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スシス
セージ

「揶揄」

音楽を置いておく人
ハッセルブラッドがほすぃ

みかん
X2Dかロマンの907Xか
ハァハァハァハァ



「揶揄」
21号
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いつかさめるゆめ
テレ東のキャプテン渡辺という競馬芸人の、当てたい人は勝てないでハッとした。一切手を出してないからまだいい。
わたる
数人いる指導員の方のうち、たまにベテランの先生が直接教えてくれるのですが、今日がそうでした。
まだ慣れてない型の身体感覚としてを教えてもらうと、他の方よりもハッとさせられることが多いです。
後ろから丁度いいタイミングで後ろからポンっと押された時に、頭の中でカチッと「この感覚か!」となりました!

しろまる

みつ
背が高い、目が切れ長、小さく落ち着いた声とゆっくりな話し方、恋愛経験少なめ、正義感が強い、私のことをちゃん付けで呼ぶ、思いやりがあってめちゃくちゃ優しい、相手のことを考えてくれるから気遣いが神、尽くし系(多分)
昨日彼とお話してた時に、尻尾振ってるのが見えてハッとした!
今度から私の日記上で彼は🐺表記だ!!


🥀ハル🥀

なお
最近、僕はある一つの聖句にずっと引き込まれています。
申命記6章4節。
「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。」
この言葉、ユダヤ教では「シェマ」と呼ばれ、最も大切な祈りの一つです。
「シェマ」とはヘブライ語で「聞け」という意味。
ただ音として耳に入れるのではなく、心を澄まして、全身で受け止めよ、という強くて深い呼びかけです。
「主は唯一」というヘブライ語は「アドナイ エハド」。
この「エハド」は、単なる数学的な「一」ではなく、調和した統一性を表す言葉だと言われています。
神はばらばらではなく、すべてを結び合わせ、関係性そのものであるような「一」。
この一節だけで、申命記、いや聖書全体の核心に触れる気がするのです。
僕がこの言葉に込められた重みを感じたのは、それが単なる教えではなく、約束の地を目前にしたモーセが、これから様々な誘惑や困難に直面する民に、何としても伝えたい「命綱」のようなものだったからです。
エジプトでの奇跡も、荒れ野での試練も、すべてはこの「聞く」姿勢と、唯一の神との関係性の中で意味を持つ。
申命記は、歴史の繰り返し叙述ではなく、その核心を「今、ここで」生きる民へと更新し、受け継ぐための書なのだと気付かされました。
だからこそ、申命記には「覚えていなさい」「忘れてはならない」という言葉が何度も繰り返されます。
それは過去に囚われろという意味ではなく、あなたがたの「今」は、この神との出会いと契約の延長線上にある、ということを刻み込むため。
祝福と呪いが語られるのも、それが遠い神の裁きではなく、私たちの選択が今ここに生きる関係性を形作っていく、という厳粛な現実だからです。
僕はまだ、この「聞く」という姿勢を、自分の生活の中でどう生きるか、模索しているところです。
スマホに流される情報をただ受け取るのではなく、心を澄まして、本当に聞くべきことは何か。
バラバラになりがちな日常の出来事を、どんな「一」へと結びつけていくのか。
申命記は、そんな根本的な問いを、僕の胸に静かに、しかし確かに置いてくれました。
このモーセの最後の説教に込められた切実さや、神と人との関係性の深さは、言葉で読むだけではなかなか伝わりづらいものもあります。
僕自身、石川尚寛さんの「モーセ五書マンガ」で、モーセの老年のまなざしや、民への思いがビジュアルで表現されているのを見て、ハッとさせられることがたくさんありました。
気になった方は、ぜひAmazonで「モーセ五書 マンガ 石川尚寛」と検索してみてください。
無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。
#申命記
#シェマイスラエル
#モーセ五書マンガ


ロー
屋根や窓を叩く雨の音に。
雨の中移動する車のタイヤの音に。
強風の中枯れかけた小さな草が風にあおられてる姿に。
夜の雪の国道を車が走る美しさに。
赤信号で止まった車の窓から見えた雑草に
生きる強さを感じたり。
その瞬間、瞬間
私は今を感じ
私は今を生きている。
未来への不安や辛かった過去に
思いをはせず
今を生きよう。
自分の呼吸を感じ
自分のまばたきを感じ
自分の身体を感じて
今ここに在る事を
今私は生きている事を
全力で感じ
生ききりたい。
何を成し遂げなくても良い。
何かを残せなくても良い。
ただこの今を感じきりたい。

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