ふらん
哲学や倫理が好きです。
何となく思う事を呟けたらいいなぁ。と思ってます。
話を聞くのが好き
音楽
マンガ
写真撮影
ロック
amazarashi
スニーカー
仲間
ふらん
神の存在。
これは色々な人に伝えてる。
信じる信じない
信仰心の有無
宗教観の違い
とかの話しではなく
神が何処に居るか?
神の正体って何だ?
って話をする。
世の中に神も仏もいない。
それは半分正解で半分当たりだ。
結果いない。
当たり前だが自分に都合の良い人間がいないように都合の良い神や仏なんていない。
だから敢えて言うなら
神話だの宗教に出てくる神は俺は信用していない。
もちろん諸説ある中での解釈だから誤解も語弊も生じるが
神=かみ
と教わった。
これは日本語としての解釈。
元々、日本語は一文字一音に意味がある。
一般的に言う言霊だ。
それを1文字1文字を組み合わせて言葉は出来ている。
『かみ』の『か』は火を意味する。
『かみ』の『み』は水を意味する。
これを人間に置き換えると人間の大半は水分の『み』で占めている。
人間の思考回路や運動回路など全ての神経には微弱ながら電気が通っている。
電気は『火』から起こって電気を発生させている。
人間の行動に『か』が宿って人は物事を考え行動する。
その二つの文字『か』と『み』を組み合わせて、『かみ』と言う言葉が出来た。
って事は『神様』ってのは人間の存在自体が神であるという定義で解釈だ。
それは勿論、他の動物にも当てはまるが一旦それは置いておいて。
なぜなら動物には共通言語が存在しないから。
そして、その自分の内側にいる神様ってやつに会う方法はないのか?って聞かれるから
『かみ』+『われ』を入れてみな。って言う。
『かみ』+『我』に置き換えてね。って付け加えて。
『かみ』の中に自分=我を入れると
『かがみ』になる。
だから『かみさま』に会いたきゃ毎日、鏡を見ればいい。
朝、顔を洗ったり
出かける時にでも
鏡を見る。
自分が笑ってたら『かみさま』は笑っている。
逆に悲しい顔してたら『かみさま』が悲しんでるから笑って過ごそうと思えばいい。
これは
昔、自宅のベランダで深夜タバコを吸ってたら
何処からもなく小さな女の子が現れて
心霊体験も多いから気にしないで話しかけてみたら
その女の子が教えてくれた不思議な話し。
多分5.6歳ぐらいの小さな女の子。
名前も知らないし不思議な子だった。
元々、坊さんにスカウトされる程に霊感が強いらしく
俺自身も昔から色々と心霊現象は体験してるけど
あれはビビるとかもなく普通に話しして
それだけ教えてもらって
また空に飛んでった。
あれ、夢だったのかなぁ。って今でも思うけど。
それから『かみ』の定義は
それにしている。
あとは別の神というか仏の存在もいるんだけど。
それは、また今度。
俺は自分からスピリチュアルな人間ですよ。とは言うのは嫌いだけど
その人の行くべき方向を示唆する事を生業にしてるから
それで、その人が幸せだったり良い方向に行くのであれば、それでいい。
これは唯一俺が金銭を取らない生業。
労働でも営みでもない生業。
自分のライフワーク。
久しぶりにスピリチュアルな事を書いた気がする。
さて明日は何が起きる事やら。
とりあえず早く仕事終わらせてほしいな。
ふらん
久しぶりに来る人もいれば初めましての人もいるが基本的には人数は少ない。
なぜなら俺は大人数に話すのが苦手だから。
昨日の講義の内容は『禅語』について。
俺は宗教博士ではないから自分なりの解釈でしか話さない。
そこから勝手に考察して下さい。が毎回ながらのスタンス。
そんな昨日の講義で最初に話した言葉は
『我逢人』がほうじん
私はアナタに会いたいから会いに行く。
逢うは全ての始まりであり全ての終わりの為に始まること。
今日初めましての人がいます。
その人とは今日を持って金輪際会うことはないかも知れません。
なぜなら明日、互いに生きている保証がないのだから。
だから今日、俺はアナタに逢いに来てアナタは俺に逢いに来た。
それは喜ばしい事でもあり切ない事でもあります。
今日互いに互いを知れた意味を知る事が出来れば、もう二度と逢う事が出来ずとも互いの心の折に閉まって大切な思い出になれればと思います。
そうやって人は重なり人との想いは自分の小さな光明になります。
振り返っても後悔しかないけどれど、振り向いたらアナタを大切に想ってくれた人がいた。
だから今日までのアナタはアナタとして生きてこれた。
それを忘れずに恐れずに人と出逢ってください。
次に言うのは
『和敬清寂』
これは前にグラでも書いたな。
それは別にして
『和』互いに理解し
『敬』互いを尊重し
『清』互いに見栄を張らず
『寂』互いに穏やかに心を配る。
アナタと俺は
そこにある魂の繋がりが全てです。
アナタの有限と俺の有限な時間。
そこに小さな嘘や見栄も必要ない。
俺はアナタを大切に想える時間を大切にしたい。
アナタは俺に何を遺しておきたいかを伝えてくれればいい。
どんな感情もアナタの美しさ。
醜いと言う事は見え難い心の澱。
それを捨てて自分の心を話す事。
その為の時間だと思って聴いていって下さい。
そんな話しを延々と話す。
禅語は好きでよく多用するが、あまり知っている人もおらず
昨日も理解した人に理解したい人に理解出来ない人がいる。
それでいい。
俺は俺の解釈を理解してくれればいい。
だから本来は料金取るのも嫌なんだよな。
俺が主催じゃないから何も言わないだけで。
その後、終わってから近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら雑談。
恋愛の話しからスピリチュアルな話しまで。
神様とは?
結婚とは?
色々な事を話しながら帰路に着いた。
人は悩む。
それでいい。
正解、不正解どっちだろうか?
俺は、その都度の『最適解』でいいと思っている。
調子良い日は勝手に調子良いんだから調子良く過ごせばいい。
調子悪い日は勝手に調子悪いんだから調子悪く過ごせばいい。
私は駄目なんて思う必要はない。
私は私でしかない。
どんな私は私なのだから受け入れてしまえばいい。
自己肯定が低い人間は世の中にいない。
それは自己肯定の仕方が判らないだけ。
俺は自己肯定が高いマイナスな人間。
決してネガティヴではない。
それは自分をただ俯瞰で見て自分ありきの人生を謳歌する。
マイナスなのは、ずっと深い海の底で思索してるから。
それは隠してもいないけど
ずっとその景色にいるような感覚。
だから相反する感情で生きている。
そんなバランスだからこそ見える世界がある。
さてと年末にも仕事あるし
色々と資料を探さなくては。
ふらん
ヒンドゥーの教えで自我と宇宙の真理を一つに重ねて高次元の世界へ行く事。
自我(アートマン)と宇宙の真理(ブラフマン )
が1+1=1になる事。
元々ヨガは宇宙と一体化する為の瞑想。
これも座右の銘の一つ。
自分を好きになる事。
自分を嫌いになる事。
自分を必要だと知る事。
自分は不必要だと知る事。
自分以外は皆、師だと理解する事。
自分以外は皆、徒だと理解する事。
神は自分の中に居ると言う事。
神は自分の外に在ると言う事。
後悔しても戻らないと言う事。
期待しても返らないと言う事。
世の中は不変だと言う事。
世の中は無常だと言う事。
昨日は曖昧だと言う事。
明日は未定だと言う事。
命は有限であると言う事。
命は記憶であると言う事。
欲望は尽きないと言う事。
欲求は果てがないと言う事。
完璧な人間はいない。
完璧な人生はある。
相反する言葉と感情。
それすら真理には程遠い。
昔、永遠と永久の違いを教わった。
始まりも終わりもないのが永遠。
始まりも終わりもあるが長いのが永久。
この苦しみは
有限なのか無限なのかと
もがいていた時期に習った。
永遠ならば終われず
永久ならば、いつか終わる。
終わりにするのは簡単で放棄すれば済むだけ。
二律背反は哲学用語で
梵我一如は宗教用語で
意味はどちらも同じだったりする。
詰まるところ、高みの自分を目指すだけ。
俺は底辺の頂点を目指している。
愚かで浅ましい人間ですら
生き損ないの人間ですら
世界は醜くとも美しかった。と言えるように。
あと少しで今年も終わる。
年末に講義と言う名前の忘年会もある。
少しずつ資料を作らなきゃな。
ふらん
対極にある命題と否定命題の擦り合わせにより高次元の答えになること。
自分の座右の銘の一つ。
カントによる
世界は有限である。
と
世界は無限である。
これ永遠に解けない答えの一つ。
最初に言われた時に理解したけど納得はしない。
言語化は出来るけど陳腐な言い回しになる。
有限と無限の境界とは?
永遠と永久の違いは簡単に理解したが
こんな簡単な言い回しなのに
有限と無限どちらなんだろうか?
そんな事をいつも考えていた。
魂は永遠であると言われても確認のしようがなく
輪廻転生における魂の在り方は?
その魂は新しい肉体に宿っていくのか?
それとも全く別の魂になるのか?
記憶と魂の繋がりは?
色々な事を考える。
そして
座右の銘にしている理由は
俺は基本的に自分を律している。
体重以外は。
なぜなら俺は律していないと俺は全てがどうでもいいと思ってしまうから。
間違いなく悪い方向に向かうから。
年齢的に悪い事をするのは恥ずかしいと思っているからしないだけど
俺は性悪説の人間だから
人間は残酷で冷徹で自己欲求の為なら何でも出来ると思っている。
ただ、そうならないように周りが善悪を教え協調する事や常識を植え込む作業をする。
それは本人含め周りにも迷惑をかけないように。
「人を殺してはいけません。自分が殺されないために。
モノを盗んではいけません。アナタが盗まれないために。」
そんな歌詞もある通り
それは自衛の為だと思っている。
律する事で自分のルールだけではなく周りのルールも寛容する事で社会は成り立つ。
だから俺は自分を律する。
と自分に言い聞かせている。
そして反面的な事を言えば
元は自由主義と言うか享楽主義または刹那主義だったから。
メメント・モリ
『死を忘れるな』
これは必ず死はやってくる。だからこそ今ある幸福を享受せよ。と言われた。
自分本来の考え方も間違いだとは思わない。
世の中は全て不平等であり不公平である。
決まっているのは死だけは必ず来る。
と言う事。
ならば自分の向かう方向に向かえばいいと思う事だって間違いとは言えない。
この主義主張は未だ自分の中で解決しない命題。
ただ律する方が人間社会をやる上で大切だから律するようにしている。
格好悪い事は嫌いだし。
そして今新しく投げられた言葉で
俺の律する主義とは対極にある自由主義の人。
本来ならば対極にある考えだけど
入り口は違えど出口は一緒みたいな感覚。
それは
自由主義とは不自由の許容の範囲で大きく変わるからだと思う。
相手に求めない、押し付けない、強要しない、自分の意識の尊重と相手の意識の尊重、ある一定の許容範囲の中で共にいる事への配慮。
その範囲や思考が変われば別の自由主義に行くだけ。
自由を通り越して自己都合主義の世界に行くだけ。
皆が別次元の自由を与え求められる環境。
俺の解釈では遠く及ばずながら自分に落とし込んだ。
それは俺の律する主義とは対極にあるように見えるが実は本質的には一緒なのかも知れない。
俺の律する主義は誰にも同じように自分の為に生きる事への自律を重んじる。
他人への恐怖や萎縮による他人の為の自律主義なら破棄してしまえ。
他人も同じように幸せと言うゴールを決めて行きたいだけのこと。
だからこそ自分を律せよ。
自分の人生の最後を振り返って幸せだったと言えるように。
自律主義と自由主義。
改めて考えなかった事を考える時間になれた。
物事の本質は詰まるところ
自分の幸せ=他人の幸せ
ではなく
自分の幸せ=他人と幸せ
でありたい。
自分だけの幸せなら自分だけの世界に閉じこもればいい。
それだって充分過ぎる程に幸せだ。
だけど他人との価値の共有し何気ない言葉一つでも
自分の知りたい答えのカケラになるなら
これは幸せ以外ではない。
この考えだって来週には変わるかも知れない。
諸行無常が世の常。
常に古い自分の価値観を捨てて都度に考え方を変えなくてはいけない。
うん。
久しぶりに良い出会いを知った。
自分が自分を諦めない限りは自分に足りない作業が出来る。
感謝しかない。
ありがとう。
と心から思えた。
ふらん
無意味に事故が増えるのは何故だろうか。
そんなに忙しいのだろうか。
と
明日の仕事の準備をしながら考えた。
繁忙期なのは理解してる。
俺も普段の倍近くの荷物を扱ったりしてる。
だからこそ気をつける。
焦っても慌てない。
何もなければいいなぁ。
去年は何回も目の前で事故られて
その度に渋滞にハマる。
後半になればなるほど
忙しいのは判ってんだけど
だからこそ互いに気をつけあうべき。
講師の仕事もとりあえず入ってるし
働かないとなぁ。
固定資産税から火災保険やら色々くる。
あぁ
働けど働けど生活に追われる毎日。
生きるってのは
何でこんなに大変なんだか。
そういやクリスマスも来る。
switch2なんて当たらないから
サンタさんには別のプレゼントを希望してもらおう。
通帳みたくないな。
どんだけ引かれていくんだろう。
ふらん
信じられないぐらい無関心。
冷たい通り越して機械みたい。
人間味を感じない。
優しいフリは上手でも本当は優しくない。
目が死んでる。
自分に関心がないから他人にも関心がない。
他人を虫ケラみたいな見てる。
などなど。
言われてきたなぁ。
振り返ってみたら俺いつも色々と言われてきたわぁ。
モテるかどうかは別にして
今まで恋愛で苦労した事がない。
だって他人に対して他人が嬉しくなる言葉を言えば良いんだから。
なんて講義終わりでの雑談の一間。
今でも妻にケンカと言うか機嫌が悪くなると延々とLINEで文句を言われる。
でも俺からは何も言わない。
無駄だから。
意味がないから。
俺は義務と責任を優先して愛と情は二番手に回すよ。
愛じゃ飯食えないし
情じゃローン払えないから。
そんな会話をしながら
講義に来ていた人は引いていた。
あのね
君らが何で傷付くのか理由は簡単で
君らは感情が豊かだからなんだよ。
それは人間としては大切だけど
生物としては損でしかない。
感情に振り回されて相手を追い込んだり追い込まれたり
無駄な質問や確認をして理解したフリして
本当は何も理解しあえてないことに落ち込んだフリをしたり
相手の容姿やステータスで判断したり
俺には無駄な感情でしかないんだよね。
俺も結婚してるけど
妻を愛してるけど
やるべき事は生活の営みを平穏無事に過ごさせる事。
金銭的な苦労は多少あっても並に生きていける事。
子供がとりあえず無事に成人するまでは育てる事。
それ以上はないよ。
それ以上は高望みでしかない。
価値を勝ち負けで判断してる限り
要求と欲求と刺激を求める限り
それは自分の義務と責任を伴わないと
自分が傷付くだけだよ。
と淡々と話していたら
先生は感情を捨てたんですか?
と聞かれたから
答えは
それが出来たら苦労してないよ。
ただ
誰からも不要とされて
周りに馴染めず
家族愛も知らない
基準は勝ち負けの世界しかない
持たない人間は
惨めな人生を過ごすしかない。
そう思ってたよ。
小学生の頃。
そこから色々あって
とりあえず真面目に生きてるフリをしてる。
だけど
感情が欠落してる事がバレて
周りが離れてく。
その繰り返しかも知れないね。
だから講義をやって
人間の感情を崖際ギリギリで立ってる。
俺に愛情を教えてくれた人は
もうこの世界から居なくなったけど
その人から学んだ感情を残そうとしてる。
俺は言ってしまえば
いつ消えても何も気にしない。
自分に興味も関心もない。
ただ、その人が見たかった世界を見たいだけ。
あんまり他人に本心や本音を言う事はないけど
まぁ別に常連さんの仲良い人だから
隠しても仕方ないかなぁ。と思った。
俺の考えは全て二律背反とか梵我一如って言葉で片付けてしまうけど
俺は俺に興味はないけど
そんな俺を愛してくれた人に
俺は恩返ししたいだけ。
この世界は醜くて汚れてて救われる要素は何もないけど、それでも世界は美しかったよ。って
言ってやりたいから
生にしがみついて生きてる。
世の中は自己矛盾と葛藤が混じってる。
俺は善悪の判断もないし
誰がどう生きようが興味もない。
ただ
それでも生きてるならば
世界に渇望しながらでも
幸せを掴めなくとも
明日も憂鬱であっても
昨日の自分よりは、まだマシかな?
って思えた方が素敵じゃない。
その答えは俺には出せないから
俺は哲学を勉強してる。
答えなき答えは
アナタ達の幸せだから。
と言っても
これも良い先生のフリかも知れないよ?
って言ったら
大丈夫です。
相変わらず内容が判りませんでした。
って笑われた。
人を笑わせる事は苦手でも
人に笑われるぐらいの人生ならば
それは上々かもね。
生きる事に意味はない。
死ぬ事に価値はない。
全て忘れて消えていくだけ。
それでも
残した感情が誰かの灯火になれたら
それは生まれてきた意味も価値もある。
ふらん
逆でもいいけど。
前に逃げ恥と言うドラマが流行ったけど
それとは別の意味で。
生きてると嫌な事や辛い事とか色々ある。
それが人生だから。
悟りでも開いて涅槃に行ければ幸運だが人生はそんな設計はされていない。
行けど地獄で去れど地獄なんだから。
そんな講習から始めた実験回。
来た人にほ一応今回は実験的なセミナーにしてみるので返金しますので興味や関心が無い方に聴いても無意味だった方は今か帰宅時に伝えて下さい。
なぜなら返金しても俺のギャラには一切関与しない話なんで。
文句や不満等は主催の人に言って下さい。
と厳しめに話しておいた。
何事もリスクヘッジは大切。
今回の話の内容。
いつもの事を話す気になれず
題材を探していて辿り着いた事。
逃げ方上手は生き方上手。
その逃げ方とは
物理的な距離の置き方から精神的な距離の置き方とは似て非になる
自分の真面目さや勤勉さからの逃げ方。
俺は常々思うのだが
真面目な人や勤勉な人に責任感の強い人は
何故こんなにも頑張れるのだろうか?と感心してる。
俺も比較的には勤勉なのだが隣り合わせに不真面目が居座っている。
背中には責任を背負っているくせに
両手には退廃した正義感を抱えている。
自分で言うのも何だが何故こんな人間なんだろうって毎回思う。
俺のお客さんは比較的真面目な方が多く
だからこその精神的な病気や傷を必要以上に抱えていて
泥沼を歩くかのように一歩一歩が辛そうだ。
だから色々な無責任に聞こえる真面目な話をするんだけど
根本的に逃げ方を知らない。
だから敢えての今回の話。
俺の講習は基本的に幾らか知りません。
俺は払う側じゃないので。
主催する人に任せているので俺は言われた通りしかしないし責任もありません。
なんなら俺のギャラも毎回違います。
理由は知りません。
人数なのか時間なのか理由は判りません。
何故やるかと聞かれたら俺自身の考え方の擦り合わせです。
何故ここまで赤裸々に話したかは
こんな感じで人生に責任や真面目や勤勉を必要以上に持ち込んだところで生活水準は上がらないからです。
全ては自分の生活が豊かであるか貧しくなるかの違いだけです。
だから嫌な事からは目を背け背中を見せて走り去りましょう。
自分の好きな趣味や推し活をした方が有意義です。
などなど色々と話をした。
でも最後に何を伝えたいかという締めの言葉。
逃げ方は自分の守り方であると言う事。
戦い方も知っている方が便利だけど得をするかしないかでは言えば得は少ないかもしれない。
傷を癒す事より隠す事より
忘れる事の方が楽だし
無駄に怪我するより逃げてしまえば
無謀な人生になる事もない。
最低限の真面目さ勤勉さ正義感は必要だけど
それは他人の為に使う必要はない。
全て自分の為に使ってください。
逃げるは恥じゃない。
死ぬ事は勇敢じゃない。
傷を負う事は格好良い事じゃない。
ただただ
自分の幸せから目を背けないで下さい。
逃げた先に幸せだと思える時間や好きなモノがあれば
それは生き方としては満点でしょう。
誰かの為に鐘を鳴らすのではなく
自分の為に鐘を鳴らしてください。
と言って終了。
その後に主催とも話して
実験回にする事は伝えたので
納得してもらえたから良かった。
ただ毎回来る常連さんが
帰り際に挨拶したら
今回のアプローチの角度がエグすぎて
先生の住んでいる世界は何処なんですか?と聞かれたので
俺が生活してる場所は日本です。
ただ棲息してる場所は深海です。
そこにある真っ暗な世界で
ずっと1人で生きてます。
家族もいるし生活も普通にしているけどね。
その世界に来たら
24時間フルタイムで思考する世界だから
来ない方が賢明です。
その答えに
お客さんは黙って笑ってくれた。
なんとなく判ってくれたかな。
ずっと1人で色々な事を考える世界。
ここに書くのも
ほんの一部の僅かだけ。
でもね
みんな本当は色々考えてる。
それを言語化するかしないかだけ。
俺は商売だからしてるだけ。
ここに書くのも何となくだけ。
全てに意味はあり全てに意志はない。
ふらん
いつものディーラーで担当営業さんと打ち合わせ予定が
出世して担当外れる事になり新しい担当営業さんと話しをしていて思った事。
普段から講師やってるせいか
話し方や姿勢や気の配り方が未熟過ぎて話しが入ってこない。
質問には何も答えられず謝られてばかりで
これは第三者が見たらオッサンが若い女の子に向かってパワハラかカスハラをしてるように思われているんだろうなぁ。と思って
元担当営業に何で、あの娘を担当にしたかと聞いたら
一言。
俺の事を営業が全員が怖がってるから無理ですよ。
あの娘は2年目で伸び代があるし根性あるから鍛えて下さいね。
投げやがったな。と笑って言ったら
さすが20年近くの付き合い
宜しくお願いいたします。だって、、
そこから始まった営業としての教育。
打ち合わせに行くたびに駄目な部分を指摘して
他の営業から白い目で見られて
元担当はニヤニヤしながらガッツポーズで応援してくるだけ。
そんな打ち合わせも重ねてやっと今月に納車。
自分の車を買うのに苦労した気がする。
値段は安くなんないし説明するときは噛み砕いて丁寧に教えてだし
質問も相変わらず理解してないし
これから、この娘が担当かと思うと不安しかないんだけど
頼まれた以上は仕事しなきゃなんないかなぁ。
世の中に得手不得手はあれど向き不向きは存在しないと思ってる。
得手不得手は特性だけど
向き不向きは方向性だから論じる意味がない。
これでキョトンとされて
商売は三方良しが基本だよ。と伝えて
意味を判ってもらえず
営業の基本は恩の押し売りから始まるんだよ。と言っても
何していいか判らずみたいで
本当に半年近く色々話したけど
なかなかハードだった気がする。
講師の時の参加する人達は
頭が良いのかは判らないが
理解はしてないけど納得してくれてる。
年齢もそんな変わらないんだけどなぁ。
それでも一生懸命に頑張っている姿は
オッサンなりに応援したくなるし
ならば担当からは外れて欲しいが
元担当に散々お世話になり散々怒ってきたから
その恩返しも含めて
新しい担当営業に頑張ってもらうしかないのか。
それも
ご縁だし世の中は合縁奇縁だから
長い付き合いになれば
そのうち偉くなって少しも安くしてくれたらいいなぁ。と自分に言い聞かせている。
とりあえず早く納車して欲しいな。
ふらん
格好良くなりたい。
イケオジになりたい。
と
ツレが叫ぶ夜。
爆笑しながら
心の隅っこで囁く本音。
俺もなりたい。
10代の時に感じた大人の格好良さは未だに憧れている。
最初は黒夢の清春。
ミッシェルのチバさん。
ブランキーの三人のそれぞれのテイスト。
中村さんが一番好きだったなぁ。
タイトにロックに不良だったなぁ。
今でもルードstyleは好きだから着るけど
あのオシャレな不良になれないよなぁ。
とボンヤリしてしまった秋の夜長。
別にモテたい訳じゃないから
好きな洋服を着たいと思っているけど
なかなか欲しい洋服とサイズが合わない。
とりあえずライダース を作ろうかなぁ。
ライダース だけはオーダーじゃないと気が済まないから
金がかかるんだよなぁ。
そしてライダース を育てたくなっちゃうと
そればかりになる。
そうするとオシャレの方向性がまた変わる。
アクセサリーはクロムが基本だけど
今はドメスティックでもいいのあるし
メキシコのブランドも好きだし
色々と物欲が出てきた。
とりあえず
アメカジにルード合わせて行こうかなぁ。
たまにツレに会うと
やっぱ10代の頃の感覚が戻るねぇ。
単車とファッションと音楽。
タバコと酒。
男臭い生き方が好きだったなぁ。
夜通し単車で知らない土地に行ってみたり
音楽談義して夜中にドラム叩いて警察を呼ばれたり
酔っ払って朝方に死ぬ程寒くて起きてたり
オジさん昔は悪かったんだよ。なんて言う過去はなくではなくて
ただただ好きなモノは好きで何が悪い。
って言い張ってた時代だったなぁ。
なんて昔語りしてたら
俺は今も同じだよ。
って言われた。
いやいやオッサンだよ互いに。
家庭持ってる40代半ばのオッサン二人。
だから
とりあえず自分の小遣いで出来る趣味をやって
オシャレにロックに生きたいもんだ。
そしたらいつかは
イケオジになれんじゃん?
その頃にまた
互いに近況報告出来る事を願う。
病気や怪我には気をつけましょう。
互いにな。
最後はオッサンの挨拶で終わった。
やっぱ
オッサンになったな。
ふらん
昨日亡くなった人が欲しかった明日。
生まれた時はアナタが泣いて周りが笑い
死ぬ時はアナタが笑って周りが泣いてくれる。
そんな人生を送りなさい。
どちらも諸説あるがインドの故事だったような気がする。
時々この言葉を思い返しては
自分の人生は恥ばかりだと自分で自分に笑ってしまう。
振り返れば
何も残せなかった人生だったなぁ。と常々に思ってる。
幸せも不幸せも
いつもフラフラしてるような
何が幸せかも分からず
何で不幸せなのかも分かれず
ただただ
歩いてきただけのような気がする。
結婚をして家庭を持ち子供も生まれ
仕事も色々あるが何とか正社員だし
講師の仕事もカウンセリングの仕事も
程なくそこそこに出来て
金の余裕はないけど支払いは滞納しなくて済むし
多分そこそこに良い人生なんだと思う。
満足も充足もなく
不満も不足もない。
周りに幼少期や家族の話しをすると同情されるが
どこにでもある底辺の家庭。
ゴミみたいな人間もどきが
平凡に暮らせるって
結構大変で
人間もどきだから人間が分からず
周りと同じように振る舞っても
やっぱりバレてしまう。
そんな人生だったから
人を理解したくて仕方なかったなぁ。
だから
冒頭の言葉を聴いた時に
不思議と涙が出た。
どれくらい前に聴いたか忘れたけど
たまに思い返しては
泣いてしまう言葉。
判ってるはずなのに
気付く事が出来なくて
当たり前のはずなのに
見過ごしていて
シンプルな言葉なのに
それが何より響く。
そういえば
前に言われた言葉で
一番に号泣したのは
はんぶんこ
だったな。
喜びも悲しみもとじゃなくて
二人の残りの寿命を足して2で割って
はんぶんこにしたら
終わる日も一緒だね。って
言われた時
人前であれだけ号泣したの初めてだったなぁ。
幼稚な発想かも知れないけど
俺が欲しかった言葉は
はんぶんこ
だったって気付かされた。
与えるばかりの毎日で
奪われるだけの感情で
空虚な人生だったから
嬉しかったな。
その人は
もう居ないけど
最後まで俺の為に泣いてくれてた。
だから俺は最後まで笑ってた。
もう二度と会えないんだけど
あの笑顔も泣き顔も
死ぬ日に思い出すのかなぁ。
アナタが教えてくれた人生は
今でも俺の道標なんだよね。
俺が死ぬ日は知らないけど
少なくとも誰にも泣いて欲しくなくて誰にも思い出されたくなくて
静かに終わりを迎えたい。
何も残さず成し遂げず
路傍の石のように
終わりたい。
だけど
それでは俺を残して先に去った奴らに申し訳ないから
アイツらが残した言葉や想いを
色々な人に残してやりたいかなぁ。
矛盾だらけの感情で
整合性のない言い訳で
また明日の夜も
講師の仕事だ。
なんとなく
弱音でもなく愚痴でもない
言い訳をしたくなる。
明日は何を話そうかなぁ。
ふらん
退けど地獄
生きるも地獄
死ぬも地獄
同じ地獄なら
どの地獄がいいかを選べばいい。
と話しをして
みんなキチンと怪訝な顔をする。
毎回毎回
嫌味と皮肉を込めて話しをしている。
終わってから
常連の生徒さん?と食事しながら
何で俺の話しなんか聴いてるの?
間違いなく時間と労力と金銭の無駄でしかないと思うんだよね?
と尋ねた。
返事はシンプルに
毎回、何を言ってるか判ってません。
帰ってから考えて考察しても何を考えてるか判りません。
だから聴きに来てます。
ちょっと間を置いて
思った事は
たまにいる真っ直ぐな人。
正義も正論も性善説もなく
ただただ真っ直ぐな人。
いやー困ったなー。
と久しぶりに思った。
俺は単純に煙に巻いて茶を濁す程度の話ししかしてない自負があるから
真っ直ぐだと説明が長くなんだよなー。
って思いながら苦笑いしちゃってた。
それに対する答えを話した。
いやぁ有り難いね。
俺は人生に
何も期待せず
希望を持たず
夢はベッドの中でしか見ず
来る者は追い払って
去る者には石を投げつけて
付いてくる者には嘘をついて
正義はジャンケンみたいなモノといい
人の気持ちは理解をしないし
恋愛感情はドブに捨てて汚水塗れの価値観です。
人間嫌いで人間嫌われで
死に損ないで生き損ない
だから哲学を学んだんですよね。
少なくとも俺は毎回思うのは
来てくれる方々は毎回人数も人も場所も違うし
初見さんは何を聴かされてんだろう?と感じる人も多いんだけど
少なくとも人生で傷を背負った人が
傷は治せなくとも向き合って
その傷を武器にして不幸と言う嘘から
幸せと言う虚無になって欲しいと願うんですよね。と話した。
私は不幸だと言える人間は卑怯な嘘つきだ。
私は幸福だと信じれる人間は虚無の空白者だ。
幸せは信じるものではなく感じる事でしかなく
不幸は口に出した瞬間に不幸は嘘になる。
そして自分は不幸だと嘘をついて他人を傷つける事が平気になる。
なぜなら私は不幸の犠牲者だから。
そこから降るのは簡単で昇るのは困難だから。
だから敢えて俺は生徒さん?お客さん?には
難しく言ってます。
色々な言葉を組み合わせて
理解されないように
情報過多にして
気付かれないように
本質を隠して話してます。
だからまた今度くると悩むと思います。
常に一定の価値観ベースの話しだけどアプローチが違うから。
それを言われた生徒さんは
困った顔をしながら
次も来ます。
やっぱり何を言ってるか判りませんでした。
と最後に笑って言っていた。
うーん。
この人にはこの人の見えない傷がある。
それはきっと真っ直ぐが故の傷か。
俺みたいに逃げ傷みたいなモノじゃないから
申し訳なくなっちゃうわ。
次回は、この娘に伝わる話しをしなきゃなぁ。
何がいいかな。
嬉しい悩みで困る悩み。
ふらん
思った事は
戦争の悲惨さ痛々しい内容よりも
人間の欲と感情は乖離されていると言う事を深く思う。
だから泣けない。
妻は大号泣していたが
俺はボンヤリ見ながら
この男の子は好きになれないわぁ。
と呟いていた。
どうやっても栄養失調になったのは君のせいだよね。
食える量は違うけど先に腹一杯にさせるのは君じゃなく節子だよね。
食事のシーンを見るたびにニヤッとする食い方に可愛い妹よりも自分の食欲に先行する感覚が苦手というか好きになれない。
火事場泥棒をして
畑泥棒をして
時代が時代だから、それは仕方がないんだろうし
極限まで行けば法律を無視した行動も理解は出来るが
彼の心情には何も寄り添えない。
妻は号泣しながら俺は冷笑しながら子供は子供なりの理解で見ながら
三者三様にこれほど違うものかと思う。
節子のリアリズムな痩せ方や虚ろな目には
グッと来る部分もあるが
その時代には幾らでも転がっている話。
きっと
人間は慣れる生き物だから
凄惨であれ平和であれ
結局は日常になってしまう。
そんな事も考えながら見てる。
だから感情が沸かない。
ただ毎回思うことは
世界大戦の事ばかり話すが
日本人が日本人同士でやりあった時代も
たかだか150年ぐらい前か?
戦国時代から幕末なんて酷いもんだ。
弱い者は全て死んでいく。
そっちも重いと思うんだよなぁ。
でもあの映画は名作と言うより芸術だなぁと思う。
のちの世まで残る映画。
でも高畑勲作品で1番好きなのは
かぐや姫かね。
泣きもしないし内容も知ってるけど
あれは日本美術みたいで好き。
火垂るの墓は
半分ノンフィクションだから
残酷さを知るには良い映画かもな。
醜い人間性と見栄と自我と怠慢で妹を見殺しにした映画。
そう考えると面白かったかも。
ふらん
だから家族サービスして講師の仕事して
きっと休みが終わる頃には
結果的に自分の時間がなかったなぁ。と
いつも以上に疲れる一週間。
生きるって大変だから
仕方ない。
なぜ仕事ばかりするか。
基本的には金銭が全てだから。
〇〇円以上ならやる。
〇〇円以下ならお断り。
そこにしか価値を見出さない。
それを言うと守銭奴や銭ゲバみたいな言い方もされたが
俺は愛とか希望とか夢では
全く心が動かない。
だからボランティアもやらない。
昔、散々やって途方に暮れる程に徒労に終わったから。
都合の良い耳障りの良い言葉を選ぶのは嫌いではないが得意でなく
お客さんと話す時も8割の人は凹んで帰り2割は理解出来ずに悩んで帰る。
それでも何故か客足は途切れず
どうにか講師の仕事も並行しながらやっている。
基本的な考え方に
悩むな。考えろ。
やる事は2つだけ。
生きる事と生き抜く事。
死を忘れるな。そして恐れるな。
金は価値じゃない。基礎だ。
愛は0でありなさい。
そこから哲学や思想の話をする。
毎回毎回テーマを考え話すんだが
次回は何の話しをしようか考える。
お盆にちなんで死について。
メメントモリについて話すか。
神様の存在について。
そして、お客さん達から質問されるのが
宗教は信じてますか。
答えはYES。
ヒンドゥー教徒であり真言宗派であり神道信仰であり山岳信仰であり修験道信仰。
他の宗教も全て容認してます。
ただし色々な信仰宗教から出禁くらってます。
すぐにケンカ売るから。
ちなみに宗教は好きですが宗教家は全員嫌いです。
御釈迦様とキリストさんは始祖だから好き。
あとは空海さんが師匠であるから、そこは信じてるけど
あとは軒並み全員嫌い。
だから宗教は好きだけど宗教家は嫌いです。
こんな曲がりまくった人間の話しを聴きたいと思う人達も如何なものかと思うが
とりあえず、これ書きながら決まったから
整理して清書しなきゃ。
忙しいと色々忘れてしまう。
生きるのは大変。生き抜くのは更に大変。
ふらん
そんな出来事が最近よく起こる。
良い傾向であるが
何とも不思議な気持ちになる。
だって俺は何も変わっていないんだから。
俺は俺を良く思わない人に対しては無視はしないが空気を読んで静かに佇む。
それがマナーだと思うから。
逆にブラックジョークを言われれば皮肉も自虐も交えて笑いながら話す。
それがマナーだと思うから。
俺は今の職場に移らされてから
約2年はあまり誰とも拘らず仕事していた。
理由は同じグループ会社の人間から好かれていなかったから。
陰口も知ってたし悪口も聴こえてたし
皆で仕事していても俺は蚊帳の外で会話に入れないし
元ヤンチャやってました感満載のオジさん達とは
拘らず仕事してた。
俺はヤンチャはしてないので合わない。
ただ不良債権みたいなクズみたいな生活してただけで。
だからビビリもしないしダサって思うぐらいで。
まぁ何処にでもいるイキったオジさん達だなぁ。と思っていたら
一人は会社を辞めて抜けて
その子分みたいなオジさんは突然下手に出て話しかけてきたなぁ
と思っていたら
先日、心筋梗塞で倒れ今は入院してるらしい。
残った俺は変わらず仕事をしているが
周りで今まで大して関わろうとしなかった人たちが話す事が増えた。
理由は判らないが
その二人が俺を悪く言うから
俺と話すのを控えていたらしい。
なんとなく
そんな感じの雰囲気。
あとは別の会社の人たちと組む機会が増えて
話しをしたら
至って普通の人間だと気づいてもらえたのか。
若い男の子から
近寄り難い雰囲気がありました。と言われ
それは俺を嫌ってる人がいるから俺は静かにボッチ生活をしていただけだよ。と説明し
また更に仲良くなれたりと有難い。
ただ今回の一件で感じたのは
自分がブレなきゃ気付く人は気付いて近寄ってくる。
変な行動も奇声もあげないんだから。
人間の評価はかなり適当だな。と思う。
だからブレて他人の価値観に振り回される必要はないと心から思えた。
くだらない。
ふらん
母親の本命日。
早いもので5年が経つ。
振り返ると基本仕事と家庭の事しかしてないし
母親の命日も仕事だから
これといって何もしない。
まぁ週末に親父と兄貴達と会食するぐらいか。
どうせ喧嘩になるのだから
やめときゃ良いのにな。
母親が亡くなる少し前から
人の死というものに
寂しさを感じなくなった。
今まで何人も見送ってきて
その度に後悔と自責で
もう嫌だと涙した日々を忘れていくように
寂しさも後悔も無くなった。
枯れ尽くしたのかと思うほどに。
ただ考えるのは
死は終わりでもなく
そのようにプログラミングされて
デザインされた事象に過ぎない。
まだ年端のいかない子供は別として
成人した大人が寿命を全うしたならば
どのようなカタチであれ
受け入れる以外の方法が見つからない。
悲しみは誰の為。
それは自分の心を癒す為。
自責も後悔も
それは自分への言い訳だった。
頑張った自分への体のいい言い訳。
そんな感情。
俺は哲学を勉強しながら哲学に興味がある訳じゃなくカウンセリングと言うか相談を受けながらも自分が誰かに相談する事はないから
自分は何者でもなく
ただの思索家だという事に気付いた。
物事の本質ではなく深く追求していくだけ。
本質は全ては0である。
そこに尽きてしまうから
本質は追求しない。
それよりも
差別して区別して
色々と考える事を意識していた。
その矢先に母親が亡くなり
今に至る。
終わりは次の始まりなんて言うけど
終わりは終わりなんだ。
次の始まりは別枠なんだよ、きっと。
だから
終わったらキチンと終わったよ。
って相手にも自分にも言い聞かせておかないと
いつまでも自分に縛られる。
それでも
悪夢を見て懐かしい悲しい夢を見て
手を伸ばして夢だったんか。と塞ぎ込む夜も未だある。
もう二度と逢えない。
その現実すらデザインされた日々。
人は生涯、苦悩と葛藤する生き物。
命日が近くなり
母親から学んだ言葉を思い出す。
彼岸から此岸に来て彼岸に帰るだけ。
その言葉の意味。
改めて噛み締めている。
ふらん
超矛盾になる。
それを乗り越えると真理が見える。
二律背反
梵我一如
アンチノミー
いやぁまだまだっす。
カケラどころか
目標さえ見えない。
果たして
こんなんで答えまで辿り着くんかなぁ。
と常々思索してる。
毎日寝る前にコツコツ考えて
やり続ける事30年ぐらい
10代半ばから
考えても動いても話しても聞いても
何もまだ判らない。
人間の出来損ないだから
やっぱり感情が欠落してる。
だから他人の相談やらカウンセリングやら出来る。
だから倫理や哲学の講師もしてる。
ここに書くときは
何の文脈も考えずに書けるから気楽。
纏まらない感情を殴り書きしてる感覚。
うーん。
やっぱり判らない。
多分だけど理解してる。
でも納得してない。
だから腑に落ちない。
矛盾してるから。
うーん。
でも間違いじゃない。
と言っても正解とは程遠い。
妥協案なのか。
人間ってのは本質的に
矛盾を好む。
それすら理解出来ない自分は
周りからも言われた
何かが欠落した人間。
いや、それでいいんだけど
基本的に金が全ての基準だから
金以外の価値で測られても
あまり理解してないから
でも人は金だけで測られるのは嫌みたい。
じゃ何よ?
って聞いても
答えが返ってこない。
そこに矛盾が生じる。
でも間違いじゃない。
けど正解じゃない。
承認じゃなく否定でもなく肯定でもない。
だから答えが見つからない。
結局
人は死がデザインされている以上
その死に意味を持たせなきゃいけない。
死に意味はないんだけど。
それを言って怒られる。
世の中
矛盾だらけ。
そこに答えがあるんだろうなぁ。
ふらん
成長率が高すぎて
たまに引いている。
やっぱ
子供は世界の宝だよ。
自分の子供も近所の子供も友達の子供も
世界の宝だなぁ。
なんて呟きたくなる。
だから
親として生きてくなら
精一杯愛してやれよ。
それが嫌なら子供を作るなよ。
別に結婚も出産もしたら勝ち組と何を言ってもいいんだけど
他人と優劣をつける前に
我が子を愛せよ。
それが出来ない人が多い。
愛されなかったから
愛し方がわからない。
とか
自分の親が毒親だったから
自分も毒親になったとか
とか
ちょこちょこ言われる。
だから必ず言う。
愛=0だよ。
相手に期待しない。
相手に望まない。
相手に求めない。
相手に干渉しない。
相手に好かれようと思わない。
その全てをただ受け入れてやれよ。
駄目だったら何が駄目かを言えばいい。
それでも駄目なら仕方ない。
だけど
子供は親が全てなんだから
必死に愛してやれよ。
親として生きるなら
子供を大切にしてやれよ。
所有物じゃないんだよ。
人格ある人間なんだよ。
ここ最近
親になれない親の相談が多すぎて
これが大人になれない親離れ出来ない
親を見せられ
ちょっと辟易としてきた。
親って何だろ。
何で産まれる前まで幸せ気分で
産まれたら自分は一番不幸みたいな顔すんだろ。
やっぱりまだ人間を理解してないんだなぁ俺は。
ふらん
その人の未来が見えたら伝えるべきか。
良い未来も悪い未来も
変わるかも知れない未来の話。
あまり他人にはしない話。
ただ
色々な言葉に混ぜてヒントにしておく。
長い付き合いだから
黙っておけばいいのに
それでも
変えられない未来に覗き込まれたら
伝えなきゃいけないんだろうな。
だから
他人とは付き合いたくない。
その人の生き方を否定してしまうから。
嫌だなぁ。この感覚。
何年か前に伝えた未来が
全て当てはまってしまい
結果、長年の夢だった店を畳む。
いや
未来予測ではなくて
ただの友達としてのアドバイス程度だったけど
その言葉で追い詰められていた。
そして
店を畳むと決意した。
お疲れ様じゃ済まないよな。
人の夢が終える瞬間を何度も見てきたが
やっぱり切ないよ。
ただなぁ
やっぱりね
経営は
遊びでは
出来ないよ。
作り方も提供も見せ方も
悪くない。
それだけど
最後には
ウリがない。
それだけだ。
俺も看板を上げてない
商売やってるから
怖いよね。
ただ言えるのは
よくやった。
それは知ってる。
あとのこと
今はいい
わすれてさ
好きにやれ。
ふらん
人様に見られている
と思うと
今の時代は悪い事は出来ない。
神様が見てくれるよりも
人様が認めてくれる
と思うと
今の時代そっちの方が嬉しくなる。
頑張れ
頑張る
どっちも大切。
だけど
どっちも不必要。
とにかく笑えばそれでいい。
自分らしくも
自分らしくないも
とにかく幸せでありたいと思ってくれればいい。
ふらん
分け与える方がいい。
半分こよりも
ちょっとだけ多くした方がいい。
簡単なのに出来ない事だらけ。
自分を満たさないと
相手を満たせない。
空虚で
空腹な
心に
何を与えたら満足してくれるのかね。
強いよりも
正しいを。
正しいよりも
優しいを。
優しいよりも
当たり前を。
たまに考える。
老いも若きも
皆が皆
我が我が。
東日本の地震の時から
ずっと
それを思ってる。
ふらん
寂しいと思う時がある。
それは
本当は理由があったから。
でも見ないようにした。
そうすれば
傷つかなくてすむから
寂しいだけで
おさまるから。
傷つく程に悲しくなる出来事があったら
それは
そっと記憶の底にしまって忘れてしまえばいい。
大丈夫。
誰にも気付かれないから。
ただ
時々
寂しくなるだけ。
それなら
まだ耐えられる。
生きてると
優しくなれない日があって
笑えない日があって
痛くて泣いてしまう日もある。
虚しく寂しい日には
そっと真っ暗な部屋で
静かに目を瞑って
静かに息をする。
自分が1人だけど
自分は独りではない事を
確認して
静かに息をする。
寂しい時間は
自分との対話する時間。
静かに静かに
言葉を伝えて。
ふらん
覚悟してやればいい。
現場は変わらず嘆いたところで助けは来ないんだから。
叶うか叶わないかを考えるよりも
諦めなければいい。
諦めたフリして夢は叶わないとか言わない方がいい。
今日明日かなう夢なんて夢でもない。
5年も10年も諦めず繰り返しブラッシュアップした夢は叶わないかも知れないけど
自分の財産になるし武器になる。
情報を得ることで頭が良くなる訳じゃない。
情報を知識に精製して知恵にしなかったら
結局は情報過多の情弱の出来上がり。
嘘も本当もないSNSの独りよがりなんて
ただの情報。
誰かが何処からか拾った価値ない話。
情報は大切だからこそ真偽を問わなければいけない。
そんな言葉を自分に繰り返す。
ふらん
大人になったときキチンと大人になったね。
と誰も教えてくれない。
年齢の記号だけでは
果たして本当に大人になれたとは
言い切る事が出来ない。
大人ってなんだろうか。
子供の頃に考えていた大人と
大人になってから周りにいる大人を見ても
あまりにも解離しているような気がした。
陰口
文句
仲間はずれ
責任放棄
やってる事は
小学生みたいな大人が多い。
だから自分が大人だと思ったら
宣言してみたらいい。
せめて
格好いい大人になる。
外見だけではなく
少しも誰かの為に頑張れる格好いい大人。
なんか最近いろいろな大人になれない大人に振り回されて
疲れた。
だから一人の仕事を選んだのに
結局は周りの輩な大人に振り回される。
もう少し格好良くなってほしい。
愚痴りたくないけど愚痴りたくなる。
ふらん
その人の立ち方や歩き方
仕事する時の姿勢で
自分との向き合い方がわかる。
そういう人の思考や仕事に対する熱量を
話していると
共通する部分がある。
技術は二の次
全ては基礎にある。
そこに崩れない姿勢の佇まいとブレない思考の立ち振る舞いが強い。
プロであればあるほど
自分の思考が強い。
だからこその佇まいや立ち振る舞いが問われるような気がする。
両手を広げて
あれもこれもとやる技術は
後で練習すれば出来る。
でも基礎は
範囲が広すぎて
基礎だけで1日が終わる。
しかもそれが次に繋がるかも分からない。
でも
それを崩さずにやり続ける。
職人の親方やプロのミュージシャン、デザイナー、モデル等、色々な人たちと関わってきたが
改めて売れる売れないは別にして
それ一本で生活してる人たちは
みんた、生き方の佇まいが美しかった。
見習うべきは
基礎に立ち返る事。
何度も何度も繰り返し繰り返し
考える事。
タイパやコスパに囚われると
自分が他の誰かから
タイパとコスパで区別される。
地味な作業の大切さを改めて実感する。
ふらん
高ければ高いほどに見晴らしもいいし風も気持ち良いだろうけど
低ければ低い程に生き物の呼吸を感じるし流れ着く場所には命が多く宿っているかも知れない。
高みを目指す人は高みを目指した歩き方で進めばいい。
低さを求めた人はひたすらに這いつくばって寝転べはいい。
どちらかが正しいよりも
どちらも楽しいであればいい。
生き方なんて人それぞれ。
比較して差別され必要か不必要かだけで
選ばれたんだから
自分の生き場所くらい自分で決めたらいい。
自分探しは自分の場所探し。
ふらん
積み重ねる事が楽しいと思いたい。
落ち葉が重なり山になって持ち上げて上に放り投げる楽しさ
雪が降り注いで深い新雪の下に足を踏み入れる楽しさ
友達と夜通し話し込んで積もった話しで笑い合ったり泣いた楽しさ
趣味に没頭して何度も練習を重ねて出来た時の楽しさ
大切な人と夫婦になり家族になり1人だった時には味わえなかった暖かさの楽しさ
楽しいは重なり合う事。
そんな日々を過ごしたい。
ふらん
講師の話を聞かれて困った。
先生やってます。
講習やってます。
セミナーやってます。
カウンセラーやってます。
どの言葉も当てはまらない。
俺は依頼されて
色々なテーマを独自の理論で話すだけだから
正しいも間違いもない。
基本的には哲学や倫理学、神道、仏教を織り交ぜて話すが
つまる所
幸せの定義や不幸の背負い方
生きている理由や意味
善悪ではなく正義と悪の相違。
禅語から読み解く心の在り方。
仏教から学ぶ物事の見方。
神道から考える調和。
それに加えて
精神的な悩みの相談。
他にも色々あるが
結局はカウンセリングに近いけど資格もってないから偽物でしかない。
だから
いつも哲学の講師やってます。
と軽く言うのだが
その人には哲学と言う言葉を知らないみたいだから
哲学の意味を教えても理解されにくく
まぁ先生のバイトみたいなもんです。
と言葉を濁した。
俺はその人を仕事面でも尊敬してるので知らない事を馬鹿にする気はない。
哲学よりも仲間と酒を呑んで楽しく家族と仲良く暮らしてが出来るのだから素晴らしい。
ただ哲学と言う言葉を当たり前に使う俺にとっては哲学と言う意味を教えるのは難しい。
知らない人からすれば一歩間違えば新興宗教の勧誘に思われかねない。
当たり前だが講習に来る人は、その哲学を学ぶから知ってるしカウンセリング的な事もあるから理解してくる。
それに胡座をかいて上から伝えてる気になるのは
改めて自分に恥じた。
やっぱり自分の物差しで測ってはいけない。
哲学やる上で俺は自分をなるだけ低い位置で見るようにしてるけど
驕りがあったかもな。
反省すべき恥ずべき人生。
こんな時に酒を呑み忘れればいいんだが
酒もギャンブルもやらないから
つい色々と考える時間が増える。
ただ思う事は
もっと深く掘り下げて
哲学の本質を伝える言葉を考える。
いやいや
世間知らずってより
人間知らずって嫌だな。
ふらん
声に出してしまう時がある。
そうなんだよなぁ。
それよなぁ。
わかっていたのになぁ。
そんな言葉が部屋の空を舞っている。
簡単に考えれば分かるはずなのに
面倒にしていたのは自分だったなぁ。
なんて思うことも多々ある日々。
いやいや
知識が増えても知恵がなければ意味がない。
道具を持っても使用法が判らなければ意味がない。
そればかり考えてる。
無駄はない。
ただ知る機会が遅かっただけ。
知る事に早い遅いはなく知った時が最短。
そんな言い訳を繰り返す。
いやいや
判っていたはずの事。
それを見過ごしていた事。
また一つ反省と成長としたいこと。
ガマン出来なくなるって事は幸せな事。
確かに。
我慢しなくちゃいけない。
自分が選んだ事だから当たり前。
そう自分に言い聞かせても
それが溢れて行動してしまうなら
それは生きている証拠である。
ただそれは犯罪や法を犯しはいけないの前提。
そこだけは忘れてはいけない。
ふらん
息子のドラム教室で先生と話しながら
そんな話しに。
それわかるなぁ。と笑ってしまった。
10人に1人ぐらいなんだけど
1番早く結果が出る方法を教えて下さい。
プロになる近道を教えて下さい。
自分は、このドラムの組み合わせがベストだと思っています。
なんて人が来るのも現実。
言いがちよね、確かに。
そんな時は丁寧に全て答えてお断りしているらしい。
さすが職人。売り上げは自分の仕事で稼げるし嫌な人間には一切の妥協はしない。
家族が心配しますよ、それ。
もう一人のプロのドラムインストラクターの知り合いは逆に
全て受け入れて思考から破壊して再構築をして教えると言う中々の面倒な人だけど
お弟子さん含めプロも多くレッスンも何ヶ月待ちの人気らしい。
そんなタイプの違うように見える二人の口癖は
最短はないし足して足して足した後に削いで削いで削ぎ終わった後に出来るのが自分のスタイル。
これ哲学をやっていても同じで
正解がない事を考える。
ドラムなら音とリズムの正しさと方向性。
そこに正解はない。
正解がないから追求が終わらない。
今日の正しさは明日の正しさではない。
若い音と年輪を重ねた音での正しさ。
だから毎日の積み重ね。
これが正しかったと自分に言えるように。
哲学なら持論だが
人は弱さの中にしか強さを知り得ない。
強さは自分の感情の代弁者。
善は成長する中で悪を孕み
悪と言う抽象すべき存在が善の輪郭を作る。
幸せと言う事象を得る為に不幸を学ぶ矛盾。
ワタシとアナタは別の世界でなく別次元で生きていると思える錯覚。
全てに価値と正解と値札を付けても明日に全てひっくり返るかも知れない現実。
だからこその思考思案。
そんな話しで盛り上がった。
俺は本職や家族の前では哲学の話しをする事はないんだけど
ついウッカリ先生と話しで盛り上がってしまった。
小難しい話しと言語だから日常では何となくの話ししかしないようにしてるのに。
でもやはり、その道をプロは素晴らしい。
一流と呼ばれる人は学ぶ事が多い。
一流の周りには更に一流が集まる。
それはやはり
一流にしか見えない世界があるんだろうな。
俺は人間的にも哲学者的にも神学者としても
泥水でしかないから遠く及ばないのが残念。
ふらん
あと1ヶ月以上ある彼岸まで寒いのか。
雪道は今年いっぱい走ったから
そろそろ海の方に行きたいと思った矢先に
海沿いの仕事がはいり
喜んで行ったら
潮風が吹き荒れて寒い。
季節と天気に文句はないけど
エンジン切ってると凍死しちゃうよ。
なんて考える朝の待ち時間。
終わったら明日は講師の仕事へ。
さて
明日は何を話すか。
ルールとモラルとエチカ
規律
道徳
倫理
その事に対する話しがいいかな。
そこら辺はゴチャ混ぜにしちゃいがちだから
その辺のテーマにするか。
しかし
天気はいいけど
日陰で寒い。
ふらん
自己都合と感情でしか見ない相手は人生の無駄。
人より私財でしか判断しない相手は仕事の無駄。
それを教わった気持ちになる。
そこに感謝しかない。
大切な人を見失って無駄に振り回されるより
大切な人に寄り添って生きていく。
見失いがちな事。
それを改めて教えてもらえた。
無駄な人にも大切な家族にも感謝。
馬鹿な教えは何一つない。
軽い遠回りした思考も糧にしなければ。
次の話しのタネになったし。
ふらん
たまにそのルールの価値観にぶつかる。
俺は合理的で一見は無駄であってもリスクヘッジやリスクマネージメントならば
その無駄は正解に辿り着く為ならば仕事に多少の遅延が出ても仕方ないと思っている。
その根幹は自分は運がないから。
あり得ない事故が起きる。
運が悪いとしか言えない出来事が起きる。
だからこそのリスク管理。
でもそれが起きた事のない、ある種の悪運が強い人には理解されない。
だから文句を言われ溝が出来る。
俺は自慢じゃないが運がない。
才能もない。
ありとあらゆる凡ミスを繰り返して反省して理解してミスを減らして結果を積み上げる努力型。
だからこそ思考の停止をしない。
ずっと色々な事を考えて試行して失敗して書き出して新しい事を試行する。
だから器用で悪運が強い人には鈍臭いように見える。
才能もないから人の倍以上の努力と時間をかけて学ぶから更に倍速で遅くなる。
そんな事を話しても理解されないから
自分なりのスピードで仕事をしてきた。
ただ経営者の方々には
そのルールを話すと理解してもらえる事が多いから
何とか自分を保ちながらやっている。
今の仕事は必要以上に他人と絡むから
他人のルールに合わせなきゃいけない。
そこでルールの価値観がズレるから文句を言われ陰口も聞こえる。
なかなか難しいもんだ。
基本自分ルールの仕事しかしてこなかったから
マイペースに出来るが
強い人には媚びて日が浅い人間には強く言う
パワハラとモラハラが当たり前の世界にいると
たまに嫌になる。
まぁそれも経験でしかない。
悪気はなく自分の正義を振り翳すだけ。
生存競争ならは誰でもやりがちなこと。
誰かを蹴落とさないと自分が引っ張られしまうのだから仕方ない。
可愛い可哀想な人。
自分より一回り年上で
何も持ってない人だから仕方ないかと
この年齢になってからも気付く事ばかりだ。
俺は何も信用しないから自分すら疑ってきたから
何とか今の地位やら仕事やらしてる。
本業も社会的信用を得る為にやっている。
講師やらデザインの仕事はインプットとアウトプットの為と生活の為。
本当に未だ世間知らず。
学ぶべき事が多い。
そんな年末。
明日から旧暦の新年。
頑張るか。
ふらん
二律背反。
苦しみの先にしか見えない答えがあり
矛盾の先にしか知れない答えがあり
そのどちらも到達する事は叶わないのだけど
そこをずっと目指している。
産まれる場所を自由に選べなくとも
生きる場所ぐらいは自由でありたい。
それが
他人から見たら平凡であっても底辺であっても
自分の幸福の場所があればいい。
昔
欲しかった言葉は貰った。
自分でも気付かなかった言葉。
その時に人目も憚らずに泣いた。
俺は他人に色々な言葉を贈るが
自分が欲しい言葉がある事も知らなかったが
聴いた瞬間に泣き崩れた。
だから
もう言葉は答えはもらった。
見たい景色があった。
その景色は丘の上から下る途中の曲がり道。
そこから海が見え、その上から満月が
静かに佇んでいた。
微笑むかのように静かに海を照らしていた。
その景色を観て
見せたかった人が、もういない人生を悔いた。
あの風景は今でも残っている。
どちらも
取り留めのない言葉と景色。
どこにでもある
誰でも知ってる事。
それでも
そこにしかない答えがあった。
人に与え続けてきた日々。
別に何かを返して欲しいわけじゃない。
礼儀とか不必要で出来る事をやってるだけ。
それで充分だった。
だから不意打ちに言われた言葉が嬉しかったんだと思う。
人生は理不尽だし嫌気も差すし醜いと思う事は多いが
その瞬間に垣間見る美しさ。
そこに答えが宿る。
苦しみと矛盾の先にあるのは
到達か拒絶かは判らないけど
それは向き合って答えを出したい。
ふらん
その言葉を息子に言われ始めたウォーキング。
基本歩くのは好きだから苦にならず息子と夜の散歩をしながら色々話す時間を持つようにした。
普段は時間が中々合わないからコミュニュケーション不足になりそうだと悩んでいたから
これは幸いだと一緒に歩く。
何気ない日常にしか幸せはあらず
何気ない会話で成長を知り
何気ない親子である事に喜びを感じる。
いま未婚が多いに騒がれているが
未婚だろうが既婚だろうが
最後は独り。
その人生の中で
大切だと思える人間がいて
大切だと過ごせる時間の中で
大切に育てていく感情がある。
それがペットでも植物でも何でもいいとは思うけど
俺はたまたま息子と妻だっただけ。
基本的には
ネガティヴではなくマイナスな人間だから
世の中のほぼ全ての事に関心も興味もない。
ただ知りたいのは真理だけ。
生まれてくるはずなかった人間が
生まなきゃ良かったと言われた人間が
今でも恥をかきながら生きている。
明日、別に死んでも差し当たり充分過ぎる人生だったと毎日思っているから
そこは何でもいいけど
まだ妻と息子との時間は大切にしてやりたい。
人生は自分の為に使うには長過ぎる。
人生は他人の為に使うには短過ぎる。
どちらがいいかは興味ないが
俺はせめて
使い捨ての命だから
拾い物の人生だから
家族に色々と残してやりたい。
そして
最後は独りで終わりを迎えたい。
誰にも覚えてもらわず
誰にも悲しんでもらわず
ただ
自分の教えた言葉が
俺の周りの人達の何かになればいい。
その為にも
運動と健康に気を使わなければ。
ふらん
毎年思うのは
一休さんの言葉。
門松は冥土の旅の一里塚。
目出度くもあり目出度くもなし。
今年は予言やら何やら色々なウワサが出てるけど
その全てに関心も興味もない。
生き残る人は生き残る。
死ぬ人は死ぬ。
戦う人は戦う。
逃げる人は逃げる。
勝つ人は勝つ。
負ける人は負ける。
どの道を進めど突き当たりは終わりの道。
どの道を彷徨えど行き着く道は同じ道。
ならば
自分が自分らしいと胸を張って歩ける道を
そこに誰も居なくとも誰にも理解されなくとも
ただ真っ直ぐ犀のツノのように歩くだけ。
ふらん
久しぶりに疲れ過ぎて頭が作動しない。
まぁ今までも自分なりにやってきた。
だから
これからも自分なりにやっていくだけ。
世の中すべて他人事。
生きるも死ぬも意味はない。
負ければ落ちる。
勝てば留まる。
崖っぷちに立ちながら
俯瞰で見た人生だから
時々すべて投げ捨てたくなる。
ふらん
愛さなければ何も終わらない。
それじゃ悲しいから
人は終わりを知った上で愛したい。
愛の定義は色々あるけれど
愛≒0だと教えらた。
与えても望まず
奪われても絶たず
添えようと期待せず
報われなくとも裏切らず
相手を加算してもいけず減算してもいけない。
相手のニュートラルを見つめる事。
それ以上の感情は全て我欲でしかない。
だから1番の愛は互いに片想いである事。
両想いではなく片想い。
俺はアクセサリーや靴が好きで色々持っているけど
アクセサリーも靴も俺を事を好きな訳じゃない。
一方的に俺が好きなだけ。
そこに嘘はない。
それに妻も子供も大切で愛している。
だから
いつも言っている。
愛してるよ。
だから自分で決めて考えて生きていけばいい。
好きにやればいい。
俺は俺が出来る範囲の事を全力でやるだけ。
妻は別として子供には悪い事をすれば叱るけど普段は甘い。
ただ筋道が間違った事をやった瞬間に俺は親から鬼になるだけ。
それは愛情ではなく礼儀礼節、マナー、モラルの問題だから。
愛を語る上で恋愛を中心に人は考えるが
一番に考えるべき事は自己愛。
自分を良く思っても悪く思っても何も変わらない。
コンプレックスも自己肯定も自分の一部でしかない。
だから自己満足の愛ではなく自愛。
だだひたすら
自分を愛せたら
それなりに幸せな生活になると思っている。
自己愛が低かったら他人の欠点も許せなくなる。
自分が自分に片想いをする。
それは他人を愛せるに繋がると思っている。
ふらん
また一区切りをつける程の時間が過ぎた。
10年目の時は
キチンと弔えると思っていた自分が無駄になる程に涙が溢れて世捨人になろうとしていた。
仕事も何もかも全て捨てて彼女のルーツのドイツに行こうとしてた。
その直ぐ後に出会ったのが今の妻。
20年目の時は
誰にも語らず1人で静かに黙祷をしていたら昔のツレから心配の連絡が入り深夜、初めて出会った遊園地の近くの夜景が綺麗な場所から朝まで色々な思い出話と自分語りをして綺麗な朝焼けに何かが報われた気がした。
20年ただの一度も思い出す事なかった。
ずっと共に歩いていたから。
そこからは一年に1日だけ言葉にするようにした。
その翌年に子供が産まれた。
自分が人生を諦めてしまわないように。
そして明日が30年目。
先日、運転をしていたら大きな月が浮かぶ姿を見ながら思う事は一つだけ。
いつか月に向かえたら。
人間だから少しずつ昔の記憶も曖昧になり
悲しいけれど
どんな声で
どんな笑い方で
どんな雰囲気で
色々な事を忘れていく。
この想いすら
ただの自分語りなのか
なんなのか時々わからなくなる。
ただ
この日だけは
14歳の頃の
どうにもならなかった人間ですら
怪しかった頃の自分を思い出しながら
その彼女の最期を
幸せであってほしかった
幸せになってほしかった。
その想いを残したい。
自己満足であれ自分語りであれ
俺の人生は
その人から始まった。
ありがとう。
アナタのおかげで
曲がりなりにも人間らしい生物になれたと思っている。
人間は人間になる為には
少なからず
無償の愛と呼べる感情が必要になる。
それを与えてくれたアナタへ。
心からの愛を込めて。

ふらん
何故なら嫌うと拒絶してしまうから。
赦すと言う感情がないから。
だから
なるだけ距離をとって疎遠になって
穏やかな気持ちで相手から離れて
興味も関心も持たず
自分の進むべき道に行くべきだと信じてる。
平均寿命は長くなっているらしい。
でも人生は短い。
やりたい事、知りたい事、行きたい場所、見ておきたい場所。
変わりゆく時代、変わってしまった風景、変わりゆくであろう息子の未来。
それを知り得るには時間は足りない。
だから
嫌いになりそうな人に興味や関心を持たず
好きな人間や大切な人間に時間を使いたい。
人間嫌いじゃなく人間嫌われで充分。
自分の命と時間の使い方ぐらいは
自分で決めたい。
