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東方Project二次創作
宵闇奇譚
「第9話 敗因は・・・」

「都は美鈴の挑発に対して挑発で返したわね」

レミリアの問いに霊夢は首を傾げる

「挑発だといいんだけどね」

霊夢は都と組手とは言え一戦交えている
何か感じる物があるのだろう
都は軽くステップを踏みながら、左腕をブラブラ振っている
今にも行くぞ!行くぞと圧力をかけているようだが、美鈴はそんな都を見ながら微笑みすら浮かべている
都は黒流鞭を放つ
縦横無尽に乱打される左拳を美鈴は少しの動きで回避している
見切ったと言い切っただけはある
回避し切れない物は軽く弾いて捌いている
黒流鞭の弱点は一撃一撃が軽い事だろう
元からジャブのような攻撃だ
いくら威力があるとは言え、相手を制し行動の制限をかける事を目的とした攻撃でしかない
都はどんな意味で見切れないと言い切ったのか?
美鈴には余裕がある
都の乱打を回避し捌いている

「どうしたのですか?
見切れないのでしょう?」

「制空権・・・ですか?」

都は呟く
美鈴は「ほぅ」と関心した

「流石は宵闇さんの弟子
知っていますか」と笑顔だ

「それでも黒流鞭は見切れない」

またも都は黒流鞭の乱打
しかし美鈴は見切っている
回避し捌いている
都はそれでも強引に黒流鞭、焦っているようにも見える
その一撃を美鈴は待っていたかのように大きく力強く弾いた
都は反動で体勢を崩してしまう

「美鈴の勝ちね」と笑うレミリア
霊夢は「いいえ、都ちゃんの勝ちよ・・・多分ね」と返した
その瞬間、都の身体は一瞬ブレる
そのブレが収まると都は体勢を崩した格好ではなく、攻撃姿勢に戻っていた
「あっ・・・」と言う声ともに膝が崩れる美鈴
そう都はもう攻撃を終えている

「夜陰流黒流鞭・旋(つむじ)」

「何が起こったの?!」

レミリアが声を上げる
しかし美鈴は意識はあれど身体を動かせない
焦点の定まらない視線でレミリアを見ようとしているようだ

「これで詰みです」

ビー玉を握ったままの右手を美鈴に向けた
美鈴は動けない
咲夜は慌てて「勝者白城都!」と声を上げた

「一体何が起こったの?
都が一瞬ブレたかと思ったら、美鈴が崩れたなんて」

「黒流鞭で顎の先端を撃ち抜きました
そうすると脳が揺られて意識はあっても動けなくなります」

人間だろうが妖怪だろうが脳を持つ以上、その脳が激しく揺らされたら意思があっても身体は動けなくなる
それは当たり前の事だ

「でもどうやって攻撃したのよ・・・」

「私の能力は自分を加速する程度の能力で実際の時間で1秒間だけ、自分を加速できます
今回は調子が良かった
5倍くらい加速出来ました」

つまり1秒が都にとって体感で5秒になったのだ 
5秒もあれば崩れた体勢も立て直して反撃に転じる事も可能だ

「多分都ちゃんは黒流鞭と言う技で自分の最高速を美鈴に覚えさせたのよ
それで美鈴は見切れると判断した」

都は無言で頷く

「美鈴は都ちゃんの実力を理解して、勝てると確信した
しかしそれは都ちゃんの描いた図面
体勢を崩した瞬間、美鈴は勝ったと思って一撃で決めようと思った
攻撃に意識が行った時、それは一番反撃を警戒してないタイミング
しかし都ちゃんは加速して体勢を整えて反撃した」


「多分こう」と左腕をピンと伸ばして、身体をグルンと回転させる
その超高速の一撃が美鈴の顎を掠めて脳を揺らし戦闘継続をできない状態にしたのだ

「はい、それが黒流鞭・旋です
美鈴さんの敗因は私より強かった事
私は美鈴さんより弱い、しかしそれを私は美鈴さんより知っていました」

都は美鈴が本気になる前に勝負を決めに行った
美鈴が勝ちを確信した瞬間を、その瞬間を狙い済ました
いやより正確には美鈴が勝ちを意識するその瞬間を演出して、狙い済まし致命的な一撃を入れる
この隙は美鈴が都より強いから出来た物だ
実力が拮抗していては出来ない
美鈴の余裕があってこその致命的な一瞬

「黒流鞭は見切れません
何故なら本来は私の能力を使い、軌道も速度も自由自在に変化します
見切られる、弾かれる、ガードされる瞬間に私が加速し軌道もスピードもリーチも変化させる事が出来るからです
力が自分と同等、もしくは格下の場合はそう使いますが、圧倒的に格上の時は敢えて見切らせる事に意味があるとルーミアさんは言いました
霊夢さんの説明の通り、黒流鞭で私のMAXスピードを美鈴さんに覚えて貰い
見切れると判断して貰う事が最初のステップ
それを踏まえて美鈴さんに心理的余裕を持ってもらう事が次のステップ
実際に見切って貰い、勝利までの道筋を意識してもらう
それらを全てクリアして、私は焦って強引に攻めるフリをする
当然美鈴さんはそれを崩して決めに来る
勝ちを確信した瞬間ほどカウンターへの警戒は無くなります
警戒が無くなった所に望外の一撃、それこそ私に見いだせた唯一の勝機でした
逆に美鈴さんの場合、見切れないと判断したら出させない
つまり黒流鞭が使えない超至近距離の戦いにするか、当たらないミドルレンジで戦うかの二択になります
こうなったら私の勝機はほぼありません
見切った、見切れると誤解して貰った方が隙が生まれ、致命的一瞬を演出出来る可能性がある
それが私に与えられた勝機です
弱いならその弱さすら武器に変える
それが強き者から弱き者になった
ルーミアさんが辿り着いた答えです」

ようやく身体が動くようになってきたのか、美鈴が頭を抑えている

「でも!こんなの1発芸みたいなもんじゃない!
次やったら美鈴が勝つわ」

「はい!その通りです」

レミリアの言葉に都はあっさり答える
「へっ!?」レミリアは素っ頓狂は声を上げた

「これは試合ですからね
次は私が負けるでしょう
もう勝てるビジョンが浮かびません
格上が慢心を捨てるのです
弱い私が勝てる訳が無い」

都はここで一息入れた
レミリア達は息を飲む

「だから次戦うような事になれば、全力で逃げます
逃げに徹した私を捕まえる事は、幻想郷最速の射命丸文さんでも出来ないとルーミアさんか教えてくれました」

都は笑顔で言い切った
清々しい程の勝ち逃げ宣言である

「それでも戦わなければならない状況ならどうする気?」

レミリアが都に問いかける

「対峙した瞬間フル加速で指弾を乱射します
ルーミアさんは私の能力を真正面から正々堂々と不意打ちできる程度の能力と言っていましたから、望外から意表を突いた一撃はこれしかないです」

一度負けて慢心を捨てているからこそ、先手は譲らないだろう
逆に攻める気満々なはずだ
自分の方が実力は高い、それも圧倒的に強いと理解しているからこそ、下手な小細工されないように一瞬で決めようと考える
そこにいつ撃ったか認識できないスピードで放たれる超高速の指弾の弾幕
都の勝ち筋はこれしかないだろう
硬気功などで防がれてしまえば、都は負けを受け入れるか、逃げるしかなくなる
ルーミアは都に逃げる事は恥ではないと何度も言っている
勝てないなら逃げる、これは当然の考えだ
当然な事は恥では無い
弱い事は罪ではない
弱さを受け入れ、立ち向かう事こそ人の強さなのだから

「それでレミリアさん
協力してくれのですか?」

「協力してあげるわ
そこそこ面白かったし、宵闇に会ったら伝えてちょうだい
一度顔を出せとね」

レミリアにとって弱さは罪だった
そう言う世界で生き抜いて来た
それなのに弱さを武器に変えるなんて発想はレミリアにはなかったのだ

『面白い!面白いわ
宵闇と白城都・・・あなた達は必ず紅魔館に引き入れる』
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ビジョンは美女

ビジョンは美女

ネットでモテるよねって言われた時喜ぶけど後々考えたらネットでしかモテないってことやと思い1人泣いてるか弱いビジョン
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ワーク

ワーク

チームは、ビジョンや戦略を共有し、協力して目標を達成することが重要です。
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金魚

金魚

下書きは完成してるけどボツりそうだし、当日までに出来上がるビジョンが見えないので、今年の下記納めに渡会サンタとかどうかな ダメ?あ はい…
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めんちかつ

めんちかつ

法律、哲学、公務員:ある経営学科出身者の挫折と、西洋哲学への偏愛

1. 民主主義の原理と法律への違和感

 法律とは何かをGeminiに聞いてみると

「国会(国民の代表機関)の議決を経て制定される成文法の一形式」

と答えた。 
 だが私はこの回答に腑に落ちない、私は生まれてからこのかた国会に出席して法律を作ったり、議決にかかわったことはない。勝手に法律なんて作ってるんじゃねえよみたいな感じである。

2. 大学時代の専攻と法律の不在

 私は大学時代は経営学科だったので、法律をほとんど学んだことはなかった。 
 必修科目でも一般教養でも法律を学んだことはほとんどない、当時旧商法が会社法になり、話題は少しあったが、経営学科の授業にはほとんど問題とされることはなかった。

 今思うと高等教育機関の経営学科で最新の会社法を知らないというのが教授や講師たちも、ばれたくなかったのかもしれない。

 会社法の施行は2006年5月1日である、私の在学していた1999年から2002年はまだ旧商法の時代だったので、関係ないといえば関係なかったのかもしれない。

 しかし、自分たちは商法という我が国における商売の根本原則に従って教壇に立って、みずからは商売人でもないのに商売についてしったかぶりを語り、先生と呼ばれているのに、その根源である会社法の新設というのは知らんふりしておくべき事象だったのかもしれない。

3. 経営学から哲学への逃避と偏愛

 少し脱線したが、法律については商法や会社法はおろか、私は大学に入って毎日四時間以上の長大な通学時間に読書を本格的に始め、哲学やおもに人文書ばかり読むようになっていた。 思うに書物を読むというのはある意味自分の考えを著者に合わせたり、批判的に読むといっても、その本から思考とか考え方を大いに影響を受けることだった。 
 私は西洋哲学を勉強するにつれ、西洋哲学最高学問説を言うまでもなく信じこむようになっていて、哲学、それも西洋哲学的に生きることだけが正しい生の道であり、それ以外の生き方、思想を持っている人たちはクソだとも思っていた。

揺れる電車、静かな田園風景。しかし、彼の頭の中では哲学の巨匠たちが熱い議論を交わしている。

4. 哲学不要論と現実の習慣

 だが、哲学不要論があるように、哲学や思想、宗教というものは生きていても不要なものなのである。

 大多数の人はその人の住んでいる場所の習慣によって生活してるし、西洋哲学者たちも習慣や、人々のもともと持っている良心にしたがって生きている人のほうが素晴らしいと考えている人もいる

 私は本を大量に読んだといっても、古典ばかり読んでたわけではない 私の当時の読書は多くが西洋哲学や思想を理解するための比較文化論の勉強に費やされていた。

特に中根千恵、会田雄次の本はかなりたくさん読んだ。

 そしてその流れで同じく講談社新書や中公新書、新潮選書などに多く本を出していた西尾幹二氏の著書を読むようになった。同じ右派の思想家の西部邁氏も好きで、彼が正論などのオピニオン誌に出るときは記事をたまに読んでいたが、私の読んだ彼の本は「貧困なる過剰」と「国民の道徳」だけであった。前著は本当によくできていて、ものすごく頭の良い人だなと思った。

5. 師の苦悩と進路の挫折

 西部氏とは生前にお会いしたことはなかったのだが、彼の弟子をしていた巨漢の方と2000年前後に思想家の呉智英氏の主催していた以費塾で講義の後に酒を飲み、「西部先生の著作は全部口述だ。」と聞き、彼は天才だと話してたのを覚えてる。

 その巨漢の彼からは酔っ払いながら、オーバードクターの苦悩についてひたすら語られていた。 
 いかに日本のアカデミズムで職を得るのが難しいか、博士まで進むと仕事がなくなるか、女にいかにもてないか。 雑誌の仕事も出版社の仕事も大学の仕事も全部コネで決まる。とむちゃくちゃなことも語っていた。今思えば本当にそうなのかなと思うこともあったが、おかげで私は修士に進むのをすっかりあきらめてしまった。

6. 法律と運命:公務員という選択

 話は戻るが、結果的に私は若い時期の哲学の情熱も、大学四年間、往復四時間以上かけて通った経営学科、経営学やビジネスの勉強もあきらめて、地方公務員になってしまった。病気を悪くしてもう10年以上前にやめている。偶然にもプラトンの対話編、法律というのがあるが、それと同じ、法に従って仕事をする、行政マンになってしまったわけだ。当時は就職氷河期で、他人がうらやむ立場だったのに違いない。非正規や長時間労働で多くの人が苦しんでいたのに、私とすると、風俗通いするとか、酒を飲んだりとか、さんざん好き勝手をやっていた。

7. 後悔と「法」の力

 自分自身に法律とか、その近代法を支えるための思想的知識があったなら、もっとまじめな、まともな人間になれたと思う。公務員試験の勉強をしていて憲法とか学ぶと、本当に素晴らしいなと思った。もしかしたら、私は公務員でも哲学者でもなく、弁護士になり、弱い人々を助ける方向に人生のかじを切りたかったと思う。今でも私が病気にならなければ何になれていたのかもわからない。宗教家を目指してたかもしれないし、ユーチューバーになっていたかもしれない。

8. 東洋の知恵と現代の現実

 古代中国は法治国家に結果的になってしまったが、「人は法律によって人民を治めようとすると法律から逃れようとして不徳を犯すが、礼をもって統治すれば人々は恥を知る。」という、そういう教えがあるのは知っていた。私は大学時代に呉智英氏の論語塾に通っていた。彼が語る孔子先生の素晴らしさはわかっていたつもりである。しかし世の中は、どんなことにつけても法律でできている。あれをする、これをする、ビジネスの決まりは会社法で、人を殺したり、モノを盗んだりとかは刑法である。思うに私も法律を志せばよかったのかもしれない。しかし、私は法律そのものよりも、法律の存在、意義自体を疑う性分(しょうぶん)の人間であったし、今思うと哲学を志し、挫折し、仕事もなく友人もなく、金もなく、病気でそういう運命に陥ったのも仕方がないかなという気がするのである。

現代の法と秩序の中で、東洋の知恵「礼」が問う。技術と法律に囲まれた世界で、真の道徳と規範を瞑想する。

9. 未来の当たり前にしたいこと:国民が「法の意義を愛する」社会

 今、私が過去に哲学を志し、挫折し、仕事もなく友人もなく、金もなく、病気で辿(たど)り着いた運命に諦念(ていねん)を抱くことは容易です。しかし、私の長年の「法律は誰が勝手に作っているのか」という根本的な違和感と、「弱い人々を助けたい」という情熱は、この国の未来への具体的なビジョンとして昇華できるはずです。 
 私が「未来の当たり前にしたいこと」は、国民全員が「法の意義を疑い、そして愛せる」社会の実現です。 これは、…これは、単に法を遵守するだけの社会ではありません。私が憲法に感じた「崇高な思想」、そして古代の「礼をもって統治すれば人々は恥を知る」という教えを、現代の法制度に融合させる挑戦です。
 具体的には、立法・行政のプロセスに、市民が法律の「哲学的・倫理的妥当性」を議論する場を義務付けます。この場は単なる意見聴取ではなく、市民が「法の当事者」として、自らの良心と生活に根ざしたルールを主体的に構築するプラットフォームです。 法律が、国会で決められた「規制」ではなく、私たち一人ひとりの「共有の規範」となる未来。これこそが、私が20年後の当たり前にしたい、法の根源への疑問から出発した、新しい民主主義の形です。

#法律とは何か #未来の当たり前にしたいこと #新しい民主主義 #哲学と法 #自己決定権 #法の当事者 #立法プロセス改革 #憲法 #西部邁 #呉智英 #人生の選択 #法の意義
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おはようございます
大阪は曇時々晴れ
17℃の予報

今日はユニセフ創立記念日

1946年(昭和21年)のこの日、国際連合児童基金(ユニセフ)の前身・国際連合国際児童緊急基金(United Nations International Children's Emergency Fund:UNICEF)が創立された。

1953年(昭和28年)に改組され、現在の名称・国際連合児童基金(United Nations Children's Fund)になったが、UNICEF(ユニセフ)という略称は一般に普及しているということで、そのままになった。

日本は、1949年(昭和24年)から1964年(昭和39年)にかけて、主に脱脂粉乳や医薬品、原綿などの援助を受けた。当時は日本も主要な被援助国の一つであった。ユニセフは1965年(昭和40年)にノーベル平和賞を受賞した。

本部はアメリカ・ニューヨークに置かれている。執行理事会は36ヵ国の政府代表で構成される。委員は国連の経済社会理事会で選出され、任期は3年。

日本では、まだユニセフ本部から支援を受ける立場だった1955年(昭和30年)に日本ユニセフ協会が設立された。その後、1956年(昭和31年)の日本の国連への加盟承認を経て、1977年(昭和52年)にユニセフ本部からユニセフ日本委員会として正式に承認され、支援する立場になった。

ユニセフは、「すべての子どもの権利が実現される世界をめざして」をビジョンとし、世界中の子どもたちの命と健康を守るために活動している。

日本ユニセフ協会では、ユニセフの基本方針の提唱、開発途上国の子どもの人権状況とユニセフ援助事業の理解促進、ユニセフ援助事業を支援するための募金、グリーティングカード事業などを行っている。

らしいです
ユニセフへの募金は
黒柳徹子さんの口座一択でお願いします。

昨日も日中は汗ばむ陽気でしたが
今日はさらに暖かくなりそう。
仕事が捗ります。

皆さん本日も素敵な1日を
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