共感で繋がるSNS

人気

関連検索ワード

新着

test

test

企業向けの「思考に関する講習」「マネジメントの考え方に関する講習」に全く意義がないと思うのはそういうことから
管理職候補の従業員にやるべきアプローチではないはずだ。そもそも原理的には選定する側の選定の仕方を教育すべきはずで、選定された側への思考や心理的な教育は、形式上でしかないし意義がない。そこにはなんの成長性もない。こういう意味のない出費に違和感しかない、腑に落ちない。
GRAVITY
GRAVITY
もちゃ

もちゃ

本人も無自覚・無意識の勇気ってあると思う。

本人にとっては自然に出ただけでも、普段あまり他者に詳細な内面を言葉にしない人が、DMのような他者には見えない場所で「これはこうで、私はこう思った」と具体的に伝えることは、私には勇気に見える。

特にそれが、関係を守るための無難な説明ではなく、関係が変質する可能性を理解した上で、それでも必要な共有として差し出されたものなら、なおさらそう思う。

恐らく本人の自己認識内では、それは「勇気」ではなく、

「誠実さ」
「信頼」
「必要な共有」
「大切に扱いたいという態度」

として分類されているのだと思う。

だから本人が「勇気ではない」と見ること自体は分かる。
でも、それは分類の違いであって、私の「勇気」という見立てと矛盾するものではないと思っている。

私には、それは誠実さを実行するための勇気のように見えた。

派手な勇気だけが勇気ではない。

多くの人は勇気を、

「怖いけど、覚悟して大きな行動をすること」
「危険や拒絶を承知で前に出ること」
「目に見える形で踏み込むこと」

として見ているのかもしれない。

でも私は、

「普段は表に出さない内面を、相手に見える形で差し出すこと」
「誤解される可能性がある言葉を、それでも相手に渡すこと」
「自分の認識や感情を、逃げずに具体化すること」

も、勇気の一種だと思っている。

本人が無自覚でも、自然に出していたとしても、そこにリスクがあるなら勇気は含まれる。
「言わない方が安全だけど、言わないままだと不誠実だと思った」くらいの感覚だったのかもしれない。

それでも、関係維持のための説明ではなく、関係が変質する危険を引き受けた上での必要な真実の共有なら、私はそれを静かな勇気と呼んでいいと思った。
GRAVITY
GRAVITY
はるぴちゃん😺

はるぴちゃん😺

そもそもわたしは連絡もらっても合わないと思ったらすぐ無視するし、ましてや会いに行くなんて面倒なことはしたくもないし既婚だからリスクあるし、会うってことはそれだけ特別なんすよ
GRAVITY
GRAVITY9
もっとみる

おすすめのクリエーター