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鮟鱇

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だまされるな! #共産主義 の本質は赤い悪魔だ。
https://web.archive.org/web/20200505102813/https://news.infoseek.co.jp/article/tocana_59578/
(処刑時に) 何を言い出すかわからないから樫の木を丸く削ったボールを土足で口中にねじ込む。歯が折れるがボール両端のヒモを頭の後ろでギュッと縛って布をかぶせる
028🌙1769427413
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エントロピー

エントロピー

何故私は「両端、と、両極端しか。興味ないか?」

数字の取り扱うスケールと単位と何をイメージしますか?についてもヒントがあります

♾の前は無量大数です、どんどん大きくすなわちこれは「宇宙そのもの」
では数字の最小マイクロ単位はというと
いわゆるこれ以上ミクロは取り扱えない定数

これは涅槃「つまり悟りな訳」

涅槃寂静 (ねはんじゃくしょう) とは、\(10^{-24}\)または\(10^{-26}\)を意味する、と紹介される事のある漢字文化圏の小数の単位である。

という事は取り扱う宇宙の数学とスケールなんなら数学のモーメントや、電卓の単位は…

物理学、無量大数 アインシュタイン ♾
量子力学 どんどん切り刻んで小さすぎて
見えませんの単位のスケールと範囲を取り扱います、なので量子力学の方はというと…

涅槃寂静 (ねはんじゃくしょう) とは、\(10^{-24}\)または\(10^{-26}\)を意味する、と紹介される事のある漢字文化圏の小数の単位である。という単位、さらにいうとこれは精度になります。より取り扱いが「注意極まりない」
と思うでしょうが
「万能安定」がつまりこちらの単位な訳
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リーヌシュカ⛄️

リーヌシュカ⛄️

可愛い子たち😌
Эти милые дети, те, что по бокам, — близнецы.
(両端の子達は双子です、同じ造形の子です、お洋服と瞳の色、髪型を変えています🍀*゜)
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ことりとり

ことりとり

怖いものからの猫になってその怖いものを追いかけて川で倒した。
その後、川から落ちて人になってた。
知らない男の子が隣りにいて、私は魔法を使えるみたいで、確認の雷を落としてた。
自分は何者か分かっていて、歩きながら男の子と話してた。
あやかし?を108匹倒すことで願いを叶えられるのだと。
気付いたらどこかの建物の中に居て、不思議なことが起こるのだと、店主と話をしていた。
色鉛筆を買いに来るのだが、その客は買わずに?去っていくらしい。
店のテーブルには短くなった色鉛筆。
この辺に画家はいるのかと尋ねると、店主は居ないと答えた。
男の子は色鉛筆を持ちながら「画家…」と呟いた。
1本の両端の削られた色鉛筆を持ちながら店の外に出ると、その子を見つめる老人がいた。
男の子は震える手でその老人に色鉛筆を渡した。
老人は微笑みながらテラス?の方へ歩いていった。
男の子はその老人について行った。
テーブルのある椅子へ老人と男の子は座った。
男の子は涙を堪えていた。
老人が寒くないよう、ブランケットなどをかけてあげていた。
男の子の目には今にもこぼれ落ちそうなほど涙をためていた。
老人は男の子にありがとう、と微笑んだ。
その老人は何年か前に亡くなったはずのその子の祖父だった。
祖父はあやかし?となっていた。
男の子が大好きな祖父だった。
涙がこぼれた瞬間に目が覚めた。

怖い夢だったけど、目が覚めた時涙が出てた。
大好きで、また会いたいと思っていた人が目の前にいた。
その感情が流れ込んできた。
不思議な夢だった。
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エントロピー

エントロピー

中原中也はだしても見沢知廉は、出さないからね

最高峰の学問マスターと仏陀とバブみと
ヤンチャのルーツと「究極のプッツンや規格外」の両端を担う事に学問してよかったゼーと
「同時にクソ真面目くんら」が抜けてるとこを書いてるつもり、国民には期待しない、知らないに決まってるからだね.

見沢さんは10代の頃から左翼活動に参加、まもなく右翼に転向。新右翼の統一戦線義勇軍でイギリス大使館火炎瓶ゲリラ事件やスパイ粛清事件(殺人事件)を起こし、実刑判決を受けて12年の獄中生活を送る...
という、生涯が超絶にハードモードな人でした。

獄中で執筆した小説が新日本文学賞の佳作となり、出所後、作家デビュー。96年に出版された獄中手記の『囚人狂時代』(ザ・マサダ、1996年/新潮社、98年)はベストセラーとなり、97年に発表した『調律の帝国』(新潮社、1997年)は三島賞候補になりました。

しかしその後、長年の獄中生活によるPTSD、及び向精神薬の大量摂取などにより次第に心身に異常をきたし、2005年、マンションの8階から飛び降り死亡。享年46でした。

見沢さんとの出会いは新宿某所で行われたとあるサブカル系のイベントで、その少し前に文庫本の『囚人狂時代』を読んでいた私は、それまでの人生で見たことのない人種である見沢さんを前にめちゃくちゃ緊張したのを、まるで昨日のことのようにはっきりと覚えています。

それをきっかけに見沢さんとは手紙のやりとりが始まったのですが、まもなく私は見沢さんに文章の添削をしてもらえるようになりました。

当時見沢さんはその少し前に脳梗塞で倒れていて、明らかに心身ともに下り坂に入ってきていました。
それでもその頃はまだいくつもの雑誌の連載を持っていて、紙媒体の連載どころかデビューすらできていなかった私にとって、書く媒体を多く持つ見沢さんの立場はうらやましい限りでした。

ところが、見沢さんはいつも口癖のように私に言っていたのです。

「エンタメでいくら売れても仕方ない。俺は人を殺しているから、純文学で賞を獲らないとプラマイゼロにならないんだ」

申し訳ないけれど、当時の私にはその意味がまるでわかりませんでした。こんなにあちこちから引っ張りだこの人気作家さんなのにどうして? と思ったのです。
確かに賞を獲るのは良いことだけど、そのために身体まで壊してしまっては意味がないではないかと。

見沢さんは無頼派というのでしょうか、昔気質の作家さんで、多くの作家が執筆をPCに切り替えている中、あくまでも手書きの原稿用紙にこだわり(しかも稀代の悪筆)、太宰、三島、川端と、今からみれば常軌を逸した作家たちにならおうとしていたところがありました。

死ぬときは前のめり、が生前の口癖だったくらいで、人生は太く短く、国士が50過ぎて生きるなんてみっともない、などと常日頃から言っていました。(そして本当にその通りになってしまいました)

でも、これは後年いろんな作家さんを見ていてわかったことですが、ここまで極端に走らなくても賞を獲った作家さんは大勢います。
最初にエンタメから入って文学賞を獲った人なんて山ほどいますし、ましてや今はお笑い芸人さんやタレントさんが芥川賞を獲る時代。
良いものさえ書けばそれまでの経歴などまったく関係ありません。

けれど、私のその声が見沢さんに届くことはありませんでした。

賞フォビア(恐怖症)と私が名付けて見沢さんに笑われたその現象は、ほとんど見沢さんにとっては強迫観念に近いものでした。賞を獲らなければ自分には生きている価値がない、という思い込みは、死に至るまで見沢さんを支配し続けていたようです。

私は今でも思います。
なんで見沢さんは、純粋に文章を書くことを楽しむことができなかったのだろう、と。

私は見沢さんがエンタメモードの時の文章が好きでした。洒脱にして軽妙快活、善も悪も酸いも甘いも、すべて不謹慎すれすれの笑いのオブラートに包んでしまう。
その突き抜けた明るさに、社会の片隅に生きる人たちがどれほど救われたことでしょう。

あるとき私は見沢さんに正面きって聞いたことがあります。
エンタメの文章書いてるときって楽しい? と。
楽しい、と見沢さんは即答しました。でもそのあとにまた言いました。

楽しいだけじゃ文学はできない、あれは身を削って書いてナンボ、そうしないと人の心を鷲掴みにする文章なんで書けないんだ、と。

私は、作家の自死の多くは事故だと個人的には思っています。

ギリギリのところまでいかないと手にいれられないものはある。
見沢さんは常々そう言っていましたし、それはその通りだと思います。芸術の世界のことはよくわかりませんが、世の中にはそこまでしないと行けない高みがあることも知っています。

けれど、そのたびに胸のどこかに痛みが残るのです。
なんであんなに真面目に頑張っていた見沢さんが、死ななければならなかったのかと。

俺みたいなのが生きてるうちはまだこの社会も大丈夫なんだ、と生前見沢さんは笑いながら冗談めかして言っていましたが、その見沢さんが自ら命を断ってから今日で19年になります。

今日、そういえば命日だった、と思い立ってお墓参りに行ってきたのですが、午後になるのに他に誰も来た形跡のないお墓の前で、花を手向けて手を合わせているときに私はふと思いました。

見沢さんは、もっと楽な方へ逃げても良かったんじゃなかろうか。

もっと適当に、あいまいに、純文学がダメだとわかればてらいなく一時撤退、そしてほとぼりが冷めた頃にまたしれっと文壇に戻ってくる。

そういう図太さ、したたかさが、もっとあっても良かったんじゃないか。

これは私が見沢さんの亡くなった歳を過ぎて初めて見えてきたことです。

ひとつのことをいっしんに磨き、生涯かけて鍛錬する。
それは確かに素晴らしいことです。そんな風に人生を送ることができたらどんなに誇らしいことでしょう。
だけど、大抵の人間はそうはいきません。
ほとんどの人はなにかに挫折し、軌道変更をしながら生きてます。

私もそのひとりです。
長い間、ひとすじになれないことがコンプレックスになってきました。今もそうです。
今こうして文章を書いていても、おまえはなんでもっとひとつのことに真剣になれないんだ、という心の声が聞こえてきます。

でも年をとるにつれて、その声に愚直に従うことは命とりだと思うようにもなりました。

ひとつのことにいっしんになれる人の大半は、恵まれた人たちです。
才能や環境に恵まれた、そうすることを許された人たちです。

もちろん、異論はあると思うのですが、少なくとも見沢さんは環境に恵まれていたら、あのような最後を迎えることはなかったんじゃないかと思います。

青春期の大半を独居房の中で過ごし、出所してからも急に入ってきた大金の使い方がわからず、暮らしに困っても作家・見沢知廉であることを決して捨てようとはせず、職業を離れたひとりの人間としての逃げ道を作らなかった。

どうして、もっと楽に、ひとりの煩悩深い兄ちゃんとして、楽しく生きられなかったんだろう。

私もかつては賞を獲り、ベストセラーを出さなければ一人前の社会人にはなれないと思い込んでいました。
でも今は、そうなったらいいなとは思うけれど、もはやマストではありません。

「ねばならぬ」の危険性は見沢さんを見て学びました。自分のアイデンティティと職業を同一化してしまうことの危うさも。
なぜなら、これはうまくいっているときはいいですが、需要がなくなったら終わりだからです。

でもそういうとき、職業をはなれたひとりの人間として受け入れられるコミュニティをあらかじめいくつも作っておけば、仕事で挫折した時もそこまで自分を追い込まずに済みます。

私は紆余曲折の結果、その道を選びました。
書くことは軸にありますが、その他にも興味のあることは片っ端からなんでもやります。
不慣れな分野で要領を得ず、お前は邪魔だと年若の人に乱暴に突き飛ばされてもです。

そんな私を人は器用貧乏と呼ぶのかもしれませんが、そう言われても構わない。追い詰められて命を取られるよりはよっぽどましだと思います。

それが、私が19年前、師匠の訃報を聞いたときに学んだことです。

ただ、それでも。

私の家にはGIジョーの零戦版フィギュアという、おそらくマニアにとっては垂涎もののお宝に違いない人形が置いてあります。

それはいつだったか、見沢さんが「いつも世話になっているから」と嬉しそうに私にくれたものです。

この、インテリアとしてはことごとくどの部屋にもマッチせず、仕方なく納戸の棚の上に置いたまま何度もの引っ越しについてきているこの人形を、

表情の読めない顔をして凛と立ってるこの人形を、

私は未だに、捨てることも、売ることもできずにいるのです。
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邪智暴虐のコンドル

邪智暴虐のコンドル

痛みで意識ままなら無さすぎて医学アンチの前で薬飲んで👈すげえ!薬の量少なくなってきて不安ってことを伝えてしまった👈やべえ!んですけど、「薬でおかしくなってるんだ😠😭」されていまおわりです 騒いでる声がお互い家の両端にいても聞こえてくる
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やぎ

やぎ

なんか
コタツの両端に
麦茶の入ったコップが
2個。
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