#小説のなかの好きな一節 時には、自分をニック・アダムスに仕立てあげる森をさまよい川を登る。ソバ粉のパンケーキも焼いてみた。ソバ粉七に小麦粉三の割り合いで溶いたものが、一番僕の口に合う。パパ殿はそれにリンゴジャムをはさんだらしいが、僕にはちと甘すぎる。きっとリンゴの種類が違うのだろう。酸味の強いクッキング・アップルならいけるかもしれないが、日本では手に入らない。 そこで僕は、カナダ産のメイプルシロップに、生のレモン汁とで代用することにした。酸味と甘味が絶妙で、ソバ粉のパンケーキには中々いける。ヘミングウェイが生きていたら、絶対に教えてあげるんだけどね。『デザートはあなた』森瑤子
#小説のなかの好きな一節 「そうでしょうね。服を買うのは、好きだったわ。もっとも手っとり早い、自己実現だから。新しい服を買って着ると、自分が、なにかになったような錯覚があって、その錯覚は、充分に陶酔的なのよ」片岡義男『きみを愛するトースト』
#小説のなかの好きな一節 きれいなうしろ姿のきみは、あの光景にじつによく調和していた。あまりにも調和しすぎていて、ぼくは、不憫に思った。年下のぼくが、不憫に思った。なぜ、不憫かと言うと、あまりにも似合いすぎている。その風景から、いつまでもきみは抜け出すことが出来ずに、そのまま埋もれてしまうのではないか、という思いが誘発されてくるからだ片岡義男『きみを愛するトースト』(この引用の下に当時の自分のメモ有り)……彼から見た私がこんな風に映っていたら悲しい。「その風景から、いつまでもきみは抜け出すことが出来ずに、そのまま埋もれてしまうのではないか」という一文に、自分の今を重ねてしまった。自分のやりたいこと、目標、将来の夢、持ち合わせている資格などが、果たして今いる地で叶うのか、役立つのか、このまま過ごしていて将来、大丈夫なのかと。隣にいる彼の横で、彼のために笑い続ける道を、本当に選んでいいのかと。それがやりたいことなのかと。まだ間に合う。私だけの、大切な人生を、ちゃんと本当の意味で考えて、行動しなくてはいけない。……2021.1.25のスケジュール帳からメモを発見。おそらく、お互いが恋に恋していたんだ。世界は必ずしも恋人がすべてじゃない。あの頃はただただ彼について行くことしか出来ず、このまま結婚して、扶養に入りパートでもするのかと思っていた。なんだか閉じ込められた気分だなって、思っていた。ところがそんな未来はあらず。私もかつての恋人ももうとっくに自由です。今の私にこの一節はスコンとも響きません。多分、あの頃より心は豊かです。幸せ、とは言いません。きっとあの頃もそれはそれで幸せだったので覆したくないから。幸せだっただろう過去を、比べてつらかったな、、なんて、過去の私が救われない。だから、今の方が、あの頃よりよく眠れます。
#小説のなかの好きな一節 「だったら止めとけ。あのな。パトロネージってものは、勇気でやるもんじゃないんだ。あれはシャレなんだ。粋な大人の遊びなんだよ、俊介。おまえには逆立ちしたって手の届かん世界だよ」『デザートはあなた』森瑤子
#小説のなかの好きな一節 常識、社会的な規範、世間の眼、愛する者たちの願い、そのときどきの美学……。いずれにも頓着せず、私自身でいること。それは、人生におけるいちばんの価値を、孤独におくことでもある。『疼くひと』松井久子
#小説のなかの好きな一節 けれども、何かがどこかで決定的に欠落してしまったような感じを俊介は拭えないでいた。男と女の関係で、感性が決定的に違っていたら、だめなのではないだろうか。アルデンテをシンという女は、だめなのではないだろうか。『デザートはあなた』森瑤子
#小説のなかの好きな一節 「恋?誤解しないでよ。わたしたちのは最初から友情」「なら落ち込むことはないよ」「女心を知らないわネ、三四郎。それに俊介も俊介よ。途中でやめるなんて男らしくないわ。たとえわたしが八十のお婆ちゃんになったって、『デザートはキミ』って口説き続けるのが、男と女の友情におけるマナーじゃないのさ」『デザートはあなた』森瑤子
#小説のなかの好きな一節 湯船につかっているとき、まだ若かった時代の彼女の記憶が少しずつよみがえった。正確に言えば、まだ若かった彼女を小説に書いていた時代を思い出した。自分もまだ若かったのだ。『花のような人』「幼なじみ」佐藤正午
#小説のなかの好きな一節 思い出してるうちに、無性に話したくなったの、ひさしぶりに。 ただ、それだけなんだけど、この電話、あなたの声が聞きたい、あなたにあたしの声を聞いてほしい、いま、あたしは台所にいて、ほんとにそう思ってる。『花のような人』佐藤正午
#小説のなかの好きな一節 あのとき僕はひとつ先のショーケースに飾られたブーケを見ていた。真っ白な、鈴のようなかたちの、小さな花。見ているうちに僕はその花束を手にした君の姿を空想していた。なぜだかわからない。君にとても似合う花だと感じたのかもしれない。それで、その香りを確かめたくて思わず歩いたのです。君から離れたのではなくて、未来の君のほうへ一歩近づいたのです。『花のような人』佐藤正午
#小説のなかの好きな一節 でも昨日は君の勘違いです。君が買物してるあいだそばに立って、僕はずっと君のことを考えていた。ねぇ、と話しかけられたとき、返事ができなかったのは、あれは未来の君のせいです。『花のような人』佐藤正午
#小説のなかの好きな一節 寂しいのは、もう二度と恋愛はしたくないという、少女時代から繰り返している決心を今回もした自分、進歩のない自分だ。でも同時に、今回は失恋と関係なく、普段通り、会社の仕事をこなしている自分が好ましくもある。『花のような人』佐藤正午
#小説のなかの好きな一節 私の思うのに、二十六、七からさきの女は、もうあるがままの自分ではやっていけなくなる。こういう女になろうと、自分に似合わしく設計して少しずつ、それに近づくように矯めたり修練したりしてゆく、それを、私はひそかに、(年齢化粧)とよんでいた。白粉や口紅の化粧だけでなく、(どういう感じの女になるか)というのを、いつも考えていなければいけない、と私は考えていた。『苦味を少々』田辺聖子