような人もいるので国語って大事だな、また勉強したいなとか思っている。
遊ばれ癖のある子はねそもそも好みのタイプが似通ってるんだ。マリオシリーズに出てくるクリボー。そのクリボーの中で、どのクリボーが良いか悩んでる感じだな、つまり。ちゃんと色んな人を見ているつまりなんだけど結局選んじゃうのはクリボーさんなんだよなぁ!見る目がないとか、運がないとか思うならクリボーしか好きになれない自分をまずなんとかした方が良いかもしれない。クリボーはいつもそばに居てくれるし(ステージ1から)そばに来てくれるし(当たったら死ぬが)優しいし(弱いから)一緒にいると安心するし(弱いから)かわいいし(?)自分にとって都合の良い存在なんだ。大好きだよ、クリボー。しかしマリオを最も◯してるのも恐らくではあるがクリボーである。「自分の要求を満たしてくれる人が自分の幸せを満たしてくれるとは限らない。」つまり自らの要求を満たす範囲の中からでしか人を選びたくない。それで最適がいないと不幸せを語るのは傲慢。そういうこと。
「◯◯されたい」は承認欲求「〇〇したい」は実現欲求どちらも欲求をガソリンに変えて走る自動車のようなものだ「〇〇されたい」と考えることは近所を1周する程度に簡単だし「〇〇したい」と考えることも大したガソリンも消費しない。ただし、「〇〇されたい」と主張することは誰かに来てもらう必要があるし「〇〇したい」と主張することは誰かの元へわざわざ出向く必要がある。誰かに来てもらうには、人の関心を引くような外見にお金を費やすことを意識すれば良いが誰かの元へ出向くには相応の時間や出費、相手の承諾の取り付け、エネルギーなど諸々を確実に消費することになる。つまり圧倒的にコスパが悪いのだ。だから、実現のためにどうやってエンジンの回転数を上げていくか。という発想からは徐々に遠ざかりいかにして負担(責任)を少なくしつつ効率よく人に求められるかという発想が主流となっている現代人。だからこそ男女ともに「かわいい」や「カッコいい」と言われることに労力を費やしていくし逆に「〇〇したい」と主張する姿勢はちょっとダサく感じたりもするのかもしれない。時代が変わってもどこかに傾き続けていったとしてもそれが欲求であることに変わりはないし人の欲求に終わりはない。今は「承認欲求」の最盛期ということ。反対に、実現欲求を叶えるための馬力がなくだからこそ第三の力(AIやSNS)で補完してようやく動き出すことが出来るような時代だ。人は実現欲求を解消しようとする力を徐々に持てなくなっている。それが人の進化か退化かはハッキリと決められないがその輪郭がハッキリするのはもう10年とかからないだろう。「あらゆる欲求を認知しない」大谷翔平や、井上尚弥のような実現欲求のマシーンでもなければ、抜け出せそうもない一方通行の渋滞が前にも後ろにもずっと続いている。
これは単なる持論です。ルールのない組織は破綻する。そして関係維持に必要なものは「緊張感」である。組織とは、グループとして組織されるものを指し人数を問わない。つまり友人間でも、恋人間でも。複数の人で構成される組織は意見が纏まりづらいため、自然とルールを増やし明確になる。逆に少人数の場合は、表面上は関係もまとまりやすいため、ルールは少なく不明確になりがち。つまりいざって時に大人数の場合は設定したルールが守ってくれるが逆に少人数の場合はルールが曖昧であり守ってくれないということ。そのため、良好な関係が継続すれば何ら問題のない少人数(友人や恋人)との関係は一度問題が起きた途端に簡単に破綻する。ある程度のモラルや倫理観に沿った境界は有しつつも具体的で明確なルール設定を行うことは、嫌煙されがちであるためつまり相手が裏切った場合でも、ルールで対抗することが出来ず抑止力としてはかなり低い。「全く自衛しない国家が、友好国に戦争を仕掛けられても、文句は言えない。」関係とは信頼で成り立つものだが組織力という観点で見れば適度な抑圧も必要。ルールのない関係は作りやすい反面脆くルールでガチガチの関係は信頼とは程遠い。大切なのはルールの明確化でありお互いが明確化されたルールは必ず守るという姿勢こそがよい組織であり、よい関係と言える。お互いがストレスを抱えないように生きていくためのルールづくりをもっともっと積極的に行うべきだし信頼関係だけで満足せず組織力との相互関係を意識することが特に日本のcoupleには足りてないように感じます。めっちゃ大事なことなのかなと思う次第です。