自分の行動は、自分の内側にある意思によってではなく、「周囲の環境」と「過去の累積」によって決定される。 たとえば、目の前にコップがあって初めて、人は「コップを手に取る」という動作を可能にする。椅子があるから椅子に座ろうと思う。通知が来たからチェックしようと思う。 「自分とは何か」という問い立てはかなり的外れである。なぜなら、自分とは常に環境によって流動し変化していく動的な存在だからだ。ぎゃくに、環境側もまた自分という存在に影響を受けて変化する。「自分」と「環境」、内側と外側が相互作用を常時起こし続けているというのが実態だ。環境の変化を無視したら自分は成立しない。 つまり、環境を変えれば自分は変われる。ここでいう環境とは、つまり情報のこと。視覚、聴覚などから入ってくる情報を一新し、それを柔軟に受け入れる柔軟な心があれば、人はアクティブに変わり続ける。
体力は鍛えることでつけることができる。しかし、「短時間で体力を使い切る力」は鍛えることができない。これは、生まれ持った遺伝子と幼少期の環境で決まる。現役で東大に受かったりする人は大体この能力が高い。日中に力をすべて出し切って、泥のように眠るというベストなサイクルを継続できるから。
真実は大抵つまんなくて、どっちつかずで、わかったようなわかんないような曖昧然としたものである。すっきりしないが、それでいい。そうでなければいけない。0か100かで物事を考えるような楽はすべきじゃない。0か100かの答えを大声で話している人は、酔っ払いか詐欺師だろう。