私的言語が言葉として成立しないというのは当然だと思う。言葉の最大の利点は「共感」と「相互理解」だから。外国の言葉を翻訳するのも一緒で全く同じではなくても近似する何かで妥協できないものは、新しく相互理解できる言葉に書き換えなくてはならないから。哲学を言葉遊びと捉えるか、真理に近づくための手段と捉えるかで考えに誤差が生まれる。ただし、どの言葉でも足りない、どの言葉とも違う、言語化の難しい複雑な感情をほとんどの人は経験している。そして、その感情こそ本当に伝えたいものだったりする。