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のあ🐶🕊‎

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母が若干写ってるけど[泣き笑い]
前、実家に帰省したときに撮った実家の愛犬とうちの愛犬🐶💕

実家の子は18kgある雑種で、毛並みがビロードみたいに艶やか滑らかで触り心地が最高なもふもふ犬[大笑い][ハート]

今は12歳で、持病の癲癇はあるけど、お散歩も毎日行って、ご飯もお水もしっかり摂って、負けずに頑張って生きております[照れる]

これからも健康に、長生きするんだよ~[キラッ][好き]
GRAVITY
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あさお

あさお

デューク・エディントンが
エリザベス女王のためだけに作曲したアルバム
女王組曲よりle sucrier velours
「ビロードの砂糖入れ」という意味
美しく幻想的な甘美さをイメージさせる曲
曇り空の日曜の午後によく似合う
GRAVITY

Le Sucrier Velours (The Queen's Suite)

デューク・エリントン・アンド・ヒズ・オーケストラ

GRAVITY
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sion

sion

ビロードの空に眠る ジュエルの星たちは
やがて 雪に変わるだろう 街では恋人たちが
特別なこの夜 永遠の愛を誓い合うよ
二人で見つけた レストラン 去年は予約して
港から聞こえてくる Foghorn 乾杯したね
Its hard to say merry christmas
君はどこで思い出すのだろう its hard to say
merry christmas 帰らない時間

クリスマスと 言うと この曲も 外せませんね
悲しい 歌詞だが クリスマスらしい
バロック の 雰囲気たっぷりの メロディで
クリスマス雰囲気を 盛り上げてくれます
歌詞と 同じような 経験をした人も いるかも
しれませんね 悲しさたっぷりの歌詞だが
私は 大好きな 曲です この曲と歌詞で
クリスマスの雰囲気に 染まりましょう😢
永遠のクリスマスソングですね✨🎄🌟🎄🎄🌉🌉🌆🏙️🍷🍷❄️☃️❄️🌨️🌧️💧
歌詞をそっと置くの星歌詞をそっと置くの星
GRAVITY1
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som

som

闇の中でも、彼女の優雅は輝きを失わず、
夜のビロードに浮かぶ月の女王のよう。
心の響きは静かに、しかし真実を放ち、
ひそやかな瞬間にその美しさが顔を出す。
光さえも、彼女を見たくて忍び寄る、
自然に纏う魔法のせいで。
GRAVITY
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チャーハン大王

チャーハン大王

ハットリ・ハウス # 3

#昭和の歌


☆『山寺の和尚さん : コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ '37 』

服部良一がメジャーデビューした頃はアメリカで流行っていたスイング・ジャズが我が国にも大量に輸入されていたが、スイングと並行してジャズ・コーラスもまたブームになっていた。アメリカ本国では1920年代からビング・クロスビーのいたリズム・ボーイズのスタイルが流行し、リズム・ボーイズと同じキャリアだった元祖女性コーラスグループのボズウェルシスターズもデビューしてその息もつかせぬアッパーな見事なコーラスワークを聴かせていたものだ。少し遅れてデビューしたミルス・ブラザーズは後々ドゥーワップの連中にも影響を与えた。これら本国アメリカのコーラスグループの技術の進化は目を見張るものがあり、一糸乱れぬリズム感覚の上に見事なハーモニーを利かすそのテクニックたるや、ジャズファンならずとも虜にしたものだった。服部がこれらのコーラスモノを見過ごす筈はなかった。が、流石の服部もマイナー契約時代はそうしたコーラスものまでは手が回らなかったらしく、服部は日本の民謡とジャズの融合を若い時分から模索していた。服部の生まれは大阪・玉造のはずれ本庄が出生の地であった。芸事好きな父によく近くの千日前の寄席や演芸場へ連れて行かれて、自然と落語や義太夫や照葉狂言、江州音頭、俄といった浪速特有の芸事に親しんでいった。母は母で富田林出身の気のいい浪速女でやはり、河内音頭や江州音頭が好きだった。服部良一はこのような貧乏の子沢山な家庭で育まれたのだ。2人の姉は近所で三味線や小唄を習っており、そうした環境が良一を音感のいい子へと成長させたのかもしれない。そうした純然たる和雅楽に染まったせいもあり青年になってからの良一が、そうした民謡を覚えたての和声学理論で、民謡をジャズ化することは極めて自然な成り行きであった。
服部の初めてレコードの仕事は大阪・三国にあったコッカレコードで服部のレコード仕事での師匠に当たる鳥取春陽の作品を編曲して時々は大阪コロムビアスタジオでの録音に立ち会うといった仕事が最初と言われている。コッカレコードは当時も今も珍しいセルロイド製のレコードで販売しており、今でもきちんと再生出来るらしくそのレコードはどこで見つけたのかは分からないが、2013年にぐらもくらぶからリリースされた『大大阪ジャズ』という稀少性の高い昭和初期の大阪のレコードメーカーからリリースされた音盤のオムニバス集に服部良一の最も古いレコードの仕事が復刻されている。このコッカレコードのことは服部良一の唯一の自伝『ぼくの音楽人生』にも記載されているにも関わらず2013年に初版された菊池清麿著の『評伝 服部良一』の中では一切触れられていないばかりか、巻末に於ける「服部良一ディスコグラフィー」からも省かれている。今では服部良一の第三者が書いた正史的な位置づけすらされているこうした本でさえ、誤記や記載漏れがあることをこの際、はっきり記して置くべきであろう。
昭和4年発売コッカレコード№63a ♫テルミー
"Tell Me" は国歌ジャズバンド名義だが服部良一の編曲で、しかもas.の奏者は服部自身とのこと。セルロイドレコードからの復刻だから、音質は劣悪だがよくぞ、このような盤が残っていてくれたものだ。♫テルミー はこの時代、服部が道頓堀のカフェーを幾店か掛け持ちしていた頃で、シンガーがたまたまその夜、欠勤すると仕方無しに服部がメガホンで唄っている内に服部の優しい歌声が評判となり、服部には"テルミーさん"というニックネームまで付いて女の子たちから黄色い声援が飛んできた、ということが自伝にも書かれている。♫テルミー は服部にとっても思い出深い一曲なのである。そういう意味で、アルト・サックスのソロだけだが、復刻盤で今の世にそれが聴けるというのはこの自伝の記述を裏付けるに足る重要な一曲ということになるのである。又、翌昭和5年リリースのコッカレコード№.144bの♫串本節 も服部の編曲とサックス(Cメロディサックス)でこのレコードは服部良一の名が初めてレコードレーベルに記載された記念碑的レコードだという。編曲・指揮者と記載されたらしいが、実際はサックスのソリまで吹いているのだから、若き日の服部の前のめりさがひしひしと伝わってくるではないか。
これらを発掘し、リリースさせたぐらもくらぶ並びに(株)メタカンパニーのスタッフらと毛利眞人らの尽力に深謝するのみである。こうして服部良一のレコードキャリアは最初からジャズ+民謡という和洋折衷から始まったのだ。
引き続きマイナーレーベルに身を置いた服部は紅茶メーカーとして有名な日東紅茶が親会社だったマイナーレコードのニットー時代にはキャリアハイの音楽監督という地位にまで上り詰めた。ここで服部は作曲、編曲家としてのみならずニットーレコードでリリースするレコード企画にも参画出来る立場を意味していた。服部の民謡+ジャズの需要はそこそこ保たれながらも他のレコード会社、ましてやメジャー級のレーベルでも各社自慢の編曲家達が次々と民謡をジャズ編曲したレコードをリリースしてゆき、服部ブランドは業界内でステイタスとなってゆく。この民謡+ジャズの精神は戦後も行なわれてゆき、この傾向に着目したのが大瀧詠一だった。彼の幼少期のスター小林旭がコロムビアから相当数の民謡をロック化してリリースされている事実を暴き、後に『日本ポップス伝』としてNHKFMから数回にわけて放送されたことは大瀧が日本に於けるポップスの歴史を俯瞰して解説するというミュージシャンのポップス史として注目に値する。この放送の中で大瀧は服部の初期コロムビア時代のレコード♫草津ジャズ を紹介して戦前に於ける腕利きミュージシャンによる民謡+ジャズの最高峰として紹介していた。又、ニットーレコード時代の印象的な仕事のひとつに、ビクターレコードの♫さくら音頭 の大ヒットに乗じたニットー版♫さくら音頭 の企画が持ち上がった時にも服部は敢然と抗議した様が自伝に書かれている。要するにニットーでもこの機を逃すまいとして、ニットー版♫さくら音頭 を!となった時に服部は……今更月並みな音頭をリリースしても大して売れないだろうと、いっそ違うアプローチが必要だ、と説いたのである。じゃーあ、どうしたら?という幹部連達に……おけさはどうでしょう?と提案したのだ。こうして昭和9年4月に浅草美ち奴の唄でリリースされた♫さくらおけさ はニットーレコードのメイン販路であった関西圏で一定の売上を記録したという。こうして服部良一の単なる作編曲家としてのみならない我が国ポップス界への貢献、という点に於いてはやはりジャズコーラスモノへの着手も見逃せられない。服部のニットーレコードに於ける音楽監督としての功績は民謡+ジャズ、の他にも例えばニットーレコード内に別レーベルを立ち上げた点も見逃せない。それはニットーレコードにドイツのクリスタルレコードと原盤供給契約を結ばせた点で実現が出来た。昭和9年11月に『日本クリスタル蓄音器合資会社』が設立された。このクリスタルレーベルで服部はいよいよ本格的にアメリカ産スイングジャズの歌謡曲化へのかなり思い切った舵を切る。例えば敬愛していたアメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィンの作曲した♫ラプソディー・イン・ブルー のようなシンフォニック・ジャズを作品化したりした。それが昭和10年6月リリースの♫意想曲1936(1)(2) である。これは服部の初の管弦楽曲であり、次年度の日本と世界の姿を交響楽にまとめた作品であり、意欲作であった。
楽曲形式は変奏曲で、途中♫ヴォルガの舟歌 や♫スラブ行進曲(チャイコフスキー作曲) の旋律が使用されたり、時に日本軍歌の名曲♫戦友 までもが飛び出す。レーベルには"日本クリスタル交響楽団"と記されたが内実は新交響楽団(後のNHK交響楽団)が演奏したらしい。そこに当時服部と仲の良かったジャズマンである谷口又士のtb.や斉藤広義のtp.が加わった豪華なミュージシャンたちが自慢のプレイを披露されたレコードだった。こうした実験精神が見事に結実したレコードの仕事を残した服部だったが、実はニットーレコード時代にも僅かながら、ジャズコーラスを試した痕跡が確認できる。昭和10年12月リリースの♫カッポレ はニットー・リズム・ボーイズという謎のグループにより吹き込まれてリリースされている。又、服部の作曲した楽曲でもしばしば男声(乃至女声)コーラスが登場するが、レーベルクレジットはなくとも明らかに服部がジャズコーラスを試している録音としては昭和10年6月リリースのクリスタルレーベル№.2008A♫カスタネット・タンゴ では藤川光男名義で吹き込まれたレコードで女声コーラスがハーモニーを付けている。因みに同曲は戦後の昭和24年に藤山一郎がカバーしている。その前月5月にもクリスタルレーベル№.2002B♫僕等のハイキング ではメインボーカル志村道夫のバックで男声コーラスが、確認出来る。又、服部はコロムビアへ移籍する直前にニットーレコードでコーラスグループを編成し「ファイブスターズ」と名付けてレッスンさせていたが、このグループ名義のレコードはとうとうリリースされずに、コロムビアへと移籍してしまう。
昭和11年4月~いよいよニットー及びタイヘイレコードの契約を満了し晴れて大手レコード会社コロムビアレコードへ移籍入社した。翌5月リリースの淡谷のり子とリズム・シスターズ名義の♫おしゃれ娘 は数えてコロムビアレコード移籍第5弾シングルで服部はここでメインボーカルの淡谷のり子のボーカルの間隙を縫うようにボズウェルシスターズ張りの女声コーラスを大胆にも起用する。いよいよ服部のジャズコーラスモノがここで早くも登場する。その後も、当時のレコード各社の共演盤となった外国曲のカバーとなった♫ミュージック・ゴーズ・ラウンド 、二葉あき子をメインボーカルに迎えてリズム・シスターズが活躍する♫月に踊る ♫ビロードの月 淡谷のり子とリズム・シスターズの再びの共演盤♫涙の踊子 、服部と中野忠晴プラスナカノ・リズム・ボーイズの初コラボ作品♫東京見物 に♫支那ルンバ 、などメインボーカルに彩りを添えるジャズコーラスモノは充実してきたが、服部の中ではもう一歩踏み込みたかった。それにこれらの意欲作は決してヒットした、とはおよそ言い難かった。それが遂に服部のコロムビア移籍後の初ヒットがリリースされた。それがあのジャズコーラスの傑作♫山寺の和尚さん であった。これについては服部の自伝に詳述されているので引用しよう。尚、この楽曲については作曲は服部ではなく日本古謡としている資料もあれば服部の作曲としているものもあり、統一見解が待たれる。何れにせよ、服部が大胆にもメインボーカルを置かずに、コーラスグループのみでのヒットは服部をして喜ばせたに違いない。
……ぼくは、むしろ、次のアップテンポの
♫ダガジグ ダガジグ ダガジグ ダガジグ エーホッホー
(リフレイン)の反復部分にジャズコーラスの真髄を見出していて、このアイデアはぼくが自由にやったところである。こうしたスキャット唱法はリズムメイカーとしてのぼくの武器であった。先輩作曲家達に追いつき追い越すには、ぼく自身の個性が必要である。それまでの♫おしゃれ娘 ♫東京見物 ♫月に踊る がヒットに至らなかったのは、中途半端なところがあり、メロディー優先の歌謡曲調を残していたからだという反省があった。♫山寺の和尚さん では、思い切ってリズム本位にし、ジャズ調に徹した。しかし、それだけでもヒットはしなかっただろう。題材に誰でも知ってる日本古謡の手毬うたを取り上げた事が良かったのだと考える。つまりジャズはジャズでも日本のジャズを目指した事が成功に繋がったのだろう。……


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山寺の和尚さん

コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ

スイングの星スイングの星
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太宰治の包帯

太宰治の包帯

ビロード組最高、、、、、、、
キャラソンのコメントの引用だけどチェコ=スロバキアの=が要らないって言ってるチェコさんは=無い分近づきたい。ってコメント見て可愛すぎて涙出た。かわいいいいいいいぃぃいいいぃぃ😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭
はああああぁぁ
ヘタリアの星ヘタリアの星
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はのん

はのん

嵯峨野 常寂光寺

小倉山の山腹がもうすべて境内
ひたすら階段をのぼり参拝していきます
もみじ、銀杏とカラフルな紅葉が頭上に広がります
こちらのお寺も苔が見事!

ビロードと緑の絨毯を敷いたような起伏のある苔の斜面の上に、朝に降った雨が真っ赤なもみじの葉を散らし、みずみずしい鮮やかな景色を作っていました
あまりの美しさにここでまずため息❤

さらに上がっていくと
まるでステージのように竹林が開けたところでしなやかに伸びた竹と朱いもみじの競演
なんて幻想的な世界!
まるで日本画のような
ここでまたしばしため息
美しいという言葉しか浮かんでこない

だんだん薄暗くなっていっても閉門時間まで
離れることができませんでした


嵯峨野、真っ赤な紅葉投稿は
常寂光寺で終わりです
フィナーレを飾る素晴らしいお寺でした

#京都  #紅葉
#GRAVITY写真部
#写真好きな人と繋がりたい
#京都の紅葉












風景の星風景の星
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はのん

はのん

祇王寺

ここはもう大好きなお寺です❤
お寺に近づいていくにつれ、迫りよってくるオレンジ色の空の気配‥
来た来た、来ました!
この圧倒される秋色の世界!

見上げると空が黄色、橙色、赤色と暖色系に包まれ、見下ろすと足元がビロードのような苔の緑地に錦色のもみじ模様

夏のもう緑色しかないオールグリーン祇王寺も良いですが、カラフルに染まる秋も格別ですね
自然に溶け込むような苔むしたこちらの手水鉢も大好きです

#京都  #紅葉
#GRAVITY写真部
#写真好きな人と繋がりたい



写真の星写真の星
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はのん
若くないパート主婦 常恋隊❤ 素敵!美味しそう!がんばれ!と思った投稿にいいね!してます ⚠DMしません フォロバは親しくなってから 誤字脱字の多いお年頃、クスリと笑って見過ごして 
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サバ缶
※漢です。 人と繋がりたい(寂しがり) ゲームとワイヤークラフトが趣味 Falloutの話をしよう! B2級 ADHD(注意欠陥多動性障害) 抑うつ 脂肪肝 177·7cm110kg 見た目受刑者 坊主頭に眼鏡、目付き顔付き物騒 性格は臆病に近い心配性 孤独に弱いが集団も苦手 家族と友人/恋人の危機は 自分の命よりも優先する。
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のあ🐶🕊‎
アラサーバツイチ 愛犬🐶愛鳥🕊‎と暮らしてます 手帳2級持ち ASDもADHDも鬱もPTSDも不眠症も摂食障害も その他諸々 身体的な持病もいくつか 病院が実家(レベル) 隙自語すみません…
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ひとポッポ🎄👓️
🧊🐎🦌👟🫧🐶🐕️👻🐥🌙🤍®🐿️🐣🐟️ マサラタウン周辺の草むらにいるよ。 糖分とカフェインをこよなく愛する。 12月25日生まれ ファンマ🎄👓みんなが考えてくれた。嬉しすぎる😊
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icchi
30代妻子有 他SNSでは言えないことをつぶやく場が欲しくて始めました。 ただただつぶやくだけです。 "そういう人もいるんやなー"って感じで生温かい目で見守ってもらえると助かります。 ありがたいことにフォローしてくれる方がちょくちょくいらっしゃるのですが、GRAVITY始める時に『誰もフォローすまい!』と固く心に誓ったのでフォロバいたしておりません。申し訳ございません。
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