「言語変化は諸言語の歴史における言葉の創造性の表れである」――コセリウ(1921-2002)は,変化すること自体が言語の本質であり,変化することによって言語は言語であり続けると喝破した.音韻論とソシュールに始まる「科学主義」によって硬直した言語学を解放に導く挑戦の書。と言われるけど、何となく日本語は流行りの言い回しに拠ってるだけな気がする。誤読の前に国語で誤読の授業をすれば意識が変わると思うんだよね。あと業界用語もあるから面倒なんだよ。遺言も「いごん」「いげん」「ゆいごん」と3パターンある。仕方ない気がするなぁ。