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そこのあなたもかき氷星人🍧
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氷好きの星 ❄️✨
「氷好きの星」は、氷の美しさや魅力に惹かれる人たちが集まる場所です。
透き通る氷の結晶、幻想的な氷柱、静かに広がる氷河の景色、涼やかなかき氷やアイスドリンクまで——氷にまつわるあらゆる楽しみを共有しませんか?
🌨️ 美しい氷の風景や冬の絶景
🧊 かき氷やアイスドリンク、冷たいスイーツ
🔍 氷の不思議や結晶の魅力
冷たく澄んだ世界の美しさを、この星で一緒に楽しみましょう!❄️💙
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風ささ
#俳句 #季語 #薄氷
庭先の小さな池の氷も
すっかりと薄くなり
その氷をまばゆい陽射しが
叩いて遊んでいました
打たれるたびに
眩しさを散らす薄氷
その力に耐えきれなくなったのか
僕が軽く触れただけで
割れてしまいました

優
#自然 #冬 #枯葉 #季節 #薄氷 #写真投稿
#写真好きな人と繋がりたい




メリー
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感覚だけではなく心の薄氷をも溶かし涙となって零れた
飼い主らしき人がチラッとみたので私は手を戻しありがとう、バイバイと告げた
飼い主が戻り愛でられながら揚々と立ち去った彼は最後に私のことを見てくれた
この玉響の経験を慰め種として植え付けておこうと思った

風土志
宇宙から見ると地球は青いと言われてます。
地上から見ると空の色も青ですね。
青って若い色、颯爽とした色、風に向かって立って髪がなびく時の色、そんな感じがします。
同じ青でも、空の青は季節で色合いが異なります。私は冬の空の青か一番好きです。
澄んだ空気の中でピンと張り詰めたような青、
薄氷のように少し力を入れるとパリッと割れてしまいそうな青が。

mashiro/

音佐りんご。
回答数 85>>
物理的な居場所と捉えるかも知れないけど、人がその場にいても関わる必要がない公共空間というのはある意味心の居場所ではある。
それに本を読むってコミュニケーションだからな。
作者が綴った言葉を読む。それについて自分が何かを感じる。そういうコミュニケーション。
それも居場所になり得る。
物理的な場に縛られない分、読書は本質的な心の居場所になるかもしれない。
そういう話でないのなら、自分を定義してくれる場所のことだろうか。
職場とか。
仕事をしてたらその仕事をしてる人という役割を得る。
会社員とか医師とか教員とか警察官とか、呼び方も在り方もなんだっていいとは思うけど、そこに居てその仕事をしてたらそれが居場所になるよね。
唯一無二の心の拠り所を持ちたいなら結婚でもすればいいのだろうけど、相手にとってもそうであるとは限らない。
それが永遠に続くとも限らない。
それが失われた時、居場所を永遠になくすことになるかもしれない。
別に婚姻関係、家族関係に限らず、友人でも、定義しにくい何かでも。
人間関係は常に薄氷の上だ。
居心地の良い場所だろうと悪い場所だろうと、人間関係はいつか終わる。
続けようとしなければ、変えようとしなければ。
或いは続けようとしても、変えようとしてもいつか終わる。
そういう意味では流氷かもしれない。
その氷の上に最高の居場所が築かれていたとしても、流された氷の置かれた環境は変化していく。
真の居場所。
結局のところそんなものは無いのだと思う。
自分で作ってそう名付けることはできる。
与えられたものや見つけたものをそう呼ぶことはできる。
それでも仮の居場所。一時的な居場所だ。
永代供養の墓地だって移転するかも知れないし、いつかはサ終するかもしれない。
死後に居場所のありやなしやはさておき。
真の居場所とか心の置き場所だとか、そういう「無いもの」をあると言うのなら、それは宗教の領域だから、同じ思想や近しい考えの人や集団が居場所となることはあるかもしれない。
なんだっていい。
どうだっていい。
そうやって執着するのをやめた時に座っていた場所が居場所かも知れない。
手を開いた時に残っていた繋がりが居場所かも知れない。
そんなの誰にだって、自分にだって分からない。
そういうもんなんじゃね?
知らんけど。
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