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       ガル伴蔵

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ハズビンホテルの話

ルシファー無双展開を求めている層に「本当にそれ見たいんか!?」と問いただしたい

ルシファーは圧倒的な力を持っているのが前提で、アラスターはじめ上級悪魔を殺すのなんかおそらく服の埃を払うくらい簡単なのが前提なんですよ(2期のパワー見れば分かるけど)
だから、「自ら希望を見出し味方についた人間が、どれだけ醜いものか身をもって知る」「それらの害虫を殺すことすらできない中で見続ける」……という罰が成立する
我々からしたら可愛い101匹ワンちゃんとの共同生活♡と夢見ていたが催眠が解けたらそれ全部虫だった、んでそれ増え続ける、ってくらいな感じだと思うんですよね、今のルシファーの精神状態って(じゃなきゃエクスターミネーション許可せんし引き籠らん。)
その上で、やっと大人になり始めた娘が「虫さんたちの命を大事にしたい!」って言ってたらそりゃ父親個人としては嫌だけどできる限りは手伝いたいでしょ?でも自分はもう世話する気もないんです。だってもう可愛くもなんともない虫さんだから。
Voxもアラスターもルシファーからしたら「かわいいかわいい娘が飼育しようと頑張ってる変な虫」でしかないんですよ。
その中で娘が大好きで、娘に好かれていたいお父さんがやることは、まず虫を殺すことではないですよね?(まあそもそも殺す手段も封じられているが、、)
お父さんが徹底管理するのも違いますよね?「犬飼いたい」「虫の世話したい」は過程を担うのが目的なんだから、最初から全部完璧な虫をぽいと渡されても意味ないですよね?娘喜びませんよね?って話なんですよ。
だからルシファーはヴァギーに「チャーリーがそれを望んでるから」と言われてまんまとVoxに無策で怒鳴り込んでいくんですよ。だってそもそも虫が自分をどうこうできるなんて思ってないし、普段何の世話もしないくせにここぞって時に急に怒鳴る父親みたいなもんですよね。

話が逸れましたが、つまるところそもそもルシファー無双をハズビンに求めるのはお門違いも良いところで、ルシファーとハズビンの世界観を遵守するなら選択肢すら浮かばないはずなんですよ。
だってそれやったらハズビンホテルそもそも根幹の「罪人たちの自発的な悔恨と浄化」丸潰れして、作品の意味自体潰れますけどほんまにそれでええんねんな!?!?という話なんですよね。
ハズビンは人間界と同じで、キャラの関係性を下卑た笑みを浮かべながら咀嚼する作品なんですから、安易に俺TUEE展開を求めないでほしい、、本日はバトルではないんですから、、(という狭義的な作品理解が作品の多様性と解釈の幅を狭めていくんですよね、、、ごめんなさい、、。)
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ゆうのすけ・A

ゆうのすけ・A

こんばんは

散髪に行きました。眉毛も整えてもらって男前。でも来週でも良かったかもなー。

息子と娘のためのケーキを予約しに行きました。チーズケーキが娘の希望だったので、ホールのチーズケーキを頼んでやろうって今日行ったけど、ショーケース見てたらチーズケーキ3種類あってそれなら色々食べれる方が良いかと方針転換。基本のチーズケーキ✕2とこの時期のチーズケーキ2種類で頼んできた。
でもホールが良かったかな〜?

馬券を買いました。
いつもは宝くじ感覚で買うWIN5を100円買ったあとに、なんか当たりそうな気がして追加入金してガッツリ買った。結果は5レース中1レースしか当たらんかった。腰から砕けた。

なんかモヤモヤしてる。

#悔恨
#クヨクヨサタデー
#ブレる
#ゆれる
#ずれる
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G.W.D

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

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つきん

つきん

聖地巡礼だし、悔恨を伝えたかったし。蔦重も後悔してたものね。#大河べらぼう 今後の発注もして帰るww
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たるお

たるお

『情念論』における感情の一覧を整理しよう。
デカルト的な基本的な感情は、

①「驚嘆」―対象に意識を向けさせるもの
②「愛」―自分にとって善と見なした対象を、自分と結び付けて考えさせるもの
③「憎しみ」―自分にとって悪と見なした対象を、自分と切り離して考えさせるもの 
④「望み」―まだない善いものは追求し、まだない悪いものは避けるよう、行動を促すもの
⑤「喜び」―過去または今、善いことが自分のもとにあった/あることから生じる快さ
⑥「悲しみ」―過去または今、悪いことが自分のもとにあった/あることから生じる不快さ

の六つである。そのうち、

 「驚嘆」の段階で、対象が重要か重要でないかの評価に伴い意識を向ける度合いが変わる。重要とされる場合「敬意」、重要とされない場合「蔑み(軽視)」が生じる。
 唯一自分次第のことである善への意志に基づいてのみ自分を評価して、敬意を抱くことが「高邁」、自分次第でない外的なことに基づいて自分を評価することが「傲慢」である。
 人と比べて自分自身に蔑みを抱くことが「卑屈」である。他人よりも自分が優れていると見なさないことが「謙虚」である。
 他人に対して、相手を重要だと見なして好まれようとするのが「尊敬」、相手を特に重要だとは見なさず好まれようともしないのが「侮蔑」である。

 「希望」は、善いことが手に入りそうだ・悪いことが起こらなそうだと喜んでそのための行動に移すことである。
 「不安」は、善いことが手に入らなそうだ・悪いことが起こりそうだと悲しんで行動に移せないことである。
 「希望」と「不安」は常に一緒にある。
 「不安」なき「希望」は「安心」となる。
 「希望」なき「不安」は「絶望」となる。
 自分が持っているものを失うことへの「不安」は「警戒心」となる。
 自分がしようとしていることが善くないんじゃないかと行動に移せない「不安」が「無決断」である。
 
 望むことを行うよう強く促すのが「勇気」である。困難なことがあってもそれを乗り越えて目的を達成しようとする「勇気」が「度胸」である。
 他の人も出来ている・手に入れているからという理由で、やる気になるのが「競争心」である。
 望むことがなかなか行えないのが「臆病」である。硬直して望むことが行えないどころか、悪いことに抵抗すら出来なくなるのが「恐怖」である。
 自分がしたこと、していることが善いことではないんじゃないかという疑いから自信をなくすのが「良心の咎め」である。

 何か悪いことや欠点が、それに相応しいと思っている他人に生じるのを見た時の喜びが「嘲り」である。
 何か悪いことを人と結びつけずに、それ自体取り出して笑いの対象にするのが「穏やかな揶揄(品のある冗談)」である。
 何か善いことが、それに相応しいと思っていない、あるいは相応しいと思っている時でも、他人に生じるのを見た時の悲しみが「嫉妬」である。
 何か悪いことや欠点が、それに相応しくないと思っている他人に生じるのを見た時の悲しみが「憐れみ」である。

 誰かが主に他人に良いことをしているのを見た時に感じる愛が「好意」である。
 誰かが自分に良いことをした時に感じる愛が「感謝」である。その反対が「恩知らず」である。
 誰かが主に他人に悪いことをしているのを見た時に感じる憎しみが「憤慨」である。
 誰かが自分に悪いことをした時に感じる憎しみが「怒り」である。

 他人の称賛に由来する自分についての喜びは、「誉れ」である。
 他人の非難に由来する自分についての悲しみは、「恥」である。
 これらに動かされないことが、「恥知らず」である。

 かつて喜びを与えたものが今ではそうではなくなることによる悲しみが「辟易」である。
 かつて喜びを与えたものをなくなり、二度と手に入らないことによる悲しみが「悔恨」である。
 かつて悲しみを与えたものがなくなったことによる喜びが「安堵」である。
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たるお

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かつて喜びを与えたものが、しばらくして嫌になる感情が、辟易(dégoût)である。一方、かつて喜びを与えたものを思い出して、もう手に入らないと感じる時には、悔恨(regret)が生じる。また、かつて悲しみを与えたものがなくなったと感じる時の喜びが、安堵(allégresse)である。触れはするものの、デカルトはこれらの感情については特に注目していない。
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