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管理職候補の従業員にやるべきアプローチではないはずだ。そもそも原理的には選定する側の選定の仕方を教育すべきはずで、選定された側への思考や心理的な教育は、形式上でしかないし意義がない。そこにはなんの成長性もない。こういう意味のない出費に違和感しかない、腑に落ちない。

もちゃ
本人にとっては自然に出ただけでも、普段あまり他者に詳細な内面を言葉にしない人が、DMのような他者には見えない場所で「これはこうで、私はこう思った」と具体的に伝えることは、私には勇気に見える。
特にそれが、関係を守るための無難な説明ではなく、関係が変質する可能性を理解した上で、それでも必要な共有として差し出されたものなら、なおさらそう思う。
恐らく本人の自己認識内では、それは「勇気」ではなく、
「誠実さ」
「信頼」
「必要な共有」
「大切に扱いたいという態度」
として分類されているのだと思う。
だから本人が「勇気ではない」と見ること自体は分かる。
でも、それは分類の違いであって、私の「勇気」という見立てと矛盾するものではないと思っている。
私には、それは誠実さを実行するための勇気のように見えた。
派手な勇気だけが勇気ではない。
多くの人は勇気を、
「怖いけど、覚悟して大きな行動をすること」
「危険や拒絶を承知で前に出ること」
「目に見える形で踏み込むこと」
として見ているのかもしれない。
でも私は、
「普段は表に出さない内面を、相手に見える形で差し出すこと」
「誤解される可能性がある言葉を、それでも相手に渡すこと」
「自分の認識や感情を、逃げずに具体化すること」
も、勇気の一種だと思っている。
本人が無自覚でも、自然に出していたとしても、そこにリスクがあるなら勇気は含まれる。
「言わない方が安全だけど、言わないままだと不誠実だと思った」くらいの感覚だったのかもしれない。
それでも、関係維持のための説明ではなく、関係が変質する危険を引き受けた上での必要な真実の共有なら、私はそれを静かな勇気と呼んでいいと思った。

はるぴちゃん😺
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