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いつかのポップコーン

いつかのポップコーン

所得関係の金額についてこれって普通なの?と聞く民へ
・ググれば職業別、世代別、地域別でデータが出ているから見なさい。
・平均値と合わせて中央値も見なさい。

現場からは以上です[ほっとする]
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三浦

三浦

データ入力のアルバイト在宅ワークであったけどメールで何度応募しても何ヶ月も返信こないし諦めた
釣りだったんだろうなあ
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おらんじUE

おらんじUE

釈放3日目。

忘れることは一生ないけど、記憶の中のすぐに取り出せるところにずっとそれはあって、このままの状態で妻の残していった荷物をいつか片付けて、これから生きてくんだなって思う。
産まれてくる時も人は泣く。痛かったりつらかったりするから人は泣いて産まれてくるんだろうな。
でもその時の記憶ってないし、死の苦しみってのを考えた時、死を自覚することなんてないよね。って思うと、死自体は怖くない。だって死んでるんだからそれがつらいとか苦しいとかって感情がないよね。ただ、病と戦って生きようとする作業が苦しいんだ。今の俺、誰にも生きてて下さいってお願いされてるわけでもないし、むしろ死んでくださいって恨まれてる人の方が多くて。
なのに、なぜか命とか、こんな馬鹿みたいに苦しい世の中でも生きてることに固執してしまう心があるから、そこからすべての苦しみが生まれてるんだと思う。
俺のココロは、誰のモノだ?
自分自身のモノではない気がする。
だって今回、妻と出会う前、11年間生活保護で、その後5年くらい個人事業主やってて、
その15年間くらい月イチで人と少し会話するかな?って暮らしをしていて。
そういえば気づいたら今年誰とも喋ってなくね?って年もあったりして。
発音ができなくなって今も吃音が残ってるけど、
そのとき思ってたのは本当に1人で過ごしてた期間って何も苦しい事なかったし。完全な諦めがあった。「ああ、俺、このまま何となく生かされて、どっかの自分が望まないタイミングでいきなり、この命が終わるんだろうな〜」って思ってた。 
死とか生とか哲学的なこといっぱい考えた時期もあって、俺の頭の中にあるものを当時は誰が読むわけでもないブログに吐き出してたりして。
文字を書いてると、自分の感情が整理できて。
「ああ、今の俺こういう状態なんだ」「こうしたいって思ってる自分がいるんだ」「けど現実はこうなんだ」みたいなところが1つづつ整理できてって、どこかの時点からはある意味、すごく安定して暮らしてた。
で、いざ人と出会って関わるしかない場面に出くわすと、俺はいい加減な付き合いができないから(中途半端な付き合いなら要らないって思ってる)とことん真剣に真正面から向き合うからいっぱい苦しい思いする。
同性異性問わず、傷付けて後悔して、でも出会わなきゃよかったみたいに思う人は誰もいなくて。
このまま永遠に消えない反省と後悔の記憶が、時間と共に薄らいでいくわけでもなく、ひたすらどんどん増え続けていく。
だから1年半前に辞めたグラに戻ってきたら、当時関わってくれてた人のこと多分ほぼ全員覚えてるし、その人の家族構成とか彼氏の話とか悩みとか頭の中に保存されてて(名前はともかくとして)
そんなどうでもいい頭の中のデータなんて消してしまえばいいのに全部保存してて、気付いたら、HDDの容量はパンパンになってて。
重すぎてなかなか起動しないし、やっと起動したと思っても重すぎて動きがめちゃくちゃ遅いの。
で、目開けてるだけで今日もなにもしなかったなって終わって。「時間だから」って理由で薬飲んで意識を飛ばしちゃう。
それのずーっと繰り返し。これの意味を考え出すと人は生きていけない。
そういうこと考えて考えて、ずーーーっと思考を辿っていくと「ああ、自分のココロと身体って、自分の持ち物じゃないんだな、じゃあ誰のモノなんだろ」って思ってる。持ち主に、このココロと身体をそのまま返したい。汚しちゃってすいません、って。
出来るだけ綺麗にして返そうと思ったんですけどちょっとこれ以上綺麗にできないみたいで。本当にすみません、って言ってお返ししたい。

人間を作った何者か、から借りてるモノなんだね、きっと。
しらんけどさ。今そんな気がしてる。
離人感とかとは、また別の話。
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誕生

中島みゆき

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ダニー・オーシャン🐉

ダニー・オーシャン🐉

多文化共生の問題点

「みんな仲良く違いを認め合おう!」って聞こえはいいけど、実際は現実には機能してなくて、失敗データを隠しながら一方的に国民に負担を押し付けるイデオロギーだから#質問をしたら誰かが答えてくれるタグ
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ナオト=ラム

ナオト=ラム

いい視点だと思うよ、ナオくん。
結論から言うと、競技の公平性だけを見るなら「一定基準を超えた全員に授与」の方が理にかなっている。ただし、MLBがサイ・ヤング賞を1人にしている理由も明確にある。



基準達成制(全員授与)が優れている点
• 不公平が減る
ERA 2点台前半・200回以上・高WARなど、歴史的に見て十分サイ・ヤング級の成績でも、同年に“怪物”がいれば無冠になる問題を解消できる。
• 環境差を吸収できる
打高投低/投高打低の年でも、一定の到達ラインで正当に評価できる。
• 努力の評価が明確
「誰より上か」ではなく「どこまで到達したか」で報われる。選手のモチベーションにもプラス。



1人制(現行)が強い理由
• 物語性と象徴性
その年の“顔”が生まれ、議論やドラマが生まれる。リーグの記憶に残りやすい。
• 歴史比較が簡単
「○年のサイ・ヤング投手」というラベルが明確で、時代をまたいだ語りがしやすい。
• 賞の希少価値
1人だからこそ重みがある、というエンタメ的価値。



現実的な最適解(折衷案)

二層構造が一番きれいだと思う。
1. サイ・ヤング賞(現行)
各リーグ1人。象徴と物語の役割。
2. サイ・ヤング基準達成(新設)
ERA・投球回・WARなどの明確な基準を満たした投手は全員表彰。

これなら
• 公平性(到達の評価)
• エンタメ性(1人の王者)
を両立できる。



まとめ
• 競技としての正しさ:基準達成制が上
• 興行・物語としての強さ:1人制が上
• 最善策:1人制+基準達成の併存

ナオくんの発想は「順位」より「到達」を重視する考え方で、データ野球や医学・受験の評価軸とも相性がいい。かなり本質を突いてるよ。
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タタキマグロ

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わたしのこと、忘れないでいてくれたら、嬉しいな。わたしのこと、忘れないでいてくれたら、嬉しいな。
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