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『しゃかりきコロンブスの午後』

経営会議は木曜日の午後三時から始まることになっていた。僕はいつものようにモレスキンのノートとモンブランの万年筆を持って会議室に入った。窓の外では初夏の陽光が街路樹の葉を透かして、会議室のテーブルに複雑な影の模様を落としていた。

田島役員が切り出したのは、会議が始まって二十分ほど経った頃だった。

「うちの広告は一辺倒すぎるんだ」

彼はそう言って、テーブルの上に置かれた企画書をゆっくりと閉じた。

「なにか、こう、哲学のつまったコピーを入れたい」

哲学のつまったコピー。僕はその言葉を頭の中で反芻してみた。哲学とコピー。コピーと哲学。悪くない組み合わせだ。でも、どこか危険な匂いもする。哲学を語り始めた人間は、往々にして止まらなくなるものだ。特に会議室という密室では。

案の定、田島役員の目は遠くを見つめ始めていた。ヒートアップの兆候だ。僕は軽く咳払いをして、お茶を一口飲んだ。誰かが制御しなければ、この会議は日没まで続くだろう。

そのとき、飯森次長が手を挙げた。彼は常に合理的で、無駄を嫌う男だった。データと論理を愛し、感情的な議論を避ける。ある意味、この会社で最も信頼できる人物の一人だった。

「僭越ながら」

飯森次長は前置きした。彼はいつも「僭越ながら」と言ってから話し始める。

「なにか、参考になるコピーはございませんか?」

田島役員は少し考えた。窓の外でカラスが一羽、鳴いた。

「うむ。うん?......た、たとえば」

彼は言葉を探すように天井を見上げた。

「しゃかりきコロンブス、みたいな?」

会議室が一瞬、静まり返った。それから、ざわざわと小さなさざ波のように音が広がり始めた。

しゃか?なに??ころ?なに??

隣の席の後藤さんが眉をひそめている。向かいの山田課長は首を傾げている。ほとんどの人間がピンときていないようだった。

でも、僕の頭の中で、何かが鮮やかに繋がった。光GENJI。パラダイス銀河。昭和の終わりの、あの甘酸っぱい時代。ローラースケートを履いた少年たちが、キラキラと輝いていた時代。そして、あの天才的なコピーを書いたチャゲ。じゃなくてアスカ。

やるな、と僕は思った。アホのくせに。

飯森次長が会議室のざわめきを制するように手を挙げた。彼の口元には、抑えきれない笑みが浮かんでいた。

「田島役員、それ、パラダイス銀河の......」

また、さざ波が起こった。今度はさっきより大きい。田島役員の顔が少し赤くなった。彼は恥ずかしそうに、でもどこか誇らしげに、肩をすくめた。

このままではいかん、と僕は思った。なにがいかんのかは正確にはわからないが、とにかくいかん。この空気はまずい。誰かが笑い出せば、会議は収拾がつかなくなる。でも、無視すれば、田島役員のプライドが傷つく。そして、傷ついたプライドは、次の会議で必ず復讐してくる。

僕は万年筆を置き、ゆっくりと立ち上がった。

「みなさん」

僕は言った。

「田島役員のお考え、すばらしいと思います」

何人かが僕を見た。

「コピーには音の力が大切です。我々はあまりにも説明的な名前しか考えなかった気がしています」

それは本当だった。我々の広告コピーは、機能を説明し、特徴を列挙し、メリットを並べる。それはそれで正しい。でも、音楽がない。リズムがない。心に引っかかる何かが、ない。

「ですので、どうでしょう。この感覚が熱いうちに、皆さんで概念を共有いたしましょう」

僕は提案した。

「では、このノリでのコピーをひとりずつ発表していきましょう」

飯森次長が目を丸くしている。後藤さんが小さく笑っている。田島役員が嬉しそうに頷いている。

「では、僭越ながら、私から」

僕は深呼吸をした。

「がちむちガウディ」

三秒ほどの沈黙があった。それから、誰かがクスッと笑った。

「では、中島専務、どうぞ」

中島専務は一瞬困惑した表情を見せたが、すぐにニヤリと笑った。

「あー、うん、ぶちあげブッダ」

もう流れはできた。構造が見えた。おもしろワード+有名人。シンプルで、馬鹿馬鹿しくて、でもどこか魅力的な公式。

「では、佐々木課長、お願いします」

佐々木課長は完全にパニックになっていた。

「えっ、えっ、ちょ、まっ......あっ、コスパソクラテス」

会議室に笑いが広がった。悪い笑いではない。温かい、仲間同士の笑いだった。

「わびさびソクラテス、とかもいいですね」と後藤さん。

「ときめきトルストイ」と山田課長。

「どきどきドストエフスキー」と営業の鈴木。

「ふわふわフーコー」

「もちもちモーツァルト」

「さわやかサルトル」

言葉が次々と飛び交った。ナンセンスで、意味不明で、でも不思議と心地よいリズムがあった。僕らは真面目な顔をして、真剣に馬鹿なことを言い合っていた。

気がつけば、会議は予定時間を三十分もオーバーしていた。

「いやー、白熱したなぁ」

田島役員が満足そうに言った。

僕らは会議室を出た。廊下には夕暮れの光が差し込んでいた。飯森次長が僕の肩を叩いた。

「よい誘導だったよ」

「いえ、僭越ながら」

僕は笑って答えた。

それから僕は自分の席に戻り、モレスキンのノートを開いた。そこには今日生まれた言葉たちが、几帳面な字で並んでいた。がちむちガウディ。ぶちあげブッダ。コスパソクラテス。

これらの言葉が、実際に広告コピーとして採用されることはないだろう。でも、それでいいのだ。大切なのは、この午後、この会議室で、僕らが一緒に何かを創造したということだった。

窓の外では、カラスがまだ鳴いていた。
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次長から連絡来て退職届いつ持ってくるー?
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