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けんじ

けんじ

千利休(せんの りきゅう)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍し、無駄を削ぎ落とした独自の茶の湯である「わび茶」を大成させた茶聖(ちゃせい)です。
織田信長や豊臣秀吉といった天下人の「茶頭(さどう/茶の湯の師匠)」を務め、単なる文化人にとどまらず、政治の裏舞台でも絶大な影響力を持つフィクサーとして活躍しました。
千利休の生涯や功績、有名なエピソードについて分かりやすく整理しました。

3つの大きな歴史的功績
「わび茶」の完成:豪華な中国製の茶器を尊ぶ当時の風潮に対し、国産の簡素な器や不完全なものの中に美を見出す精神性を確立しました。
政治的影響力:茶会を大名たちの社交・交渉の場としてプロデュースし、秀吉の側近として天下統一を裏から支えました。
「三千家」の礎:利休の茶道は孫の千宗旦へと受け継がれ、現在の「表千家」「裏千家」「武者小路千家」へとつながっています。 [1, 2, 3]
利休の美学が伝わるエピソード
朝顔の茶会:庭に咲く満開の朝顔をすべて摘み取り、茶室の床の間に「たった一輪」だけを生けることで、秀吉に究極の美を魅せました。
にじり口の考案:茶室の入り口をわざと狭く低く作り、身分の高い武士であっても刀を外し、頭を下げて入る「平等の空間」を創造しました。
待庵(たいあん):無駄を極限まで削ぎ落とした「わずか二畳」の国宝茶室を作り、客と主人が心を通わせる空間を突き詰めました。 [1, 2]

衝撃的な最期と切腹の謎

天下一の茶人として栄華を極めた利休ですが、1591年に豊臣秀吉の逆鱗に触れ、69歳で切腹を命じられました。
その理由は諸説あり、現在も明確な真相は分かっていません。

コトー先生の千利休は楽しみです😊

京都の星京都の星
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norimi🌌

norimi🌌

戦後日本の裏面史を紐解くとき、目にする公式の年表はただ淡々と歴史的事実を並べているように見える。しかし、その「日付」の配置を精査したとき、そこには計算されたかのような整合性と、皇室の祝祭日をめぐる符号が浮かび上がってくる。

一、 皇室の祝祭日と戦後裁きのカレンダー
まず直視しなければならないのは、東京裁判の開始から戦後憲法の施行、そして戦犯の処刑に至るまでの重要な節目が、なぜか日本の「皇室にまつわる記念日(天長節や旧・祝日)」のピンポイントに重なり合っているという事実である。

1. 4月29日:昭和天皇の誕生日
1946年4月29日:昭和天皇の45歳の誕生日に、東京裁判のA級戦犯28人に対する起訴状が正式に提出された。

1952年4月28日:その6年後、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本の占領が終了(その翌日である4月29日が再び昭和天皇の誕生日となる)。

2. 11月3日:明治天皇の誕生日(明治節)
1946年11月3日:戦前の祝日である「明治節(明治天皇の誕生日)」のその日に、大日本帝国憲法に代わる「日本国憲法」が公式に公布された。

3. 12月23日:皇太子・明仁親王の誕生日
1948年12月23日:皇太子の15歳の誕生日に、東條英機らA級戦犯7人の絞首刑が執行された。さらに、その翌日である12月24日には、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一らが「不起訴・釈放」され、巣鴨の門をくぐって社会へと復帰していく。

さらに、この日付の網の目を縫うようにして「5月3日」というもう一つの強力な軸が走っている。
1946年5月3日:東京裁判が開廷。
1947年5月3日:そのちょうど1年後の同日、「日本国憲法施行」を迎える。

二、 浮かび上がってくる「戦後のタイムライン」
これらを一つの連続した年表として再構築してみると、その配置の緻密さに息を呑む。
1946年4月29日(昭和天皇誕生日)
A級戦犯起訴
↓ (わずか4日後)
1946年5月3日
東京裁判開廷
↓ (約半年の空白)
1946年11月3日(旧・明治節/明治天皇誕生日)
日本国憲法公布
↓ (ちょうど半年後)
1947年5月3日
日本国憲法施行
↓ (約1年7か月後)
1948年12月23日(皇太子明仁15歳誕生日)
東條英機ら7人処刑
(翌日12/24:岸信介、児玉誉士夫、笹川良一らが釈放)

4月29日 → 5月3日 → 11月3日 → 5月3日 → 12月23日。

東京裁判という裁きのプロセスと、戦後レジームの根幹をなす憲法の誕生、そして指導者たちの処刑と釈放という「生と死の分水嶺」が、なぜこれほどまでに特定の皇室関連の日に縫い合わされているのか。

三、 なぜ「11月3日」は憲法公布日に選ばれたのか
数ある日付の中でも、特に立ち止まって吟味する価値があるのが「11月3日」である。
現在は国民の祝日である「文化の日」として知られているが、戦前においてこの日は明治天皇の誕生日であり、1927年(昭和2年)から敗戦に至るまで「明治節」という極めて重要な国家的祝日であった。

大日本帝国憲法の下で、天皇の権威と国家のアイデンティティの象徴であったその日に、あえて旧体制を解体し、国民主権を掲げる「新しい日本国憲法」を公布する――。
この選択が「単なる偶然の産物」であったと片付けるのは、あまりにも歴史を舐めすぎているかもしれない。GHQ(占領軍)側が意図的にこの日を選び、旧体制の象徴の日に新体制の誕生を重ね合わせることで、歴史の断絶と新たな支配の神話を演出したのか。あるいは、日本側の法制局や政府関係者が、行政的な手続きの都合と折衝しながらも、歴史的な重みを持つこの日を意識的に選定せざるを得なかったのか。

四、 処刑と釈放が交錯する「12月23日」の劇薬性
そして、さらに不気味なほどの劇的なコントラストを見せるのが1948年12月23日である。
この日、皇太子の誕生日の祝祭ムードの裏で、巣鴨プリズンの絞首台の露と消えた7人のA級戦犯たちの命。そして、そのわずか数時間後、あるいは翌日の12月24日に、戦争責任の中心にいながらも奇跡的に「不起訴・釈放」の判決を受け、のちに戦後日本の政治・経済・闇社会の裏面を牛耳ることになる岸信介、児玉誉士夫、笹川良一らの仲間たちが、一斉に自由の身となった。
一つの血脈の誕生日に、片方では「過去の清算としての処刑」が行われ、もう片方では「未来の工作員たちの解放」が執行される。この二つの出来事が同じカレンダーの枠内にすっぽりと収まっていることは、歴史の残酷な皮肉か、あるいは周到にデザインされた「通過儀礼」のようにも見える。

五、 偶然か、演出か──次に見るべき境界線
猪瀬直樹氏をはじめとする多くの先駆者たちも、この「誕生日の前後に仕組まれた主権回復や政治的節目」の不自然さに注目し、その背景を追ってきた。しかし、サンフランシスコ平和条約の発効日(4月28日)のように、批准書の寄託という国際法上の厳密な法的手続きに由来するものもあり、すべてを「GHQがカレンダーを操った陰謀」と断定することはできない。
だからこそ、私たちが次に進むべき道は、「一致の数に酔うこと」ではない。
GHQや日本政府の残した公文書、当時の法制局の記録から「なぜ、あの日のその時間に、その決定が下されなければならなかったのか」を、一件の例外もなく、書類の端から端まで突合して検証することだ。
その作業の果てに、もし「意図的な象徴政治」の痕跡が発見されたとき、私たちは初めて「戦後というシステムが、どのようなカレンダーの呪縛の上に建てられたのか」という本当の真実に触れることになるのかもしれない。
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こあじ

こあじ

【こあじさんの思想】バチコリ長文編

「粗悪なポジティブ」と「良質なネガティブ」

私は、ポジティブな人や、前向きに物事を考えることが嫌いなわけではない。

前向きになれることは、とても素敵なことだと思う。
希望を持つことも、未来を信じることも、時には人を救う力になる。

ただ、私はひとつだけ疑問に思う。

「ポジティブであれば、それだけで人を救えるのだろうか」

私は、そうではないと思っている。

むしろ、相手の状態を見ずに投げかけられる「とりあえずのポジティブ」は、時として人を傷つけることがある。

私はそれを、便宜的に「粗悪なポジティブ」と呼んでいる。

例えば、精神的に弱っている人に、

「大丈夫だよ」
「もっと前向きに考えよう」
「健康な心でいようね」
「きっと良いことがあるよ」

と声をかける。

もちろん、そこに悪意があるとは限らない。
むしろ「励ましたい」「元気になってほしい」という善意から出ていることも多いと思う。

けれど、言葉を受け取る側が今どこにいるのかを考えずに差し出されたポジティブは、時として「あなたも私が考える前向きな状態になりなさい」という押しつけになってしまう。

「健康な心でいようね」と言われたとき、私はふと思った。

では、健康な心とは何なのだろう。

落ち込まないことなのか。
不安にならないことなのか。
いつも前向きでいることなのか。
毎日楽しく過ごせることなのか。
働けることなのか。
人に迷惑をかけないことなのか。

その具体的な定義を尋ねても、明確な答えは返ってこなかった。

それなのに、「健康な心」という言葉だけが正しいものとして置かれている。

そこに私は違和感を覚えた。

人間なら、落ち込むこともある。
不安になることもある。
何もしたくない日もある。
未来が怖くなることもある。

それらをすべて排除して「前向きで健康な心」にならなければならないのだとしたら、そもそもそれは誰のための健康なのだろうと思う。



私は「粗悪なポジティブ」という言葉と対比させるために、「良質なネガティブ」という言葉を使っている。

これは、ネガティブ思考なら何でも良いという意味ではない。

「どうせ無理」
「何をやっても駄目」
「全部終わりだ」

と考えて思考を止めてしまうのであれば、それもまた自分を苦しめるものになる。

私が言う「良質なネガティブ」は、現実を直視するためのネガティブだ。

「今回はここで失敗した」
「自分はこういう状況になると無理をしてしまう」
「このまま続けたら、また同じことが起こるかもしれない」
「では、次はどこに予防線を張ればいいだろう」

そうやって、自分にとって都合の悪い現実から目を逸らさず、その先を考える。

それは一見するとネガティブに見えるかもしれない。

けれど、私はそのほうがずっと建設的な場合があると思っている。

無理をして、自分に嘘をついて、「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせて、現実から逃げるように前向きになったとしても、抱えている問題そのものが消えるわけではない。

むしろ、無理やり蓋をしたものは、どこかで蓋が外れたときに、より深いところまで自分を連れていってしまうことがある。

それならば最初から、

「今、自分は苦しい」
「これは自分には難しい」
「このままでは危ない」

と認める。

そのうえで、

「では、どうすれば同じことを繰り返さずに済むだろう」
「自分の性質を考えたとき、どんな予防線を張れるだろう」

と考える。

私は、そのほうがいくらか現実的で、建設的だと思っている。



だから私は、

「ポジティブが悪く、ネガティブが良い」

と言いたいわけではない。

そういう極端な話ではない。

ポジティブが人を救うことだってある。
誰かの言葉に希望をもらうことだってある。
前を向くことが必要な瞬間だってある。

ただし、ポジティブは万能ではない。

傷口があるからといって、消毒液をぶっかければいいわけではない。

消毒液そのものが悪いのではない。
必要なときには必要なものだ。

けれど、傷の状態も、深さも、相手の痛みも確認せず、

「消毒することは良いことだから」

と、とにかくかければいいわけではない。

ポジティブも同じだと思う。

大切なのは「ポジティブかネガティブか」ではなく、

「今、この人に必要なのは何なのか」

を考えることではないだろうか。



特に、精神的に弱っている人や、自ら「今つらい」と表面に出した人に対しては、それを意識してほしいと思う。

自分から弱っていることを見せるのは、簡単なことではない。

「助けてほしい」
「今はつらい」
「もう限界かもしれない」

そうやって、普段なら隠しているものをようやく表に出した。

それは、その人にとって一種のSOSかもしれない。

そのSOSに対して、

「もっと前向きになろう」
「きっと大丈夫」
「考え方を変えればいい」
「幸せになろう」

と返す。

それによって、その人が救われる場合ももちろんある。

でも、そうではない場合もある。

そして私は、そのSOSを「自分が善い人間であるための材料」にしてほしくないと思う。

「励ましてあげた」
「希望を与えてあげた」
「元気づけてあげた」

という、自分自身の善意や満足のために、誰かがやっとの思いで表に出した苦しみを利用してほしくない。

善意なら何をしても許されるわけではない。

相手のためにしたことが、相手にとって損失になることだってある。

だから、誰かに影響を与える立場になったときこそ、「何かしてあげなければ」と焦るのではなく、

「これは本当に相手のためになるだろうか」

と考えてほしい。

利益を与えられなくてもいい。

何かを解決できなくてもいい。

ただ、

「少なくとも、この人をこれ以上傷つけることにはならないだろうか」

と考える。

それだけでも、言葉の選び方はきっと変わる。

アドバイスをする前に話を聞く。
励ます前に、相手が何を求めているのか確認する。
無理に希望を与えず、「それはつらかったね」と受け止める。
何もできないなら、何もしないという選択をする。

そういうことも、十分に「寄り添う」ということだと思う。



私は、前向きになることを否定したいわけではない。

ただ、

「前向きであることが正しい」という価値観を、弱っている人にまで押しつけないでほしい。

幸せの形も、心の健康の形も、生き方も、人によって違う。

誰かにとっての希望が、別の誰かにとっては負担になることもある。

だからこそ私は、

「ポジティブだから良い」
「ネガティブだから悪い」

という単純な尺度ではなく、

その言葉は、相手の現実を見ているか。
その人の意思を尊重しているか。
その人にとって必要なものなのか。
少なくとも、これ以上の損失を生まないか。

という視点を持っていたい。

「救ってあげる」よりも、
「これ以上傷つけない」。

「前向きにさせる」よりも、
「今ここにある苦しみを、苦しみとして認める」。

「正しい言葉を与える」よりも、
「その人が今いる場所を理解しようとする」。

私はそのほうが、人に対して誠実なのではないかと思う。

希望は、押しつけるものではなく、必要な人が必要なときに手に取れるものであってほしい。

そして時には、希望を与えるより先に、

「今はつらいよな」

と隣に座ることのほうが、ずっと優しいのだと思う。
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ふうきゃ

ふうきゃ

また中毒者手前になってきてるぅぅう
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なな

なな

最近、ホストに騙されて地獄のような人生を歩む事になってしまうという事件が社会問題になっています。
このようなニュースを見て、騙す方も悪いが、騙される方もと言われてしまうことがあります。気の毒ではありますがその通りです。
あまりに理不尽ではないかと思うかもしれませんが、すべての女性が騙されるわけではないからです。
でも、なぜ騙されてしまう女性が存在するのか

それは自分の存在価値がわからないために、自分を好き、愛していると言ってくれる存在を求めてしまうからです。
誰かに愛していると言われるのは一番手っ取り早く自分に対して愛を感じることができる方法です。だからこそ、そこに手を出しがちですが、そこには大きな落とし穴があります。
それはその人に依存せざるを得ない状況に陥るからです。
そのためにその人と出会うためには、お金が準備できないといけない、自分を過剰に犠牲にせざるを得ない、愛されるために自分を殺さなければならない奴隷のような存在になってしまうのです。
そして人間は不思議ですが、そのような生き方をしている人に対しては雑に扱って良いと思うので、さらに大切にされないようになり、自分に対しても雑に扱うようになるのです。

本当に愛してもらいたいのであれば、苦労は多くするにしても自分をまず愛すること、大切にできるようにならなければなりません。

自分を愛するとは?
健康に気を使うこと、美容に気をつけること、やりたいことを全てすること…
やりたいことを全てすること、すなわち、欲望のままに従うことはある程度の欲であればよいですが、それを超えると自分を逆に殺すことになりかねません。
最近の事件は、まさに愛してほしいという欲が度を超えてしまったために発生している事件です。
ということはその欲をコントロールできるようになることが被害を防ぐことができること、また本当に愛されるための秘訣なのです。

欲をコントロールできるようになる秘訣は知恵を持つことです。ただの知識ではなく、人間に対する心や思想、歴史に対する人文科学の知識です。
とはいっても勉強は苦手、難しそう…と感じる人もいるかもしれません
そのため、簡単にわかりやすく教えます。
ボランティアで活動しているので、料金は頂いておりません。

興味ある方はお気軽にお声がけください。

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ミュー

ミュー


#見た人強制の毒舌恋みくじ

試しにやってみたけど、なんとも言えない感じだった笑
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雪王

雪王

あの眼鏡ハゲ若作り親父やら眼鏡中退デブやら

芸人ほどのトークスキルもないくせに適当に毒舌やりよるから

ただ単に鬱陶しいだけやしマジで嫌い
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