「占い信じますか?信じませんか?」みたいな質問よくありますけど、この質問すごく違和感あるんですよ。おそらく「犬派?猫派?」「きのこ派?たけのこ派?」みたいなアンケート感覚、立場表明、日常会話の延長の足掛かり、場合によっては踏み絵としても機能してると思うんですけど。質問が雑すぎて完全にカテゴリーエラー起こしちゃう。例えるなら「あなたは言語って信じますか?」って聞かれてるぐらい意味が分からないんです。笑#タロット #占い
タロットって、もともと貴族階級のあいだで嗜まれた、知的教養としての遊戯カードなんです。日本でいうなら、百人一首のようなものだと思ってください。子どもの頃って、百人一首といえば「坊主めくり」くらいじゃないですか。札の意味なんてどうでもよくて、坊主が出たらキャーキャー言って盛り上がるだけ。でも大人になると、上の句と下の句の響き、和歌の比喩、言葉の美しさ、季節の移り変わりと人生観、無常……そういう“余白”に心が動くようになる。外国人に「百人一首?坊主ガチャの運ゲーカードだよね?」って言われたら「いや違うんだよ、本当はそうじゃなくて…」ってなりますよね?笑タロットも同じように、ただの「占いのための運ゲーガチャカード」じゃなく、そこには、歴史的背景、哲学、神話、思想史、美学を味わう、"大人のタロットの楽しみ方” が実はちゃんとあるんです。#タロット #占い
最近、クローリーの命日だったこともあってトートタロット熱が上がっております。長年の疑問なんだけど、トートタロットで他者リーディングしてるプロの占い師さんは何をどうやってんだ??だって、トートタロットって・カード一枚の象徴密度が高すぎて、話さなきゃいけない情報量が多すぎる。・前知識の前知識だけで1時間溶ける(まだカード一枚も引いてないw)・あの"クローリー語"をなんとかして訳さないといけない。→それをしないと"占い"にならない。→でも"占い"にするとトートの意味がない。→結果、占いではない"何か"になってしまう。そして語尾が「〜せよ」「〜を為せ」「〜すべし」とパワハラ軍曹みたいな口調になるw絶対、他人に引けないwww#タロット #占い #あるある
「タロット占いって当たるんですか?」という、とてもプリミティブなこの質問をわりと頻繁に受けるので、お答えします。あえてアクロバティックな回答をするなら、「タロットは、絶対に当たります!」です。笑もちろんこれは、「未来をピンポイントで的中させる魔法の道具です!」という意味ではありません。もう少し正確に言えば、「タロットを“象徴として”読む限り、外れようがないくらい“当たる”ようにできている」ということです。#タロット #占い
久しぶりにログインしたら「彼の気持ちを占ってください」っていうメッセージがいくつか来てまして。(……なんで私に??笑)実は、よくあるこの手の"彼の気持ち占いの恋愛相談"を構文として翻訳するなら、「私は彼との関係の中で、自分の存在の確かさを確認したい」とか、「私は“自分の物語の中でこの恋がどう位置づけられているか”を占いで言語化して欲しい」になるんですよ。"本当(世界)の意味"を知りたいという願望が、「彼の気持ちを占って欲しい」という表現語彙で出力されるっていう現象なんです。笑“彼”という記号は、神話学的にいえば"彼=世界=神的な存在"として機能してるんです。つまり、「彼の気持ち」は“心理”ではなく、“神話的関係性”の問題。彼=愛の対象=世界=他者=神の視線、という構造で置き換えると、「世界が私を見てくれているか」「私はこの世界に愛されているか」という宗教的な問いの残骸が見えてきます。……ですのでDMが来るたびに、「人類学的サンプルきた!」「現代神話学のフィールドワークや!」と静かに喜んでおります。笑#タロット #占い #彼の気持ち
占いが扱うのは「不在の確定」ではなく「現在の選択」です。未来や他者の心を確定する代わりに私の態度を選び直す。占いは未来を固定しません。むしろ問いの枠組みを撹乱し、自分の視点を組み替えます。その時、占いは"因果"ではなく“応答”として立ち上がる。「わからなさ」とうまく付き合う設計こそ、占いの倫理だな、と思ったりしました。 #タロット #占い
恋愛の相談を聞いててよく思うのが、本人にとっては切実でも、外から見るとただの"自作のラブストーリー"なんだよな。「相手そのもの」より「相手を使った自己物語」になっている。だから相談が歪む。「相手はどう思ってるんですか?」じゃなくて「私が作り上げた“彼”という物語の続きを保証してほしいんです」って構造になってる。どうしてもそれが“恋愛ごっこ”の枠組みに見えてしまう。相手よりも「相手を映すスクリーン」としての自分の心がメインになっている。「相手が好き」ではなく、「相手を使って作った恋愛ドラマ」が好きになっている。つまり「人間関係」より「物語関係」が先に立っている。たぶん相談者本人も薄々わかってるけど、その「ごっこ」を崩されたくないから、占い師に“物語の承認と補強”を求めてる。…私が占い師に向いてないのは、たぶんこういうところ笑#タロット #占い
私は相手の気持ちを占いません。なぜなら、占うべきはここにいる“あなた自身”だからです。人の心は流動的で固定できませんし、不在の人の心を決めつけることは個人の尊厳を損ないます。なので、必要なのは問いのリフレーミングです。「相手は私をどう思ってますか?」ではなく、「私は相手にどう関わろうとしているのか?」「私が安心できないのはなぜか?」「私はなぜ相手の気持ちが分からなくて、不安にるのか?」「私はどうしてそれを知りたいと思うのか?」大事なのは主語を相談者に戻すこと。問いの問い直しをした時、タロットは答えてはくれないが、応えてくれる。#占い #タロット
『幽霊はいるのか?いないのか?』——この手の論争は定義をサボった瞬間に知的事故が起きる。まず“幽霊”の適用範囲を確定しないまま殴り合うのは、オフサイド知らずに笛吹いてるのと同じ。その上で、最低限この四層を踏む。1. 存在論:「ある」とは何を指すのか。物理的持続? 心的実在? それとも社会的実在? (「俺は見た」は存在論じゃなくただの近況報告)2. 認識論:どうやってそれを「知る」のか。証言・追試・再現性・反証可能性。体験談はデータではなくデータ点の候補にすぎない。3. 言語論(意味論/語用論):“幽霊”という語は、場面ごとに何を成し遂げるラベルか。比喩? 方便? 脅し? 慰め? 語の機能を問わずに“実在”だけ問うのは、ドライバーの種類も見ずに“車は速いか”と聞くのと同じ4. 記号論:物語・図像・儀礼における〈幽霊〉の配線図。差異と反復、類型の回路(四谷怪談型など)。構造を読まずに“ほんとに出たか”だけ聞くのは、楽譜を捨てて音程だけ議論してるようなもの。ここまでやってようやくスタートライン。この手順をすっ飛ばして「科学で完全否定!」とか「量子が証明!」とか言い出した瞬間、雑さの種類が違うだけで同レベル。一方で、プロの怪談師は構造を見せずに“効かせて聴かせる”折口信夫のまれびと系譜とか語りたくなる私の分析脳を配置と間だけで黙らせてくれる笑まとめると——結論を急ぐほど幽霊は“出る”#怪談話
「私のことを理解して欲しい」言葉が届かず、勝手にラベルを貼られ、浅く判断されるたび、心は少しずつ削れていく。その度に「私は本当に誰かに理解されることなどあるのだろうか?」なんてことを思ったりする。けれど、タロットはちがう。黙ってめくられ、読まれ、誤読されても、ただ象徴として在り続ける。「私はそんな意味じゃない」などとカードは声高に主張しない。カードはただ、沈黙している。カードは「理解されるため」ではなく、「解釈され続けるため」にある。私たちもまた、タロットと同じように日々読まれる存在だ。だから目指すべきは「誤解ゼロ」ではない。誤解されても損なわれない象徴性――核を一つの言い分に預けず、複数の層で支えること。語らない規律を持ち、余白を残すこと。二枚のカードを眺めながら、ふと思う。私はこの月に沈んでいたいのだ、と。#占い #タロット
占いやスピ系の配信で、私はよくこう聞きます。「その言葉、どういう意味で使ってますか?」これ、別に意地悪したいわけでも、揚げ足取りでもないんです。論破が目的でもなければ、「信じる/信じない」の話でもない。笑私が尋ねているのはその人が語っている“世界観の前提”です。たとえば「カルマ」という言葉ひとつ取っても、仏教?ヒンドゥー教?ジャイナ教?それともニューエイジの用法?立脚点が違えば、当然意味も機能もまったく異なる。「その人が見ている地図と地形はどうなってるのか?」を確認しない限り、会話は噛み合わない。つまり、言葉の辞書的な意味ではなくその人の"思想のOS"を聞いてるんです。これは知識確認とかマウントの意図ではなく、 「その話を私がどう受け止めるか?」を見極めるために聞いてるんですよ。たとえるなら、「その“ハシ”って、箸ですか?橋ですか?端ですか?」って聞いてるだけなので、気にしないで下さい。笑#占い #タロット
わたし実はちょっとした趣味?があってそれはメルカリで本を出品してる人の出品リストを眺めることなんです。メルカリの出品一覧って本棚とも違う。しかし、かなり赤裸々。"未完の人生の履歴書"みたいな感じ。出品リストに“思いついたこと”と“諦めたこと”が混在してて、その人の生活の余白ごと写っちゃう感じが文学的だと思うんですよ。医療系の資格本→自己啓発本→誰でも簡単レース編み→マインクラフト攻略本→YouTuberになるためのノウハウ本とか見ると『え?この人どう人生編んでるの?編み目どこ?』ってなるけど。笑新品同様の"はじめてのギター"なんてもう、メルカリ文学の中でも上位の一文。「何かを始めようとした誰かの痕跡」っていう切なさと愛おしさが詰まっててさ。
「タロットとおしゃべりしてる」「タロットがメッセージをくれる」と言う占い師さんに、ぜひ一度、尋ねてみたいんです。『私はそんな意味じゃない!』『私はそんなこと言ってない!』『それは誤解だ!』とかタロットカードは言わないんですか?とたぶん審判のカードとかそろそろブチ切れて記者会見開くレベルだと思うんですよ。記者A:「今回また“復縁カード”として解釈されましたがいかがですか?」審判(JUDGEMENT):「いい加減にしてもらえます? 私は“死と再生”、“霊的覚醒”、“召命”のカードなんですよ。“既読スルーされた彼からの返信”じゃないんですよ。」記者B:「じゃあ“元彼からのLINE”の暗示では……?」審判:「ちげーよ!神の審判なんだよ!墓から蘇る人類全体の話してんの!!天使のラッパはLINEの通知音じゃねーんだよ!!」記者C:「世間では“復縁の兆し”として人気ですが……」審判:「人気とかどうでもいいのよ!本来は“霊的に呼び覚まされる自我の覚醒”だっつってんだろ!“おやすみ”スタンプの後に2週間放置された話じゃないのよ!」「「つか、墓から蘇ってまで“元彼”かよ!?」」とか笑#占い #タロット
占い師:「本日のご相談は?」私:「“我々はどこから来て、どこへ向かうのか?”──人類が永遠に問い続けてきたこの問いを、タロットで読みたいんです。本気で。」たぶんこの瞬間9割の占い師がフリーズする。わかってる。普通の相談じゃない。でも私は知ってる。“象徴と構造”を読める人なら、この問いにすら応えてくれる。むしろ、こういう問いにこそ"カードの本質"が届くことを知っているはず。⸻多くの人がいう、占いの3本柱:「当てもの」「癒し」「助言」そのどれも、私は求めてない。それ以外の“射程”──"構造と象徴の“沈黙の臨界点”に、私は賭けてる。そういう意味で、私は占いというものを、本気で信じている。⸻でも……99%の占い師には『"我々はどこから来てどこへ向かうのか?"じゃねぇよ⁉︎お前こそどこから来たんだよ?とりあえずお前が向かうところはここ(占い館)じゃない!』って思われてる。笑#タロットの臨界点#存在論的占いジプシー#もはやただの信仰告白#哲学科に行け#占い館の中心で象徴界と構造主義を叫ぶけもの