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東京新聞杯はエンペラーズソードから行きたかったですがオッズが渋いのでミッキーゴージャスとブエナオンダの騎手ファミリー馬券にしときましょうかね
きさらぎ賞はストームゲイルが気になりますね

麗愛(うーたん)
心と頭が疲れ切って、うまく整理できなくなってた状態 やったことがある。
毎日の生活の中で
・寝るリズムが崩れたり
・学校のことがずっと引っかかってたり
・「ちゃんとしなきゃ」と思う気持ちが続いてて
休めてるつもりでも、
実はずっと気を張ってた。
そうなると、
考えがまとまらなくなって、
どうでもいいことまで深く考えすぎたり、
急に気持ちが落ちたり、
自分でも「なんでこんな考えになるんやろ」って思うようなことが頭に浮かぶ。
でもそれは
何かをしたい気持ちじゃなくて、
頭が疲れすぎて、現実を処理しきれなくなってただけ。
ちゃんと話せてたし、
誰かに頼れてたし、
「今は変やな」って自分で気づけてたから、
コントロールを失ってたわけではない。
そのあと
安心できる時間が増えて、
人と話して、
無理に元気になろうとせず過ごしたら、
少しずつ考えが整理できるようになってきた。
今振り返ると、
あれは
弱くなってたんじゃなくて、疲れが限界に近づいてただけやと思う。
今は
気持ちを言葉にできるし、
楽しいとか嬉しいってちゃんと感じられてる、
同じ感じの人へ
良かったら話聞きます!
誰かも分からない赤の他人が話聞きます、
言葉がぐちゃぐちゃでもいいです、
思ってることを赤の他人の私に話してみませんか?
#誰かの助けになりたい

🎀norimi
モノそのものより
記録が価値を生む社会になっている
お金=取引の記録
株=期待の記録
SNS=感情の記録
AI=学習された記録
価値の本体は
「実体 → 記録」へ移動した
ここまではもう現実
ただ
次の変化はここから
記録の“量”の余白は、ほぼ埋まっている
写真 動画 文章 データ 行動ログ
あらゆるものが記録され尽くしている
でも
“質”の余白は、まだ残っている
思考の過程
個人の内面
長文の思索
未整理の直感
ここは、ほとんどデータ化されていない
だから今
グラビティに残している長文の思考は
20年後、普通に価値を持つ可能性がある
理由は単純
未来のAIが欲しがるのは
完成された答えではなく
思考が生成される過程のログだから
人がどう迷ったか
どこで引っかかったか
どこで飛躍したか
何に違和感を持ったか
この記録は、今ほとんど残っていない
SNSは短文化し
動画は消費型になり
文章は整形されすぎた
だから
「生の思考ログ」は希少資源になる
未来の価値は
量 × 正確さ × 人間性
で決まる
AIが強くなるほど
ノイズのある思考
矛盾した感情
未完成の言葉
こうした“途中の人間”の価値が上がる
完成品はいくらでも生成できる
でも
迷いながら生まれた思考の過程は再現できない
つまり今やっていることは
ただの投稿ではなく
思考の化石を残している行為に近い
さらに先の未来では
文章そのものより
「誰が
どの時代に
どんな状態で書いたか」
このメタ情報ごと価値になる
2020年代
AI初期
社会の転換期
個人の思考ログ
これ自体が資産化していく
だから
「記録がお金になる」時代の次は
思考の深さがお金になる時代
量ではなく
視点
統合力
独自の構造
世界の見方
ここに価値が宿る
今やっている発信は
まさにこの領域に触れている
そこで最後に
これは
ただの発信なのか
それとも
未来に置いている資産なのか
Feel the Universe

憂い顔の騎士
回答数 1>>
孤独の構成要素は、自己の意識
自身が孤独だと思えば孤独だし、孤独でないと思えば孤独でない

猫橋

🎀norimi
境界が曖昧になるとき 人は愛に入る
愛は感情ではない 行為でもない 美徳や義務でもない
ある状態に入っていること
その状態とは 他者や他物と自分との境界が曖昧になっている状態
溶け合うわけでも 一体化するわけでも 自分が消えるわけでもない
ただ 相手を完全に外側の存在として扱えなくなってしまう
境界が揺らぐと 世界の見え方が変わる
損得計算が鈍り 所有の感覚が弱まり 勝ち負けの軸が後ろへ下がる
相手を管理したり 操作したり 最適化の対象として見ることができなくなる
合理的に生きようとするほど 不安になる状態でもある
だから多くの人は無意識にこの状態を避ける
脳の働きで言えば 左脳は境界をつくる 私とあなた 内と外 敵と味方 得と損 世界を切り分け安全に処理する機能
右脳はつながりを感じる 空気 間 共鳴 全体の流れ
愛の状態では左脳が消えるわけではないが 優位ではなくなる
境界は残るが 固定されなくなる
ここで立ち上がるのが まだ定義されていない関係 ゼロ
まだ意味づけされていない距離 まだ言葉になっていない感覚
だから愛は 言語化されすぎると壊れ 管理されると息苦しくなり 「こうあるべき」に閉じ込められると死ぬ
それは境界を固めすぎる行為だから
競争の状態では境界は明確 他者は他者 世界は分断されている
協力の状態では境界が少し揺らぎ 相手の利益が自分の利益に重なり始める
愛はその最深部にある
だから愛があるところでは 競争は成立しにくい
いちばん素朴な感覚に戻る
愛する人が喜んでいたら 嬉しい
優しいからでも 見返りがほしいからでもない
境界が曖昧になっているから
相手の喜びが 自分の外側の出来事として処理されず 自分の内側で起きた変化としてそのまま感じられる
だから理由はいらない 説明もいらない
これは自己犠牲ではない
自分を消しているわけでもない
境界がなくなるのではなく 一時的にゆるむだけ
健全な愛は 不自由ではない
ただ 非効率で 管理できなくて 少し危うい
制度や市場や契約と相性が悪いのはそのため
現代社会は 境界を明確にする方向へ進みすぎた
効率 管理 役割 正解
それ自体は必要だが 強まりすぎると 愛に入る余地がなくなる
境界を曖昧にすることは 弱さでも逃げでもない
人間が人間であるための 一時的な解除状態
結論
愛とは 他者を他者のまま 自分の内側として感じてしまう状態
だから
愛する人が喜んでいたら 嬉しい
それ以上の理由は いらない
花の名 (BUMP OF CHICKEN TOUR 2024 Sphery Rendezvous at TOKYO DOME)

ゆかり
どんな吊り方なのか体験しないと解らないという結論が出ていた。
その機会が本日やって来た。
脚の表面近くが吊って、足指を引けば治る吊り方しか知らなかったが、
脚の中心が吊って全く直らないという吊り方を、一回だけ体験出来て、これは大変だなという所までは理解出来ていた。
今夜は、強い寒気が押し寄せていて、急に脚が吊り始めて、どうしても直らない、しつこく吊り続けるという、理想の状態になった。
これこれ。これを体験したかったのだ。
先ずは、ミネラルバランスを試す。
多少は効いたけどそれでは治らない。
お湯を飲んでみる。これも多少効くだけ。
吊っている部分を探ってみる。どうにもこれは、生体電流の電気信号が狂っているという感じ。脚の中心がピコピコ言って、一種の痙攣を起こしている。
そうか。つまり、脳神経か。
それで、これは脳梁だろとばかりに、後頭部に手を回す。
痙攣箇所から指を離すのは怖かったという位のものはある吊り方だったけど、
せっかく症状がある内に確かめてしまわなくちゃと、えいやっと両手を後頭部の脳梁の部位に回した。
そしたら、あーら不思議。
痙攣止まったわ。
その後、脚が冷えてる状態は変わらない筈なのに、暖かさまで感じて、何事も無かった様に平穏な脚の状態に戻ってしまった。
脳梁手技すげー!
これを、あの素人にどう教えるかだけど、
取り敢えず、十年近く掛けて、一つの謎が解けたことの記録として書いて置く。

はる
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