共感で繋がるSNS
フラウビ

フラウビ

https://note.com/levelbooks 小説書いてます
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』76
大久保さんが話し終えると、立ち上がったのは、平べったい顔なのにシュッとした吉岡だった。彼は元々大手広告代理店の社員だったのだ、まずその社名を出してから、
「僕らが東京から来た意味はあります。僕らは売り方を知っています。モノを売るんじゃないんですよね、モノは見せるんです。モノは、売り方で九割が決まります。その売り方を、全国に発信していく術を、僕らは広めたいと思っています、そういうお手伝いをぜひやらせてください。一心同体なんです」
 反吐が出るな、と僕は思った。営業の沢村さんが僕の耳元に小声で、「やっぱうまいね」と言った。彼らは情報発信に長けていて、しゃべりもすごい。人の魅力が仕事になるという稀有な例だ。この人だから任せたいなんて、普通のビジネスでは中々ない。だが藁にすがる者は、きっと彼に魅了されるだろう。この島と心中する気なんてあるはずないのに、平気で一心同体なんて言う。集まった島民は胸をうたれ、感傷的な顔つきになった。
 島民たちの眼はきらきらとして、一心に立って演説をする吉岡を見つめていた。ちらっと横の大久保さんを見た。大久保さんはただ真顔で正面を見ている。そう、彼にとっては利用できればただそれでいいんだ。そして僕は、冷静にその行く末を考えていた。
GRAVITY1
GRAVITY55
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』75
まずは役所に向かう。キャリアの大久保さんはすでに着いていて、一室で役所の方と話をしていた。彼はひとりだった。ふと思ったのだが、広告代理店のご一行は、ウミヘビ以下五人、僕らも沢村さんと二人だ。肝心の国の人間は一人で来ている。僕はそれについて、夜の集まりで聞いてみた。「いや経費がね、視察だけですし」と大久保さんが答えたのが印象的だった。島一番の割烹料亭で、市の偉そうな人、大久保さん、そして僕らで会食をする。もちろん、割り勘だ。
 昼食のあと、今後どういった補助金があり、どうした手続きを必要とするかの説明会が始まる。続々と島民が集まり、百人あまり用意された座席は全て埋まった。ほとんどの人が個人事業主だ。漁業を営む人、製菓工場の人、なかには、島に来てサーファーショップを起こそうとする若い人もいた。 なんの約束もないのだが、僕らは集まった人たちの全面に一列に配された長机に、大久保さんを中心にして座った。
 最初の三十分で大久保さんが、未定だが今後どのような動きがあるかを、きわめて抽象的、ひとつも明確でない言い方で、とうとうと話した。さすが役人だ。言質になりそうな発言がひとつもない。よくよく聞いていても、何か月後に申請があって、条件は何で、どのくらいお金をもらえるのか、全くわからない。それでも前面にずらっと並んだ事業者たちの眼は真剣だ。さかんにメモを取っている人もいた。
GRAVITY2
GRAVITY63
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』74
悪天候のせいで、飛行機は着陸まで三十分も空港上空を旋回していた。そうしたことも、離島は行きづらい場所と思わせないでもなかった。五島の小さな空港に着くと、椿の花であしらわれたエントランスロードが続いている。
ロビーでウミヘビたちに紹介された。ウミヘビたちは五人で来ている。一人は、独立してイベンターになっている吉岡。彼はやたらに目が離れていて、なんとも薄情な顔に見えるのだが、全体としてはシュッとしていて今風の男だ。くだけた格好している。
「あんまり仕事仕事言わないで、適度にいきましょ」吉岡はそう言うとにんまりした笑顔になった。気さくだ。いかにも、人受けしそうだ。そしてもう一人、ひとりだけ女性がいた。初対面だ。男たちの間でひときわ小さく見えたのが、頼母木さんだった。彼女は挨拶の時、影にいて口を聞かなかった。しかしここにいるメンツが全員三十代で、彼女だけが年配だった。自然、彼らの中のリーダーのような存在だったと、あとで知ることになる。
 僕らは二台のタクシーに便乗して、島の中心部、市街地へと向かった。僕は初めて来た土地で、タクシーの窓からずっとあたりを窺っていた。東京郊外の駅前に広がるささやかな街の風景とあまり変わりはない。歩道を歩く人や、行き交う車が、少ないかもしれない。しかし建物の外見や商家の看板、信号、横断歩道、アスファルト、当然ながら、日本のどこにでもある街の風景だ。内陸に入ってしまえば、島だからといって別に四方が海というわけじゃない。だからここが日本の西の果ての離島だなんて想像するのは難しかった。
GRAVITY4
GRAVITY66
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』73
「どうする?」電話越し、年配の沢村さんは言った。
「そりゃ付いて行くでしょ、日程、いつなんですか?」僕は会社で、パソコンのスケジュールを開いて聞いた。会議があったとしても行くべきだと思った。
 沢村さんと二人、別にアポを取ったわけでもないが、大久保さんを追うことにした。ここが少し難しい。世論は国と民間大手企業との癒着に敏感だ。僕らはあくまで偶然出会ったていで行くことになる。沢村さんは出発時刻まで聞き出していて、僕らは早朝、長崎行きの飛行機に乗った。羽田空港で大久保さんとは会った。目と目だけで挨拶を交わした。
 五島列島には羽田から直通便はない。長崎空港で双発機に乗り換える。ジャンボジェット機よりはかなり小型の飛行機だ。
「よっ」
 狭い飛行機のシートに座って出発を待っていると、いきなり背後から肩を叩かれた。振り向くと、そこにはよく一緒に仕事をした大手広告代理店の嶋田がいた。彼は僕と同い年、しゃれたしましまの縁眼鏡をかけていて、僕らの間では、影でウミヘビとあだ名されていた。眼鏡のつるが、黒白で、海蛇の模様にそっくりだからだ。彼は通路を挟んだ斜め後ろの席に座っていて、身を乗り出してきた。
「まさかこんなとこで会えるなんて、」小声になって言う。僕は苦い顔をして、それを打ち消して笑顔を向けた。
「奇遇ですね」
「いやあ」ウミヘビはへらへらと笑った。「奇遇でもなんでもないっしょ、ちゃんと情報キャッチするんだね御社でも」と言った。
 僕は身体を前に戻すと、ふうっと一息長い溜息を吐いた。プロペラが回り始める音がする。アナウンスが、五島列島上空は風が強く、到着が遅れることを告げながら、出発すると言った。
 また、出し抜かれたんだろうか、彼らの情報網にはかなわない、そんな思いで、乗客の合間の窓からの外を眺める。機体ががくんがくんと二度うなって、滑走路を走り出した。
GRAVITY2
GRAVITY82
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』72
産業が果てた後、島は何を模索しているんだろうか。島には、隔離された分、独自と言われる風習や文化が芽生えていたりする。そうしたものを奇習なんて言ったりして、観光資源に繋げようという動きもある。しかしそんなものはささやかだ。恒常的に人がやってくるなんてない。例えば、大きな観光都市のバッグに控える奥座敷的な観光もあるだろう。規模は小さいが鎌倉に対する江の島みたいな感じだ。五島列島は、長崎に対する奥座敷にもなりえる。あと問題は、その不便な交通。ただ遠くて、不便なら不便なほど旅はよいのだが、それを趣向として楽しむ人が大勢いるとも思えない。
とまあ僕は数冊の本を読み漁り、このくらいのことを考えていた。島の経済的自走、それが出来ないゆえの補給金、それは国土保全のため、活路はあるのだろうか。
 そんなある日、内閣府でロビー活動をしていた営業の沢田さんから、大久保さんが五島列島に給付説明と視察で赴く予定であるという情報をキャッチした。
GRAVITY4
GRAVITY80
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』71
二週間かけて離島関連の本を読んだ。それは歴史から、自然環境、経済、現在おかれている状況などさまざまだ。そもそもなぜ本土から離れた不便な場所に、人が住み着き、そして今も住んでいるかということが疑問だった。いくつかのケースが考えられる。
(一)元は地続きだったが、海面上昇により島に取り残された場合。
(二)古代に内地で土地を追われ移り住んだ場合。
(三)古代によりよい漁場などの産業的価値があり移り住んだ場合。
(四)近代によりよい産業的価値があり移り住んだ場合。
(五)島流しにあった流人たちにより形成された場合。
 軍艦島などを覗いて、ほとんどの離島には縄文遺跡などが残ることから、古代になんらかの理由で移り住んだと考えるのが妥当、(三)と(四)の複合により現代に至っているパターンだろう。観光が一般大衆化したのはごく最近のことだから、まさかリゾート地にしてやるそ、なんて島にやってきた人はいない。
 さてそう考えると、島の産業が理由であり根幹ってことになる。この産業が廃れたらどうなるのだろうか。島にいる意味がなくなってしまう。完全なる自給自足ならなんとかなるが、例えば昔より魚が採れなくなるとか、鉱山が枯渇するとか、そうした状況が、今の離島問題ではないだろうか。
GRAVITY4
GRAVITY78
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』70
僕はなにも知らぬていで、国内の離島に関する話を大久保さんから聞くことになる。名刺も交換することが出来た。沖縄は国防省、東京都の離島は東京都、それ以外の離島が内閣府の管轄であることを知る。
国が離島に、なかば地方交付税のようにして補助金を出すのは、その島が過疎化して無人島にならないためだ。竹島が韓国と揉めるのは、あの島が無人だからだった。そのため、国境を接した離島が、補助金の対象となる。例えば、佐渡島はロシアと、五島列島は中国と国境を接していることになる。これらの離島で、経済産業活性化のために国からお金がばらまかれるということだ。
「問題は、どう的確に配給するかなんですよね」
 大久保さんには、まるでスキがなかった。セミナーとは言え日曜だ。それなのにぴっちりした地味な色のスーツにネクタイもかっちりしている。髪はオールバックで何の匂いもしない。顔つきは、眼も鼻も口も、全ておおぶりだった。私生活の全く感じられない、仕事にしか向かっていない、そんなタイプだった。キャリアとは、こんな感じなんだろうか、僕は気圧されそうな雰囲気の中で、無理にざっくばらんなふうを装って話をした。
「的確って、補助金をただ配るだけじゃダメなんですか?」
 僕が聞くと、大久保さんは一瞬だけ硬い顔をして、
「島は補助金でしゃぶ漬けなんてね、世間は言うでしょう、ただお金をばらまくだけじゃ、世の中は公平性がないって黙っていない。名目は離島保護でも、それ以上に仕方ないねって思わせる施策が必要なんです」
「そういうものなんですね、」
「それにしても、あなたが思う以上に、島は貧しいんです。考えてみてください、地産地消なんてありえないから、全てのものが空輸か船で持ち運ばれるんです。輸送費考えたら、なんでも割高になりますよね、それで生活してくのだから」
 ほんの立ち話だったが、僕はこの国が抱える離島の問題をかいつまんで知ることが出来た。この日の帰り、古本屋に行くと離島に関する本を探してみる。あまりなくて、Amazonでも本を買い漁る。その中の一冊が『日本の離島』だった。
GRAVITY4
GRAVITY82
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』69
「そういえば、なんか離島の本多いですよね、もしかして離島マニア?」
大判の『日本の離島』が売れて、木村君は言った。
「そんなんじゃないけど、一時期ね、仕事もあって、離島にハマってたことがある」
「ふむうっ、ほんっといろいろやってんですね」
「仕事だよ」僕は口をへの字にして言った。「知りたい?」
「だって本売れたじゃないですか」木村君は僕の部屋のテーブル越しに、パソコンを開いた。
もう十年も前の話しだ。僕の仕事は、国政に関わる補助金事業のプロデュースなんかだったが、いつも大手広告代理店の下で行っていた。下請けというわけじゃないんだが、世慣れた彼らの上にどうしても立つことが出来なかった。会社からのミッションは、いつの日か、うちがトップで行う補助金事業だった。
 大手広告代理店が入り込んでいない事業を探すべきだった。そんな時に、離島は経済的に恵まれないために、国からの補助金で成り立っているという話を聞いた。僕はまず日曜に、代々木で開かれていた日本離島センターのセミナーに出かけた。ツテを探すためだ。セミナーは離島間のネットワークを構築し文化交流をしようというものだった。僕はここで、内閣府の離島担当者である大久保さんを知ることになる。いわゆる、キャリアだ。
GRAVITY9
GRAVITY80
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』68
そういえば、メルカリでは本ばかりでなく、ミニカーやフィギュアなんかも売った。『灯台サム』を書いていた頃は、灯台をひたすらまわっていたから、御前崎灯台で手に入れたフィギュアもある。それも売ったのだが、なぜか連れ添うように、『灯台の本』が売れた数日後に売れていった。これで僕の灯台への思いは終わっていった。
感傷もいいのだが、冷静さを取り戻して、開始してから20日の現状を見てみよう。
メルカリ開始時の本766冊、20日で売れた総冊数192冊。25パーセント売り上げたわけだけれど、僕はそれで部屋を見渡してみる。壁際に積まれた本は、最初とさして変わりなく思えた。まだまだだな。
30日くらい経過すると、週単位での分析も試みた。これはかなり顕著な結果が出る。
月曜が一番少なく、そこから日曜に向けて上がっていく。土日はピークだ。月火水の売り上げと金土日の売り上げを比較すると、金土日は実に倍以上の売り上げがある。
さて、僕は少し思案した。問題は、売れていない曜日の底上げをするのか、ピーク時をさらに上げるかだが、まあ、両方だ。ただ月曜にはあまり目新しいことはしないことにした。そもそもアピールしても見ている数が少なそうだからだ。ちなみアピールとは、例えば値引きとか、タイムセールというものだ。タイムセールはメルカリの機能で、ある一定時間だけ値引きするというものだ。
それから、気さくなお店を演出する。特にネット上で顔の見えないやり取りだから、まあ、それがいいって言う人もいるんだろうが、なるべく生身感を出すように心がける。どうするかっていうと、まずレスは素早く、間髪入れず返信する、それから、この人の作品が好きなんです、なんてコメントがあれば、その人に見合った返信や、ほかにおススメしたりもする。とにかくあらゆる手を使って売っていくことだ。最初は種類も豊富だからよく売れるが、徐々に目減りしていくことを僕は予想していた。
GRAVITY2
GRAVITY94
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』67
その日、僕は残業で帰るのが遅くなった。部屋に入ると、妻になる彼女が、僕が使っていたデスクでパソコンを開いていた。かたわらには、ずっと手元においていた『灯台の話』が置かれていた。彼女は『灯台サム』を読んで、泣いた。
「泣くような小説じゃないんだ」僕は言った。彼女は何も答えず鼻をすすっていた。その後、どんな感想を言っていたか覚えていない。ただ、人の心を、微風でも揺さぶることが出来るのなら、これほどのことはない、僕は仕事と小説を続けることになる。
「でもかみさん、単に泣き上戸だったんだよね」
 サウナを出て、木村君と二人、駅まで歩いていた。まだ話を続けている。
「それどういう意味ですか?」
「なんていうか、なんでこれでっていうドラマとか見ても、すぐに泣いてんだよね、だからさ、別にふつうだったっていうか、」
「…」さすがに木村君は何も答えなかった。何か考えるように夜空を睨むみたいにして歩いていた。
 しばらくして、彼は、
「この世を知ることが、この世界を書けるってことですよね」と言った。
「そう、俺も、そう思う」僕は俯いて答えた。
「矛盾とかばっかですけどね、答えもないのに、でも、知らなきゃいけないことはある」
 彼は言った。ともかくこの世界には、二律背反した意志が同居しているものだ。人は目を細めそれを矛盾といい、不都合という。表面化すれば、争いにもなる。しかし世の中は動いている。そういう意味で、灯台を書きたかった。無人なのに灯っている、無用なのに立っている、孤高なのに…、孤高ではない。それが小説だと思っていた。
GRAVITY4
GRAVITY81
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』66
僕は仕事の合間をぬって、また古本屋によく通うようになった。気持ちはビジネスにある。仕事は多忙だ。昇格のための試験も控えていた。
古本屋は、ただのホコリに埋もれ積み上げられた本が並んでいるわけではない。その人に読み解く力があれば、そこは、世界だ。この地球上で人類が営んできた全ての世界だ。僕はどうしても捨てきれない知識欲、そしてそこから産まれるであろう創造欲を、みっともなく引きずりながらスーツに身を包んでいた。
そんな時に出会ったのが、この『灯台の話』だった。そして幽霊灯台の逸話の中に、むせるような創造欲が湧きたってくる。もう一度だけ、あと一回だけ、小説を、今度は長編を書いてみようと思った。
だいたい小説というのは、完結してなんぼだ。短編ばかり描いていた僕は、まだひとつも長編を完結させたことがなかった。水泳でいえば、息継ぎなしで二十五メートルプールを泳ぐのに似ている。よく息を吸い込んでいないと、けしてゴールなんてできないのだ。よく息を吸い込むというのは、下準備だ。その場で単にアイディアが出たとか、情熱でとか、そんなことで、小説は書けない、それに気づいてはいた。だから『灯台サム』は、書く前にかなり緻密なテロップを作っていた。つまり、もう最後のセリフまで決まってから書いたと言っていい。そうして、本当に原稿用紙にして三百枚の作品を書き上げたとき、もしかしたら、作家になれるかもしれないと思ったものだった。
GRAVITY6
GRAVITY96
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』65
そんな時期に、僕は妻になる女性に出会った。そしてまた同棲を始める。また結婚って言われたら、今度こそ、わかったって言おうと考えていた。しぼんでいく小説への夢と、活性化する仕事への道、そのレースをしているような時期だった。小説にしても、仕事にしても、吸収するための情報は山ほどある。両立なんてできない。僕はそれほど器用でもないから、どちらかを選ぶべきだと思っていた。
 年の暮れ、古いアパートに暮らす僕のもとに、一通のハガキが送られてきた。階段を駆け上がる音がする。彼女が外階段の下にあるポストから郵便物を持ってきたのだ。
「ねえ、これ!」
 彼女が手渡したハガキ。それは、去年、本当に最後のつもりで応募した地方文学賞の知らせだった。
「賞取れたの?」
 黙ってハガキを凝視していた僕に、彼女は言った。
「いや」僕は首を振って、そのハガキを彼女に手渡した。
 そこには、僕の書いた『悲しきウスバカゲロウ』という原稿用紙百枚ほどの中編が、最終選考まで残ったとあった。
「やったやった!」彼女は飛び跳ねる真似をして喜んだ。小説を書き始めてから、かすかに指が届く、こうしたことは初めてだった。それが、やめようとしていたこの時期なんて。
「賞を取れたわけじゃない、専攻に残ったってだけで」
 僕は表面的には冷静だった。ただ、気分は複雑だった。結局賞は取れなかったのだけれど、やっぱり、小説への思いを、捨てきれないと思っていた。
GRAVITY4
GRAVITY89
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』64
もうすぐ30歳を迎える頃だった。妻の前に同棲していた彼女がいた。彼女に、そろそろ結婚を考えてほしいと言われて、僕は、
「そんなこと考えて、付き合ってなかった」とあけすけなく言った。彼女は唖然とした顔して、「だったらもう付き合えない」と答えた。そこから雪崩のように彼女は心変わりしたみたいだ。心変わりというか、僕に愛想をつかしたんだろう、結婚する気がないなら、交際している意味がないと言われて別れた。
 同棲していた部屋を出ていかなければならない。そこは彼女の祖母が購入したマンションだったから。その頃の僕は浮いた小説熱が冷めかけていた時で、すでに貯まっていた数々の本や、書き込みがぎっしりつまった取材ノートがあったが、それをすべて捨て、僕は彼女の元を去った。
 仕事が面白くなってきたこともある。大手に就職し、そろそろ、出世を意識し始めた頃だった。シャレたスーツを着て、いいカバンを持って、ネクタイをしめてびしっときめた。充填されていた学生気分や芸術的なたまらない創造性、そうしたものが、腹を押すたびにすうっと身体から抜けていった。同棲していた彼女と別れたのはきっかけだった。これで、新しい自分になったんだと思っていた。
GRAVITY6
GRAVITY91
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』63
「あ、いよいよ灯台近づいてきましたね」
と木村君。
「そう、このお話は、この老人の若い頃を、本人か、当時を知っている人からの口伝えでワタルが聞くって形で続いているんだ」
「まさに口伝伝承」
「ワタルがいるころには、すでに灯台は幽霊灯台って言われてて、彼には子どもの頃、きも試しで来た記憶しかない、でも、なぜ幽霊灯台って言われているのか、それを、老人は知っている」
 僕はそこまで話して口を噤んだ。
「で、サムはどうやって」僕が黙ってしまったので木村君はテーブルの上で身を乗り出した。
「いや」僕は口を開くと、「ここまでにしとこう。あとは読んでよ、noteに載せてるから。ただ問題は、」ここで一度言葉を区切る。少しためて、「サムは、ただただ、この土地の人間になりたかったって人なんだ。一方のワタルは、ただただ、早く東京に出て、この土地を忘れたかった。この二人のコントラストが、話の主軸になってる。だから灯台が壊れているのになんで灯ったのかなんて、読んでいるうちに、問題じゃなくなる」
 木村君はもう僕の話なんて聞いていなくて、スマホでnoteを検索していた。
「お、あったあった」
 僕は、この小説を書き上げた頃のことを思い出していた。妻と、まだ結婚前、同棲していた頃のことだった。今が第二次思い出整理だとしたら、あの頃は、第一次思い出整理だったってことに、ハッとした。
GRAVITY2
GRAVITY91
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』62
ほうぼうを歩いてまわり、舞台は伊豆の東海岸沿いの小さな町を架空で設定した。そこにはおあつらえ向きの灯台がなく、灯台は三浦半島の剱埼灯台にした。
 物語は、もつ屋と呼ばれているじいさんが、スーパーの隅にいつも焼き鳥屋台のリヤカーを引っ張ってくるところから始まる。そのじいさんの屋台は、別に忙しいわけでもないのに、いつの頃からか、二人の女の子が手伝いをしているという噂がある。
「そのじいさんが、灯台となんか関係あるってことですか?」木村君は言った。
「まあ、そうだね」
 僕らはだいぶ長く話し込んでいた。座卓に座る客もだいぶ減って、あたりは静かになっていた。
「また今度にしようか」僕は言った。彼はぶるんと首を振って、
「いやあ、閉店まだまだですから、いきましょこのまま」
『灯台の話』は僕の想像を広げていった。
地方の小さな漁業の町、観光らしいものもなく寂れている。聞き手になる主人公のワタルは、この町で生まれ育った。幼い頃両親が離婚して、今は母だけが町に暮らしていた。大学進学で東京に出た彼は、就活が始まる四年の春休みに、地元に久しぶりの帰郷をする。そこで、焼き鳥屋の噂を聞く。女の子二人が、もつ屋のじいさんといる。その女の子というのは、中学高校と同級生だったサラたちだった。サラはワタルと同じように大学で東京に出ていたが、大学を中退し帰ってきていた。サラたちは、三郎というもつ屋のじいさんを、なぜかサムと呼んで慕っているようだった。
 彼女たちがなぜサムと昵懇なのか、それはこの場でははしょる。ただ、これをきっかけにワタルはサムと交流するようになる。サムは今はもう操業していない、町はずれの岬の先にある灯台の近くに暮らしていた。
GRAVITY3
GRAVITY77
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』61
「実は灯台って、もうなくなるかもしれないんだよね」彼がだいぶ興味をそそられて無言でいるので、僕は、「GPSがこれだけ精度上がったからね、そもそも灯台って、船に位置を教えるものでしょ、GPSがあれば、それも必要がなくなる」
「たしかに、」彼は何度も頷いて、「なんでそれに気づかなかったんだろう、たしかにそうですね、時代のすみで、消えていく存在なんだ」
「そうそう。老朽化もあるけど、2006年くらいですでに30基撤去されちゃってて、今後廃止されていくのも400基ある」
「はあ、過去の遺産かあ、消えていくもの、」
「物悲しいでしょ?」
「うん、物悲しい」木村君はゆっくりと二度頷いた。「小説ごころをくすぐりますね」
「それから、バージニア・ウルフの『灯台へ』があったでしょ、まだ売れてないけど、あの本も参考に読んだんだ」
「でも『灯台へ』は精神小説ですよね」
「そう、灯台に行きたいって話なんだけど、見えない人間の動作の中に心理を読み解くっていうか、観念的なんだよね。まあ、実際には灯台が辺鄙な場所にあるってことがわかっただけ」僕が言いたかったのは、世の中には本気で灯台を扱った小説はほぼないということ。「それから構造についても、少し話していい?」
「ええ、早く『灯台サム』話してくださいよ」
 僕は首を小刻みに振った。
「だめ、もう少し、この小説で、とっても大事な部分だから」
 灯台の明かりは、フランネルレンズというものが使用されていた。見ればわかるのだが、ひとつのレンズではなく、複雑にいくつかのレンズが組み合わさっている。『灯台の話』には、灯台の構造についても図解されていたのだが、このレンズは、少ない光量で、いかに遠くまで光を飛ばすかが駆使されている。そしてこのレンズが、夜になると長大な光線を真っ暗闇の海に投げかけていた。灯台の明かりは頭上で回転している。これは今では当然自動だが、古くは手動だった。ただ人力で回すというのではなく、滑車におもりをつけて、その降りてくる力で回していた。
「ねえ、早く『灯台サム』教えてくださいよ」木村君は言った。
GRAVITY9
GRAVITY80
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』60
彼は赤ら顔のまま真剣な表情だ。僕はにやりとすると、
「民話や童話は、その起源が口承によるでしょう。さまざまな時代の人の口伝てで、今に至ってるわけだよね。そこには紆余曲折があって、たとえば時代に合わせたり、本当は事実だったけど矛盾してることとかを歪曲させたり、そうやって出来上がっている。思えば小説ってそういうものかと思ってね、だから、気になるじゃない。幽霊灯台の話題が闇に消えたことが、ネットもいろんな本も漁ったけど、全然出てこないんだよ。それをね、蘇らせて、俺が口伝てするみたいに、この世に送り出したいなって思ったんだ」
 どうしてこの灯台が幽霊灯台なんて呼ばれたのか、そういうのを書きたいと思った。タイトルを『灯台サム』という。僕の作品だから、文学賞もかすりもしなかったから、残念ながら、メルカリでは売っていない。
 僕は『灯台の話』を片手に持って、小説のヒントを得たくて、いくつかの灯台をまわった。本当は竜飛岬に行けばよかったんだろうけど、さすがに遠すぎて、関東近県の灯台ばかりだ。観光用の道の整備されたものもあるが、ほとんどの灯台は、道なき道の岬の先にある。
 人影のない敷地、広がる空、絶え間なく聞こえてくる波音、そんな中にすくっと佇む白亜の塔。なぜ人が灯台に魅せられるのか、ずっと考えていた。
海から目立つために建てられた灯台は、必然的に陸地から見れば辺鄙な場所にある。そして同じく目立つための白亜色、孤高を思わせる。人々に受け入れられず、ひっそりと立つ、清廉で謹直な存在だ。人間は弱い、人間は孤独にはなれない、だからこそ、孤独に憧れるのだ。一人ですくっと立ち上がり生きている姿に焦がれる、それが、灯台の姿にはあった。
GRAVITY6
GRAVITY88
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』58
小説は無から生まれるのか、それとも何かを根源として広がっていくのか、僕にとってそれは命題だった。もう二十年も前、小説を書こうと思い始めた、そういう時期に出会ったのが、この『灯台の話』だった。古い、下手すると雑誌のような、安価なザラ紙の黄ばんだ本だ。古本屋で立ち読みしていて、ほんの小さなひとつの記事に目がとまった。
 竜飛岬の幽霊灯台。灯台というのは、アメリカ軍の恰好の標的で、空襲の際、B29は日本本土に上陸する前に、まずは灯台を破壊する。そうすることで、日本海軍の航行も自壊する。終戦後、竜飛岬灯台は空襲で壊れたままだった。原型はとどめているものの、内部がめちゃくちゃに破壊されていて、無人のまま、もう何年も灯火をしていなかった。
 竜飛岬のある津軽海峡は、海が荒れる場所だった。横浜港に寄港する漁船が、海峡を通過する時だった。その晩は大しけで海は荒れに荒れていて、中型漁船は完全に方向を見失っていた。ところが、見たのだ。竜飛のはしから、暗がりを薙いでいく光の一線を。彼らはその光に導かれ、無事に航海をし、横浜港へと帰りついた。
 漁夫たちは口々に、竜飛の灯台に助けられたと話した。しかし、その当時岬の灯台は無人で灯火などしていなかったことを後で知る。不思議な話だ。こうしたことが、竜飛岬灯台が本格的に操業を再開するまで、いくつもの漁船から上がった。空襲で命を落とした灯台守(当時は軍人があたっていた)が、みなの命を守るためにやったんだと、いつしか幽霊灯台として、語りつがれるようになった。
 しかし、どうしたことだろう、あれから六十年を経て、その後ネットなんかでも調べたが、後にも先にも、この幽霊灯台の逸話は、この雑誌で見た切りだった。
GRAVITY2
GRAVITY83
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』57
メルカリを始めて十日が経過した。86冊の本が売れた。これは僕にとって予想外だった。手数料などをのぞいた実質的利益も2万円になる。お金が貯まってきたので、メルカードというクレジットのカードを作った。このお金、どうしているかというと、実はほとんど木村君とのサウナとサウナ飯の費用にあてた。彼は最初断ったが、まあ元々なかった金だし、僕はいつも彼の分も支払った。
 サウナ後、併設されたレストランで飯を食べていた。
「そういえば、『灯台の話』ってのも売れましたね、これ、なんかエピソードないんですか?」
 木村君は僕が絶対に食べない辛そうな麻婆豆腐をほおばってから言った。
「今話しちゃっていいの?」彼がパソコンを開いていないからだ。
 木村君は首を縦に振って、
「覚えときます、話してください」
 僕はもう生姜焼き定食を食べ終えた。箸をおくと、
「きっかけはね、灯台ってわけでもなかったんだ」
「わけでもないって?」
「まあ、なんていうか、模索してたわけ、小説書くっていっても、なにを書いていいかわかんないじゃない」
「そういうもんですか」木村君はジョッキに残っていたビールを、それはわずかだったが、一息に飲み干した。「また注文していいですか?」
「どうぞ」僕は言うと、ふと周囲を見渡す。
 ここはサウナイキタイで16,000ポイントになる人気店だ。しかもサウナ飯も充実している。肉体を酷使したあとの、ボリュームがあってしょっぱいメニューがいろいろある。冷えたビールを会心の笑みで飲んでいる人がたくさんいる。ほんのり赤い顔、風呂上がりの少し濡れた髪、肌つやのいい若い男、おおがらな年配の女性、とにかく、さまざまな人がいる。
 この中のいったい何人の人が、心に物語を持っているだろうか、僕はふと考えた。自分の物語ではない、虚構を組み立てているかってことだ。僕は子どもの頃、人は誰でも、常に虚構を心に抱いていると思っていた。そうではないかもしれないと気づいたのは、だいぶ大人になってからだった。
「で、灯台の話は」
 僕が黙っていたので、木村君は促した。
「ああ、そうだね、」
GRAVITY
GRAVITY75
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』56
パチパチパチ…、木村君は僕が話し終えると、静かに拍手をした。
「いやあ、ごんぎつねでこれだけ語れるってのがすごい!」
「そうかな…、でもこれって、ケチのつけ始めなんだよね、思えばこの日から、俺はずっと文学賞取ろうとしていた気もする、そして、永遠に取れないって思える」
「まあ、才能なけりゃね、永遠に取れないですよ」
「ははっ」僕は力なく笑って、「そうだね、ま、そうだ」
「でもでも、考えようによっちゃ、作家になる時のエピソードとしてはとびきりですけどね」
 話しながら、僕は岩波文庫の『新見南吉童話集』をクリアポケットで包装した。もう、二度とこの本とは出合わないかもしれない。でもそれでいいんだ。ごんぎつねに、いい思い出なんてない。人は思い出で出来ている。だから人は、思い出を整理する。
 郵便局で購入した厚紙封筒にしまう。なんか、それっぽくなった。数日後には購入者に届くだろう。買った人は、この本を手にして、何を思うだろう、そんなことを想像した。
最初は綺麗な本しか出品しなかったが、少しくらいならよしとして安く売ることにした。
ほとんどが古本屋で買った本である。最後のページに値段が書いてあるのを丁寧に消す。消したことがわからないように。やっかいなのは背表紙にシールで値段が貼られている場合。時間をかけて剥がして、そのあと少し濡らしたティッシュでふき取る。
もっとやっかいなのは、書き込みだ。書き込みがあれば売り物にならない。一応ぱらぱらめくって、書き込みがないかをチェックするのだが、見落としてしまった。これはクレームだ。一応買ってはくれたが、辛辣なコメントを頂いた。本の中に九ページに渡ってマーカーがされていたという。『平家物語後抄』の上下巻二冊だ。外見もとても綺麗だった。古本屋で購入し、一度だけ読み通したものだった。読んだときは、途中でマーカーされた部分が出てきて、眉をひそめた。それを、忘れていた。
GRAVITY2
GRAVITY91
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』55
僕はあの日のことを、今もずっと覚えている。
一週間たって、提出して、根元先生は全児童の作品を読んだんだろう。その翌週、先生はよかったやつをいくつか読むね、と言って、授業中に作品を朗読した。僕は間違いなく僕のごんぎつねが読まれるものと思っていた。
「じゃあ次は、菊池さんのね、」先生は次々にみんなの作品を、よく通る声で読んでいった。先生に名前を呼ばれた児童は、はいと大きく返事をして、恥ずかしそうに立ち上がった。僕はお尻を浮かせて、自分の番がいつ来るかと待っていた。そして、待っていただけで、とうとう、四十五分の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。僕は廊下を去っていく先生に追いすがった。
「先生!僕のごんぎつねはどうでしたか?」
 根元先生は最初きょとんとして、しゃがんで僕の目線に顔を下げると、
「先生には、ちょっと難しかったなあ、よくわからなくて」
「選ばれなかったってことですか?」
「選ぶ?なにそれ?」
「あの、」僕は恥ずかしくなって顔を赤らめて、「読んでもらえなかったから」
 先生はそれを聞いて、口をまん丸く開けて、それから笑って去っていった。
 この日は午後から大雨になった。母が仕事の都合が悪くて、小学校に隣接する保育園に、妹を迎えに行かなければならなかった。僕は雨の中を傘をさして妹と二人歩いて帰った。
「ゆうちゃん、なんで喋んないの?」
 妹は、姉貴の影響で僕をお兄ちゃんなんて呼ばない。
「黙ってないよ」
「黙ってる、ぶすっとしてる」
 妹は長靴で水たまりをばしゃばしゃさせて、先を歩いていた。彼女は立ち止まり、とぼとぼと後から歩いていた傘の下の僕の顔をのぞきこんだ。
「どうしたのお」
 僕は顔をそらした。
「わあ、ゆうちゃん泣いてる!」妹は鬼の首をとったみたいに大きな声で言った。
「泣いてない」
 いや、泣いていた。その意味を、子どもだった僕はよく分かっていなかった。渾身の作だったんだ。それを理解できないと先生に言われたことは、僕のささやかな人生を全て否定されているに等しかった。この時はただ漠然と悔しい気分だった。しかし大人になって思うこともある。おそらくこの日から、僕は全然抜け出せていないのだ。文章を書いて、誰かに評価してもらうということが、どれほど難しいことなのか、それを、今でも思い続けている。
GRAVITY2
GRAVITY94
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』54
宿題、僕はその続きを書くのではなく、過去への追求を書いた。民話というのは寓意を込めているが、それは漠然している分、わかりやすい内容であるはずだ。ところがごんぎつねが秘めた内容は少し異なっていて、勧善懲悪ではない。
考えられるのは、まず、兵十の母の死因が、ごんのいたずらによるものなのかということだ。ごんの推定では、兵十の母は、死の床に瀕して、うなぎが食べたいと言ったとある。そのうなぎをごんが逃がしてしまったのだから、もしかしたら母はうなぎを食べたら延命されたのかもしれない。もうひとつは、もし兵十が、ごんが改心して贈り物をくれていると知っていたとしたら、それでもごんを撃ったかということだ。
 僕の宿題では、ごんは死なないために、何度か過去を繰り返す。
 兵十の母がうなぎを食べたがっているのを事前に知っているごんは、うなぎを盗むのをやめる。ところが結局、母は死んでしまう。そしてごんは魚を置きにいって、また撃たれてしまう。
 次に善行を熱烈にアピールする。ごんが持ってきたってことがわかるように、兵十に贈り物をし続ける。ところがまた、撃たれてしまう。そもそも暗がりでごそごそやっているごんを、誰かもわからず盗人と思って兵十は撃っているのだから、当然と言えば当然だ。
 過去を何度かやり直して、ごんは気づく。兵十とは関わらないことだ。火縄銃をいつも常備しているのだから、危ないったらありゃしない。ごんはそう思いながら、目を閉じた。
「はははっ、そりゃそうですね、考えたことなかったなあ、でもごんが悲劇を回避するのは難しいですね」
 木村君は笑いながら言った。僕は、
「でも、傑作だったんだ。原稿用紙で二十枚は書いたんだ」と答えた。「他の人はたいがいごんが死んでいないか、もしくは息を吹き返して旅するみたいなね、そういうのだったけど、俺が書いたのは、物語の神髄を吐いていると思ったんだ」
 これが、続き物とは言え、人生で初めての創作らしい創作だった。
GRAVITY8
GRAVITY81
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』53
ごんの悲劇はなんだったのだろうか。童話や民話は、即時的な印象で出来ているから、悲しいってことに終始してしまうのはわかる。ただ、ごんはいいことをしている時に殺された。それが子どもだった僕を大いに悩ませた。そう、悲劇の底にある本当のことを。そうでないと、続きなんて書けやしないだろう。そういえば、ごんぎつねのラストシーンは、死んでないという解釈もある。ごんはこと切れる前にうん、と頷いて終わるからだ。しかしそれは無用だ。死んでも死ななくても、ごんが痛手をおった、つまり悲劇であることに違いはない。
このストーリーは、三段階だ。
(一)いたずらをするいやなごん、
(二)栗や魚をあげるいいごん、
そしていやなごんもいいごんも受け止めていた(三)兵十に撃たれるごん。
整理すると、
(一)だったごんが、改心して(二)になるが、兵十には(一)の印象が強く(三)が発生するってことになる。仮に(一)と(二)が逆だったとしても、物語は成り立つ。兵十にとっては、いやなごんが印象づけられているからだ。そして、(二)のいいごんは、印象づけられない。
結局のところ、善行は人に見えず、悪行は目につきやすい、ってとこだろうか。そして善行を人に印象づけるためには、死を賭した行いが必要だってことだろうか。子どもの僕はそこまでを考え付いた。大人になってあらためて読み直してみたが、考えは変わらない。
「改心には大きな代償が必要ってことなんですかねえ」木村君は考え込んで、呻くように言った。僕は大きく頷いて、
「まあ、虫のいい話ってものはないってことでしょうね、いくらあとから魚とか持ってってもね、最初のいたずらは消えないっていうね、ただ、ごんが無邪気なだけに、なんとも後味が悪い」
「で、その続きはどうしたんですか、結局、書いたんですよね?」
「うん、まあ、」
 僕は天井を見上げて、大きく息を吐き出した。
GRAVITY2
GRAVITY101
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』52
 また、次の本が売れた。文庫本の『新見南吉童話集』だった。
「さすがに、この本じゃ、なんか思い入れないですよね、僕としては、こんな童話までって感じです」
「いやまあ、あるんだよこれが。もちろんこの本を買ったのは大人になってからなんだけどね、どうしても読んでおきたかったんだ」
僕は本をぱらぱらとめくって、
「このごんぎつねね、」と彼に開いたところを見せた。
「ごんぎつね…」
「知ってる?」
「そりゃまもちろん」
彼は大きく頷いた。僕は真顔になって彼を見つめる。
「ごんぎつねは、愛知の渥美出身の新見南吉が、地元で拾い集めた童話のひとつなんだ、小学校の時、教科書に載っててね、小学、三年だったかな」
 分厚い眼鏡をかけた若い女性の先生だった。名前を憶えている。根元先生。先生は国語の教科書に載っていたごんぎつねをみなで朗読し、そして、宿題を出した。ごんぎつねの続きを書いてみようってやつだった。
 知っての通り、ごんは兵十の捕った魚を川に逃がすいたずらをする。しかし兵十の母親の死を知って、栗や魚を兵十の家に運ぶようになる。ところが兵十は、ごんがまたいたずらに来たと思い、火縄銃で撃ってしまう。ごんは兵十に「ごん、お前だったのか」と問いかけられ、軽く頷いて死んでいった。
 そう、死んでしまうのだ。ここから続きを書く、というところがポイントだった。宿題は一週間。僕は思い悩んだ。このカタストロフィを、小学三年の頭では、ただ悲しいこととしか理解出来ていないのだ。
GRAVITY7
GRAVITY88
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』51
「そういえば、こ慣れてるよね、木村君って。自分でもなんか売ったりしてんの?」
「え、全然やったことないですよ」
 これには驚いた。彼はどう見てもメルカリマスターだ。
「え、でもなんでこんなに」
 彼は人差し指を立てて振ると、
「いいですか、ものごとは何でもチャレンジだし、それに、創意工夫です!」
「いや…、恐れ入った、」
チュートリアルを熟読してからゲームを始めるタイプなんだろう。ちなみに僕は、まずは始めちゃおうってタイプだ。
本を売るためには、送料費、包装費で最小で180円かかる。厚さ3センチ以内が条件だ。だから2冊合わせて3センチ以下だと効率がいい。1冊あたりの送料諸経費負担が90円になる。上下巻だとしめたものだが、そんな本ばかりじゃない。いかに送料をおさえるのかは3センチの壁がポイントになる。木村君は、本を組み合わせる時、メジャーで3センチ越えたかどうかをチェックしていたのはこれだ。
よくメルカリで売るのは中々めんどくさいって言う話も聞いたが、寝っ転がって鼻くそほじってる間にお金が入るなんて虫のいい話はない。ビジネスである以上、売り手も手間をかける、というのが木村君の自論だ。
そんななかでも、出荷を少しでも効率的にして、それは徐々にシステム化された。2人でキャンドゥに買い出しに行く。ハサミ、セロハンテープ、透明ガムテープ、クリアシート、郵便封筒、エアダスター、それを簡易デスクに整理して、手順に従うように順番に入れておいた。
外装の前に、必ず本をクリアポケットで包んで送った。そうでない場合が多いらしいのだが、僕はそこにこだわった。本を入れるクリアポケットは、20枚入りで110円。つまり5.5円かかるのだが。顔も見えない客にほとんど一度きりのやり取りかもしれない。しかし、送られてきた本が、それは僕が読んだものだし、せめて綺麗な包装がされていた方がいいんじゃないかと思って拘った。
GRAVITY24
GRAVITY134
フラウビ

フラウビ

なんだっけなこのネコ、のま、もま、ねこ?
のピンバッジ❗️をゲット
ちなみに今日で6日連続サウナ😇
GRAVITY31
GRAVITY221
フラウビ

フラウビ

桔梗屋信玄餅のピンバッジ
コンプリートした😇
うれし
GRAVITY25
GRAVITY232
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』50
この本にはオールカラーで、綺麗な雲や空の写真が続いている。そしてそれぞれの名前と言われが書かれている。雲にこんな無数の名があったり、微妙な色合いにそれなりの名前があることを知らなかった。例えばセピア色っていうだろう、あれはイカ墨だ。イカ墨を乾燥させて顔料にして、日本画で用いられていた。あの暗い灰色がかった茶色がセピア調だ。それから、低気圧が近づいた時の空にある巻積雲、これを俗にいわし雲という。この雲があらわれると、いわしが大漁だったことからきている。
僕は小説家になりたかったから、とにかく様々な名称を覚えておきたいというのがあった。簡単に言えば、並木道を歩いて、と書くよりは、薄緑色した大きな葉が、そよ風に震えている、プラタナスの並木道を歩いて、と書きたかっただけなのだが。
森羅万象、その全てに人類は言葉を配した。だからこの本は画像と言葉を並べているという意味で、うってつけだった。僕は『空の名前』を片手に、街や野を歩いた。そうして、微妙な空の流れ、雲の形の答え合わせをした。
「だから、この本を開くとね、自分があらゆることを空気みたいに吸い取って、そうして大きくなるんだって時の思いが蘇ってくる。未来がね、あの頃は未来があったから。回り道でも遠回りでもよかった。ひとつひとつのことを丹念に覚えていくっていうのが楽しかった」
 僕がそう話すと、木村君はパソコンから目を離さず、カタカタとキーボードを叩いている。
「聞いてた?」
「聞いてます」彼は顔を上げ、「若かったから?」と言った。
 僕は一瞬息を吸い込んで、
「そうだね」と答えた。
GRAVITY8
GRAVITY105
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』49
そしてついに一冊目が売れる。開始したその日のことだった。最初に売れたのは、『空の名前』、『宙(そら)の名前』、『色々な色』のコレクション三冊、様々な色がカラーで紹介されている画集だ。購入者からは、とてもきれいな本をありがとうございました、のコメントがあった。
「さあ、はじめましょう、思い入れがあれば、僕に思い出をください」
 木村君はそう言うと、リビングでノートパソコンを開いた。彼は僕が話す内容を書き留めるつもりらしい。
「そうなんだけどね、でも、それはなぜ?」
僕はあらためて彼の行為がよく分からなくて聞いた。
「カミングアウトしますが、僕ね、小説書きたいんです」彼は言った。
 僕は思わず唾を呑み込むと、
「え、そんなこと言ってなかったじゃん」
「だって、あなたも書いてる、あ、書いてた?そう聞いて、なんか照れくさくなって言えないじゃないですか」
「ずるい」
「ずるくないですよ、別にものになってるわけじゃないんですから」
「ものって、俺もなってないよ」
「でもあなたは、」木村君は首を振って、「たくさん書いてるじゃないですか、知ってると思うんですけど、世の中には小説家目指してますって人たくさんいますよね、でも読ませてって言うと、たいがいまだ書いてないか、書けてもちょびっと。僕もそのたぐいです、夢を見ているだけです」
「じゃあ、俺のネタを参考にするってこと?」
 本当はネタをパクるとか言いたかったが、僕は抑えて言った。
「そうです、」彼は大きく頷くと、強く言い切った。「そもそももう書いてないんですよね、だったらいいじゃないですか」
 たしかに僕は、すでに原稿用紙で四百枚以上の小説を、二十作以上書いてきた。しかしそのどれもが文学賞にかすりもしなかった。つまりボツだ。つまり、死作だ。永遠に世に出ることはない。そうであれば、別に誰にパクられるとかってこともないわけだ。
「まあ、そうですね…、」僕はリビングでテーブルを挟んで、彼の向かいに座った。手には、これから梱包する、三冊の本がある。
「これはもう二十年も前に、空の色や雲、それから星空にもそれぞれいろんな名前があることを知り、その名前の風雅な感じとかに打たれて購入したものなんだ」
 僕はおもむろに話し始めた
GRAVITY23
GRAVITY107
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』48
 九百冊の本を整理するのは大変な作業だった。すべてメルカリに上げるために、木村君と二人がかりで一週間を要した。
 まずチョイスした本の外装、中をぱらぱらっとめくって確認。あんまりにも汚れていたり破けていたりするものを除外する。特に中に書き込みなんかがあると致命的だ。それから埃を払って、リビングのテーブルに作ったミニスタジオに載せて、スマホで撮影をする。必ず真上から撮影、本の縦横線がちゃんと平行になるように。たいがいの本は背表紙にあらすじがあるから、それも撮影、なければ内側や、どうしてもない場合は、最初のページを撮影する。いくつかの短編が入った本なら、そのタイトルのある目次も撮影。画集だと、何枚か雰囲気を味わうために撮る。それから画像処理、きれいにトリミングし、階調なんかもなるべくクリアになるように整える。そして価格感を調べて値付けしたら、メルカリにアップしていく。管理していくためのリストも作った。そう、九百冊分も!
「この三冊、セットってどうすかね?」木村君が、三冊の本を重ねてリビングに載せた。
『被差別小説傑作集』と『歴史の中の遊女』と『被差別民』だった。木村君は、
「昔の差別を知るためのコレクションってしましょう」と言った。
 ルソーの『孤独な散歩者の夢想』と『人間不平等起源論』であれば、同じ著者なのでセットにできるが、そうでなくても、同一テーマのものをなるべくセット売りすることにする。セットにすれば売れる本も増えるし、送料も抑えることが出来る。
 僕は最初、複数冊ではあまり売れないかと思っていたが、木村君は絶対コレクション性だと言う。後になって気づくが、セットのものから売れていった。
GRAVITY11
GRAVITY87
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』47
ちなみに、販売した本の数はざっと九百冊だ。これは売る本としてより分けた後に、木村君と二人で数えた。
「まあ、だらだらやってても仕方ないですよね、どうですか、百日を目標としてみるっていうのは」
 木村君は本棚から出して、床に積み上げた本の前に立って言った。
「百日?」
「千冊を百日で売り切るんです。そう、最初に百冊くらい業者に引き取ってもらったって言ってましたよね、だからそれ足して千冊。百日で千冊売る物語にしましょう」
「そんなに売れるかな」僕は腕を組んで首をひねる。
「売れるかな、じゃなくて売るんですよ、出来ないかもしれないけど、でも漫然とやるのはダメですよ」
 僕はそう言った木村君の顔を思わず見つめた。
「漫然と…」
 それを口にする。それが、気になる。人生とは、気づくと、気を抜くと、漫然と生きている。そういうものだ。今までの僕の人生に、そんなことはなかったはずだった。しかしどうだろう、妻たちがいなくなってから、どうかすると身体が萎んでいくみたいに、僕は空虚な生活を送り出していた。仕事だってそうだ。会社で上手くいかなくなってからの日々はあっという間に過ぎていった。
「やだな、気持ち悪い、じっと見ないでくださいよ」
 僕が彼を凝視していたから。
「あ、ごめんごめん」僕は彼から目をそらし、そして笑った。
「漫然と、に引っかかったんですね」
「いや、そんなんじゃない」
「いやそうですよ、今の俺は漫然と生きてんなあ、とかなんとか考えて、それで僕の言葉でビクッとした」
「違うったら」
「そうですよ絶対」
 僕はまた、少し背の低い彼を見下ろし、じっとその目を見て、
「君は、君はいったい何者?」
「ははっ」木村君は笑うと、
「さあ、とにかくやりましょうよ、百日で千冊売るんです、さあ、スタートです!」
GRAVITY13
GRAVITY99
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』46
それから値付けだ。これはメルカリ内での相場を基準として、それよりほんの少し安い価格にする。今販売している値段というよりは、すでに売れた本の値段が現実的で参考になる。中には笑っちゃうくらい高値でずっと放置されている本なんてのもあって、こういうのはあてにならない。
思い入れのある本が安く売られていた時は少しショックだ。値段というのはつくづく主観でなく客観的意見だ。僕がどんなに思い入れがあっても、人口に膾炙していれば普及率は高く、その本の価格としての価値は下がる。面白い本ならみな面白いと思うわけだ。しかし、それは価値だろう、価値なのに、値段は下がる。
ところが世の中には、その溝みたいなところがある。それがレアと呼ばれるものだ。まあ、溝だからレアなんだろうが。とにかく希少、みなが欲する、これの組み合わせになると価格は上昇する。
メルカリにはない本もある。おそらく貴重書なんだろう。僕は古本屋によく通って棚を眺めまわしていたから、さあっと背表紙を追って、見慣れない本を探していたものだった。慣れとは恐ろしい、ひとめ見ただけで、あまり世間に出回っていない本がわかるようになっていた。古本屋でも目利きな店長だとそうした本は、背表紙に絶版とか書いていて高値だ。ところがあんまりわかってない店長だと普通に百円なんかで売っている。僕はそうした本をせっせと集めては読んでいた。
今、そうした本を高値にしてメルカリに並べているわけだ。
GRAVITY7
GRAVITY92
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』45
こうして、僕はメルカリを始めた。まず前もって念頭におきたいのは、これはあくまでビジネスだということ。誰でも簡単に始められるから忘れがちだが、これは、絶対にビジネスなのだ。ビジネスとは、つまり市場原理の中にあるということ。いいものに付加価値がつき売れる。だからよく見せるということも肝要な点だ。得難くとも得たいものを得る、という大原則がある以上、ユーザーが買いたいと触手を動かさせる必要がある。ぼろぼろのタワシは誰も買わない、しかし味のある使い込んで使い勝手のいいタワシ、だと思わせることもできる。僕はサラリーマンだし、長いことマーケティングや企画営業を仕事としてきたから、そのへんのことは呑み込んでいる。
メルカリサイトに並ぶ商品を見て、まずそのビジュアルに疑問を抱いた。置き方が雑で、とにかくとっとと売れてほしいという気分が浮き彫りになった写真が多い。それから値段。明らかに法外な価格で半年以上放置されているものもある。
木村君のアドバイスもあって、そこはかなり拘ることにした。黒い画用紙を何枚か買ってきて、即席のミニスタジオを作る。今のスマホのカメラは優れもので、多少暗いのはなんとかなるから照明は必要ない。ちょっと困ったのは、埃だ。本に元々ついていた埃、撮影の時に払うのだが、徐々に蓄積して、そのうち画用紙は白い粉まみれになる。木村君がエアダスターなんかを買ってくる。それで撮影のたびに埃を払った。トリミングもきちんとした。それからまるでライナーのように商品説明を書くこと。主観的でなく、あくまで客観的に、なぜこの本が面白いのか。それからチラ見せ。まるで本屋で本を実際に手にとって、ぱらぱらめくって、買おうかなって悩める場面を可能な限り再現したかった。だから写真は一枚でなく、背表紙のあらすじや、場合によっては、中にある地図や写真、最初の文章なんかを撮影して載せた。
「見てください、これ」木村君がパソコンに映る商品が並ぶ画面を見せた。「同じ本なのに、こんだけ雑に並んでる中なら絶対これ選びますね」
 たしかにそうだ、僕の掲載したものは、まるで別物に見える。
GRAVITY7
GRAVITY99
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』44
「メルカリどうですか?」
彼は自分で納得するみたいに頷きながら言った。
「め、めるかり?」
 信じられないかもしれないが、この時点まで、僕はECマートでモノを売ったことも買ったこともなかった。そもそも妻が金銭面一切を握っていたので、カードを自由に扱えなかったのもある。
「手間かかりますけどね、手伝いますよ」
「ちょ、ちょっと待って、それじゃ業者に売るのと同じじゃないの?」
 木村君は眉を寄せにやりとすると、
「そんなことないでしょ、まさか十円二十円ってことはないですよ。ちゃんとその本の市場価格に沿った値段が付きますし、それになにより、本の価値がわかる人が買うはずです」
 まさか、そんな手があったとは、僕は半信半疑で彼をじいっと見た。
「だけどね、ほんととっても」彼は言葉にためをつくって、「手間なんですよ、写真とって掲載して、売れたら包装して送ってやりとりして、その対価としては安いって思う人もいるでしょ、でもね、値段じゃないって言ってたし、手放すとしたら、その価値を理解してる人に届くってよくないですか?」
 僕にためらいはなかった。大きく頷くと、
「わかった、それ!やる!」
 それで木村君は手を大きく叩いた。
「僕、いろいろ手伝いますよ、そのかわり、お願いがあるんです」
「お願い?あ、マージなら出します」僕は言った。彼は手を振ると、
「違うんです、大したお金になんてならないですから、そんなのじゃなくて」それで本棚をさっと見渡して、「あなたが本を売るたびに、その想い出、僕にくれませんか?」
「え、どういう意味?」よくわからない。
「最初に思ったんですよね、これだけの本読んだ人の人生ってどんなだったんだろうって、興味あるじゃないですか?僕のが二十は若いわけでしょ、僕はあなたと同じことしようとしていて、それで、その先どうなんのかってとても気になるんです」
「…」そんなこと言われたら、心がうずうずしてきた。彼は僕をじっと見つめると、
「まるで壮大な小説みたいでしょ、つなぎ合わせたら、あなたの人生、だから、想い出を話してください」
 僕は頷いた。
GRAVITY11
GRAVITY92
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』42
しかし、今の世の中、すでにチャットボットやGPTなんかのAIに感情移入してしまう人も出始めている。これはモノを読むということに、すでに自らの主体性を失っている顕著な例だ。あくまで自分がリードしなくてはならない。人間が文章を読解しなくなるということは、どういうことだろうか。想像、そして創造していく力を摩耗させ、ついには発明さえもAIに依存させるということになりはしないだろうか。そうすると、人はいったい、なぜヒトなんだってことになる。
僕はここで、木村君に業者に本を安く引き取ってもらった話をした。
「そりゃもったいない」彼は腕を組んだ。「にしても、本を読むのやめるってわけじゃないですよね?」
「もちろん、さすがに習慣化しちゃってますから、ペースを減らすわけでもないんです
」僕は答えた。「なんていうか、あんまいい思い出ないんですよね、だからある程度は売ろうって思ったり、思わなかったり」
「たしかになあ、」木村君はまたちょっと酔っていて、陽気な感じだった。少し考えるようにしていたが、キッと僕を見つめると、
「まず考えてみてください、逆算して、あなたの人生はあと何年で、今までの読み方で、あと何冊読めるかってこと。これらの本を全部読み返すと思いますか?」
「たしかにね、読み返そうと思ってた本もあったんですけど、それがいつのことになるやら」
 そして僕は、今までの人生を失敗だと思っていて、その失敗の痕跡をひとつでも目の前から抹消しようという衝動があった。それを、彼には伝えなかった。
GRAVITY5
GRAVITY92
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』41
それから数週間が過ぎた。またサウナで木村君と会って、彼を連れ立って帰宅した。彼は缶ビール、僕は冷えたコーラを飲んでいる。木村君は勤めている会社の話をした。彼は経理事務をやっていて、毎日書類の手続きや数字の打ち込みばかりをしていると言った。
「まったく創造力の欠如した、ていうか必要としない仕事なんですよね、逆に創造力は邪魔で、教えられたやり方を完璧に踏襲していく」
「中国の故事みたいだね」僕は言った。「なにかアクシデントがあったら、膨大な故事の中から前例を探す、そしてそれに倣う」
「まさにそれ!」木村君は手を叩いて、「人類は創造から進化したっていうのにですよ、少なくとも僕にはそれは許されない」
「でも、なにも仕事だけが創造じゃないじゃない」僕は酔って少し興奮して話す木村君に、冷ややかな感じで言った。
「それもわかってます」
「だから本読んでたんですね」僕は彼が電車の中で本を読んでいたのを思い出した。彼は大きく何度も頷いて、
「本はいいと思います。僕はその可能性を信じています。厳密には、本というか、文字情報ってことですけどね」
「わかるよ」僕は相槌を打つ。彼は目を細めて、
「映像や漫画ばかり見てる人って、もうそこには創造はないんですよね。全てを提供されちゃってますから、あれはああで、これはこう、もう創造の入る余地はなくって、今の人って、与えられたものにドキドキして、推しとかいっちゃって、それでおわり。でもね、文字だけの情報って違いますよね、本読んでると、頭の中に立体的に映像や仕組み、いろんな思惑が浮かんできます」
 思えば人類の歴史とは、伝えると言うことの技術の発達に他ならない。最初は狼煙だった。狼煙は色か、せいぜい高さか、それだけで情報を伝えていた。それがぐんぐん成長して、文字、音声、映像、さらに解像度をあげて、まるで目の前で起きたことのように伝える。
 それはそれでいい、寸分たがわず情報を伝えるってことは、間違いを起こさない。しかし、人類がこれからも成長していくためには、せいぜい文字情報にとどめたコミュニケーションを挟んでおくべきだ。そうでないと、人は心に立体映像を浮かばせる能力を失っていくだろう。
GRAVITY18
GRAVITY112
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』39
木村君が帰ったあと、僕は本棚の前にしばし佇んでいた。
よく言ったものだ。本を読むやつは違うって。若い頃はそう思った。上に行く人間ほど、ふだんは軽口を叩いていても、常に本を読んでいた。文章の読解力、それから集中力を養いはするだろう。出世する人はスキルはよく分からなくても、たいがい思慮深かった。そうした人は必ずといっていいほどカバンに本を入れていた。
僕は二十歳でほのかに小説家になりたいと思ってから、ずっと本を読み続けてきた。買い方もある。学生の頃は近いのもあって神保町の古本屋を渉猟していた。一か月で六冊、つまり五日で一冊を読む。もちろんそれより多く読んでもいい。年間で六十冊以上の本を読む。すでに千二百冊ほどの本を読んだ。それをB4のメモ帳に横書きにして、ひたすら記録しておいてある。
読む本は中公文庫や新書が多かった。学者しかわからないようなアカデミックなことが、僕のような庶民にもわかる。もちろん、小説も読んだ。ただ現代小説よりは、すでに亡くなった人たちの作品を読むことが多かった。
でもその結果がどうだか。結局どんなに知識を得ても、集中力があっても、思慮深くなったとしても、僕の人生に幸福をもたらしはしなかった。そう思うと、この本たちが、全て無駄に思えてきた。時間を空費したのだ。
GRAVITY2
GRAVITY118
フラウビ

フラウビ

小説『 100日で本を1,000冊売り切る話 』38
「そだ、さっき奥の部屋って言ってたの見せてくださいよ、そっちにはいろいろ詰まってるんですよね」
「いいですけど、見てもな」
 その部屋は僕の寝室兼書斎だ。結婚して一緒に暮らし始めた時、どんなことがあっても一人部屋がほしいと僕は妻に話した。寝室と言ってもマットベッドを敷いて寝るからそう言っている。あとは窓際に大きなコーナー机がある。フローリング床のせまい十一平米の部屋、両側の壁には二つの大きな本棚がある。スライド式で、かなりの本がびっしりと並んでいた。
「こりゃすごい…」木村君は部屋に入ると、しばし本棚に見入っていた。「これ、全部読んだんですか?」
 僕は首を振って、
「いや、七割ってとこかしら。大学が古書街の近くで、よく通ってたんですよね。いつか読むかなって本も買ってましたから」
「学生の頃からだと二十年ってとこですか、すごいな。何冊あるんですかね」
「数えたことないですね、検討つきません」僕も本棚をまじまじと見つめる。
「ああ、それと、ほらこれ、」僕は上の棚から、一冊の本を抜き取ると、開いて彼に見せた。「うわ、旧字だらけ」彼はその本を僕から取りパラパラめくりながら、「読めるんですか?」
「どうしても読みたい本が戦前のものだったんですよね、最初は読めない漢字を飛ばしたりしてたんですけど、何冊も読んでるうちにわかるようになりました」
「すごいですね」
 僕は苦笑して、
「まあ、今の時代に読めたからって、なんの役にも立ちませんが」と言った。
 彼は何冊も本を取り出してはページをくくり眺めていた。夜は更けていった。いつのまにか二人とも酔いは覚めていた。
GRAVITY4
GRAVITY102
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』36
木村君は部屋に入ると、さすがに驚いてリビングを見回した。
「すっごいきれいですね、てか、ほとんどモノがない」
「ねこそぎ持ってかれちゃったからね」
 妻たちがいなくなったことは、歩きながら話していた。僕は自嘲気味な笑みを浮かべて、
「奥の部屋はモノすごいけどね」
 僕らはリビングで向かい合い座ると、コンビニで買ってきた缶ビールを開けた。
「ミニマリストかと思いました、ミニマリズム」彼は座ったまま、また部屋を見渡した。
「いやまあ、成り行きですね」僕は笑って答えて、「サウナはよく行かれるんですか?」と話題を変えた。木村君は、
「はい、ここ一年くらいですけどね、なんか努力してるって感じするじゃないですか、ほんとかどうかは分かんないですけどね、汗かいてふうふういって、充実した感がありますよね」
「あ、それわかります、刹那的ですが、俺がんばってんなぁって気分」
「ほんとかどうかは分かんないですけどね」
 僕は心拍数の調整の話なんかを彼に伝えた。彼は大きく頷きながら激しく同意していた。しかし、本当は違うのだ。サウナを脳と身体の相談なんて考えて入っているやつなんていない。
「でもあなただったら、別に意識しなくてもよさそうですけどね」
 木村君はまた部屋を見渡すように顔を上げた。もうその頬は赤らんでいた。僕は怪訝な顔をする。木村君は続けて、
「サウナで見た時、お、すげえなって思いましたよ、シュッとしててとても年相応に見えないし、部屋もこんなだし」
「別に努力してるってわけじゃないです」僕は言い切った。
「そうかなぁ」木村君は酔って滑らかな口調で、「僕なんてやばいですからね、こんな身体してるし、常に人より前に前にっていつも思ってて、でも気おくれもしちゃうんですよ、そうするとね、スマホゲームはじめちゃったりね、なんの得るものもないのに」
 彼が電車の中で、フロイトを読んでいたことを思い出していた。僕は、
「うん、それはわかります。俺もあります。分かるからこそね、今だろって思ったり。ほら、いろいろあって、それで崩れた人間にはなりたくないからね」
「崩れてないでしょ」
「いや」僕は何度か首を振って、「それは分かんないじゃないですか、この先どうなるか」
GRAVITY2
GRAVITY96
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』35
僕がホームグラウンドにしている駅近のたくみの湯というところがある。会社帰りに入っていると、ある日また、彼を見かけたのだ。さすがに驚いた。間違いようがない、身体を揺らして歩いている。向こうも驚いた顔をして、目を合わせた。彼はサウナルームの上段に座る僕の隣にやってきた。
「すごいですね、また会うなんて」彼は言った。サウナは基本無言だ。だから小声だった。僕もささやくような声で、
「行動範囲が同じなんでしょうか」顔中から汗が滴り落ちていく。
「ここまで来ると運命感じますよ」彼はサウナハットを目深にかぶっていたが、目を見せて言った。
「そうかな」僕は半笑いになった。
「三回ですよ、三回。四回目で運命ですか?」彼は言った。
「いや厳密には一回目は誰にでもあること、問題は二回目以降、だから二回目を一回目とすると、今日が二回目ってことになります」と僕がへりくつを言うと、
「なるほど、その通りです。いや、笑えますね」
 二人で笑った。
ヒトには行動と親和は矛盾して存在する。出会ったとしても、親和するとは限らない。例えばそりの合わない上司とか、恋愛だってそうだ。ただ、彼の場合、段階を踏んで、これはもうただものじゃないと思わせる何かがあった。彼は木村君と言った。木村健吾。
「うちで、ビールでも飲みますか?」
 サウナから出た後、脱衣所で服を着ながら僕は言った。木村君はきょとんとしたので、
「ほら、外で飲むよりいいかなと」
「お、いいですね、近いんですか?」
 僕の家は近かった。本当はサウナの後にビールなんて飲んだこともなかった。
GRAVITY3
GRAVITY94
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』32
 そういえば、妻も娘も猫もいなくなった僕の生活は、規律ずくめだった。こんなとき自堕落になって、飲み歩いたり荒んだ生活になりそうなものだが、妻もそう予想していただろうが、僕は違った。負けたくなかった。誰にって、自分にだ。
 それに、なぜか口座は妻に握られたままだった。つまり、僕には自由に使えるお金が、依然と同じようになかった。与えられているのは、ひとつの銀行カードと、クレジットカ―ド。銀行の方は給与や貯金されたお金が入っているものではなく、常時五万ほどしか入っていないもので、減ると、妻が補給しているらしかった。クレジットカードは暗証番号は教えてもらったが、その出所も明細も知らなかった。だからたまにLINEで、ちょっと今月は使いすぎだなんて連絡が来る。そこでだんだんと節約をするようになって、とうとう節約ブームが僕にやってきた。
 まずは家計簿をつけ始めた。明細は、内食費、外食費、嗜好費、交際費、交通費に単純に分けた。そうすると、いかに下らない出費が多いかが可視化される。僕はその中から、カフェでのひまつぶしや、缶ジュースをやめた。どれだけ出費を抑えられるかがポイントのゲームのようになってくる。そうすると無駄なことをしなくなる。食事は節制され、シンプルになっていった。
GRAVITY16
GRAVITY118
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』30
 花子がいなくなって、数か月が経った。だんだんと花子が亡くなった、あの暑い日から遠ざかり、冬になった。部屋から消えていく猫の痕跡、そして匂い。夜家に帰ってくると、部屋はひんやりとしていた。大きく取られた窓から街灯の明かりが射し込んでいる。僕は冷え冷えとしたリビングの真ん中に立って、明かりもつけず、しばらくぼうっとしていた。
床には、捨てられずに置きっぱなしにしている花子のベッドとキャットハウスがある。僕はベッドを両手で持ち上げると、顔を押し付けてみた。花子の、ひなたの匂いがする。蘇る、あのまるい背中。ああこれは、よくいうペットロスってやつだな。飼い猫の死に向き合えないってやつだ。しかし人生はそんなに長くない。ここで立ち止まっているわけにはいかないのに。
むかし付き合っていた彼女と別れた時、僕は彼女との思い出の品をさっさと捨てた。それはいつまでも引きずりたくないからなのだが、この違いはなんだろうか。別れた子はその後も継続し生きていて、花子はもうこの世にいないという違いはあるのだが。
 可能性を、絶つってことなんだろうか。彼女の場合にはまだ寄りを戻す可能性があり、それを絶ちたい思い、花子の場合は、どんなことしても戻らない。戻らないものを、未来永劫この手に留めておきたい気持ち。いや待て、彼女とはまたやり直す可能性があるから残さなくてもためらいがないとも言えるし、よく、わからないな。
 いずれにしても、背中をまんまるくして花子が寝ていたベッドは、花子が生きていたときには、実に寝心地のいいAだったものが、今は、僕が感傷に浸るためだけのBにすぎない。僕はこれを捨てる日を想像した。そして身震いした。
GRAVITY4
GRAVITY100
フラウビ

フラウビ

小説『100日で本を1,000冊売り切る話』29
ペットのお葬式というサービスがあって、グレードがある。僕は小型動物にカテゴリーされる猫を最高級のグレードにした。お金ではないが、お金をかけたいと思った。それがせめてもの花子へのはなむけだった。
葬儀場にはもうぬくもりのない花子をドライアイスに包んで、それをかかえて出かけた。小さな骨を見せられて、もはや涙は出なかった。感慨はある。あの遊びまわっていた小さな猫が、白い小さな部品のようになっているのだから。だがこれはもはや花子ではなかった。彼女はもうここにはいないし、どこにもいないだろう。僕は信仰心がないから、魂、というか無の中にある意識のようなものは信じていない。それでも人間が死の先を意識するのは、その巨大すぎる脳が、深く考えすぎるからだ。
 彼女がいなくなって、僕は本当に全てが終わったんだと今さらながら気が付いた。部屋はいっそうがらんとした。信じられるだろうか、ほんの一年前には子どもが笑い、妻がキッチンに立ち、猫がそこら中を歩き回っていた。今は、なにもない。僕は目を擦り部屋を見渡した。力が出ない。全てが、本当にすべてが終わったんだと思った。
GRAVITY2
GRAVITY103